大分トリニータ

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Template:サッカークラブ 大分トリニータ(おおいたトリニータ、Oita Trinita)は、日本大分県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のプロサッカークラブ。大分フットボールクラブのトップチーム名および呼称。

目次

クラブの概要・歴史

クラブ概要

運営法人は株式会社大分フットボールクラブ。クラブマスコットは、亀がモチーフのニータン

1999年、J2が創設された際にJリーグ加盟。ホームタウン大分県大分市別府市佐伯市を中心とした全県。ホームスタジアムは大分銀行ドーム(大分ビッグアイ)。練習は同競技場に隣接する、大分県サッカー協会と大分FCが共同運営する大分スポーツクラブ大分市営陸上競技場等が使われている。チーム名・呼称は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている。県民・企業・行政が一致団結することを表している。

2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。

チームスローガン

年度 チームスローガン
2003年ムーブ&バランス
2004年Perform&Enjoy
2005年Together&Enjoy
2006年Challenge&Challenge
2007年Challenge&Competition
2008年One Heart,Big Challenge
2009年
2010年RESTART ~ONE HEART~

JFL時代

1994年3月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられる。大分県リーグ(当時は1部リーグのみ)と九州リーグを連覇して1996年に全国地域リーグ決勝大会で2位に入り、設立わずか2年でジャパンフットボールリーグ参戦を果たす。

当初は文正植朴景和と韓国人監督のもと外国籍選手についても皇甫官崔大植といった韓国代表歴を持つ選手を中心としたチームだった。 1998年はブラジル人監督のフォルミーガを招聘し、外国籍選手にもウィルを補強するなど韓国路線からへの変更が見られた。

J2時代

1999年1月、運営法人「株式会社大分フットボールクラブ」を設立、Jリーグに加盟しJ2に参加。なお、「トリニティ」の名前がブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)同様、商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、Jリーグ加盟参加と同時にチーム名及び、呼称を現在の「大分トリニータ」に改めた。

J2参加にあたり、監督にはモンテディオ山形を率いていた石崎信弘を招聘した。J2初年度から昇格争いに加わるが、1999年2000年とも3位、それも2年続けて「2位との勝ち点差1」で昇格を逃してしまう。2001年は序盤から出遅れたこともあり、シーズン途中の5月で石崎は解任された。新たに監督に就任した小林伸二は守備の建て直しに成功し、チームは最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わってしまう。

2002年浮気哲郎サンドロアンドラジーニャ等を補強、昨年作り上げた堅守速攻で悲願のJ1昇格を目指した。

チームは序盤から首位を独走してJ2優勝を達成、悲願のJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。

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2003年

小林が引き続き指揮を執り、アルビレックス新潟寺川能人、前年コパ・リベルタドーレス得点王のロドリゴ等の選手を補強。2年間で作り上げた堅守を武器に初のJ1に臨んだ。しかし、期待のロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。結果、ストライカーが不在となり守備はある程度通用するも深刻な得点力不足に陥った。3年振りの復帰となるウィル等多くの外国人FWを補強するも得点力不足は一向に改善されず、2試合で1点も取れないようなペースが続き、2ndステージでは15試合でわずか7得点しか挙げられなかった。最終節の15位・ベガルタ仙台戦は、負けた方がJ2降格(引き分けの場合大分が残留)という状況となりスタジアムは異様な雰囲気に包まれた。試合は1-1で引き分け大分の年間順位は14位(第1ステージ14位、第2ステージ16位)となり、ギリギリでの残留に成功。小林は成績不振の責任をとりこの年限りで辞任した。

ちなみに、この年の2ndステージの失点数はリーグ最小の16であり、2ndステージではリーグ最小失点で最下位という珍記録を作ってしまった(これには小林が2ndステージ以降、極端な守備的戦術を取っていたことが理由に挙げられる)。Template:-

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2004年

オランダ人監督のハン・ベルガーを監督に迎える。選手の補強は、寺川がわずか1年で新潟に復帰するものの、元ブラジル代表で2003年には全北現代で得点ランキング2位となる27得点を記録したマグノ・アウベス、元オランダ代表FCバルセロナ在籍経験もあるリチャード・ビチュヘ、ベガルタ仙台で活躍しアテネ五輪代表候補でもあった根本裕一などを補強し攻撃サッカーへの転換を図る。序盤はマグノとビチュヘが期待通りの活躍を見せ、J1昇格後初の逆転勝ちを果たすなど順調に勝ち星を挙げ、1stステージは10位で終える。

しかし、ビチュヘの退団や、1stステージで活躍した木島の怪我などもあって2ndステージでは一気に失速。緊急補強としてDFパトリックを獲得するも歯止めは利かず、終わってみれば2年連続の最下位となった。マグノが11ゴールを決め高松もそれに次ぐ8ゴールなどの活躍もあったが、その他の選手はほとんど点が取れず得点力不足は解決をしなかった。結局年間13位に終わり、ベルガーはシーズン終了後に辞任した。Template:-

2005年

前監督の解任により皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格した。また前年度のゲームキャプテンを務め、3年間ディフェンスの要として活躍したサンドロも退団した。

新外国人FWドドの不調もあり序盤は苦しい戦いが続く。その後は最高8位まで上がり、持ち直したかと思われたが主将吉田孝行の怪我もあり再び失速。ヴィッセル神戸との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも1-2で敗戦するなどチーム状態がどん底だったため、皇甫官を8月28日付で解任。後任監督にペリクレス・シャムスカが就任した。

初采配となった浦和レッズ戦を2-1で勝利すると、そこから破竹の勢いで勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標をわずか8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほど好調だった。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれ多くのJリーグファンに衝撃を与えた。11月23日セレッソ大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定した。この年の最終順位は11位と過去3年で最高順位だった。Template:-

2006年

シャムスカが引き続き指揮を執った。チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行等、多くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった一方で、マグノに代わるストライカーとして期待されたオズマール柏レイソルより元日本代表の増田忠俊らを獲得。25人という少数精鋭で2006シーズンに望んだ。序盤戦こそはややつまづいたものの、松橋章太や後述の若手選手の台頭により調子を上げ夏場には4連勝、更にはこの年のリーグチャンピオンである浦和レッズから白星をあげるなどをし一時はチーム最高順位(当時)である5位まで浮上した。その為、シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にはJ1残留が決まった。ただ、そこから疲労の為か失速、下位相手に勝ち星を上げる事が出来ず、8位でシーズンを終えた。

またチーム創設以来初めて、A代表西川周作梅崎司、後に高松大樹も招集され、梅崎と高松は試合にも出場した。これもリーグ戦での好調さを評価されてのことである。また、若手が台頭、西川や梅崎以外にも高橋大輔福元洋平森重真人らが試合に起用され、特に高橋はレギュラーの座を梅田高志から奪った。Template:-

2007年

エジミウソントゥーリオのボランチコンビが去り、新たにジュニオール・マラニョン宮沢正史を穴埋めとして補強した。しかし、その二人が組んだ新ボランチコンビが機能せず、第7節 横浜F・マリノス戦で0-5、第8節 ガンバ大阪戦で0-4と、大量失点で負ける試合も少なくなかった。第13節には最下位の横浜FCにも1-2で敗北を喫するなど不振が続き、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内である17位と低迷した。

J1残留のためにリーグ後半戦をリベンジ16と銘打ち、アルビレックス新潟より鈴木慎吾、元アビスパ福岡ホベルト、そして3度目の加入となるエジミウソンの「リベンジ三戦士」を獲得した。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、コンスタントに白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた大宮アルディージャとの直接対決で、激しい雨の中後半43分に前田俊介が劇的なゴールを決め2-1で勝利、残留をほぼ確実にした。その2節後の第33節 ジュビロ磐田戦を1-0で勝利しJ1残留を確定させた。Template:-

2008年

チームの財政事情もありシーズン前に梅崎司松橋章太三木隆司等主力級選手が他クラブに次々と移籍。その穴を埋めるべく、ガンバ大阪よりオリンピック代表としても期待された家長昭博、前サンフレッチェ広島で、歴代外国籍選手のゴール数1位の記録を持つウェズレイらを獲得した。また、マスコットであるニータンもこの年に誕生した。

ところが、シーズン前に家長が実戦練習中に負傷、全治6ヶ月の大怪我を負い、不安が残る中での開幕を迎えることとなる。しかし、その代役に抜擢された2年目の金崎夢生が見事な活躍をみせる。更には守備陣が好調を維持し、リーグトップレベルの堅守(サッカーイタリア代表の「カテナチオ」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「カメナチオ」と呼称)をみせ、J1リーグ過去最少の24失点(1試合平均0.706点)を記録した。ナビスコカップでは見事優勝を果たし、クラブ初のタイトルを獲得した。九州のチームがJリーグの主要タイトルを獲得するのは初めて。また、J2からスタートしたチームとしてはFC東京に次ぎ5年ぶりで、西日本のチームとしても前年のガンバ大阪に続いての制覇となった。

一方、Jリーグでも優勝争いを演じ、チーム最高の4位でシーズンを終え、前述のナビスコ杯制覇も含めクラブとしても大きく成長したシーズンであった。ただ、得点数が33得点(リーグワースト2位)と攻撃力不足の改善が来期以降の大きな課題となったシーズンでもあった。Template:-

2009年

2009年の補強はヴィッセル神戸から坪内秀介を期限付きで獲得と新人2人と非常に少ない補強となったが、FC岐阜にレンタル移籍していた梅田高志と、ベガルタ仙台にレンタル移籍をしていた宮沢正史の2人のベテランがそれぞれ復帰。一方、主力の退団はレンタル移籍で加入していた小林亮ほどで、ほぼ前年と同じメンバーで戦う事となった。シーズン開幕前に、ロサンゼルスで行われたチーム史上初の国際大会となるパンパシフィックチャンピオンシップ2009にナビスコカップ優勝チームとして出場し、3位となる。

しかし、リーグが始まると、パンパシ杯があるにも拘らずチーム始動が遅く、フィジカルトレーニングが充分に行えなかった事や、九州石油ドームの芝の張り替えに失敗した事による怪我や累積警告で、多くの主力選手の欠場が相次ぎ、最下位に低迷。5月23日のサンフレッチェ広島戦で敗戦を喫した事で10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった。その後も負け続け14連敗、それによって1勝1分15敗(勝ち点4)の最下位でシーズンを折り返す。このため、同月14日に成績不振によりシャムスカの解任を発表。後任にはかつて広島でコーチを務めたランコ・ポポヴィッチが就任した。7月18日の第18節・浦和戦では強化部の松山博明が監督代行を務め、1-0で浦和に勝利。これで連敗を14で止め、3月21日の第3節・新潟戦以来の勝ち点、3月14日の第2節・京都戦以来の勝ち星をあげた。

その後、4連敗があったもののチームの状態は少しずつ上向いたが、チームを残留圏内まで浮上させるには至らず、翌30節の京都戦(勝利が残留の必要条件)で引き分け,リーグ戦4試合を残して、J2降格が決定。次年度は2002年以来8シーズンぶりにJ2で戦うこととなった。J1在籍期間は7年にとどまることとなり、九州のJリーグクラブとしてそれまでJ1在籍期間(J2との分割前を含む)が最も長かったアビスパ福岡の在籍期間計7年(1996―2001年、2006年)に並ぶも、追い抜くことはできなかった。しかし、9月13日のジュビロ磐田戦から10戦負けなし、またこれまでリーグ戦未勝利だった千葉にも2-0で快勝するなど10戦負けなしでリーグを終了し、リーグ終盤に遅ればせながらチームの復調を遂げた結果、最下位は免れた。

8月5日にはスルガ銀行チャンピオンシップ2009OITAが開催され、コパ・スダメリカーナ王者・SCインテルナシオナルと対戦し、1-2で惜敗。

一方、連覇を懸け望んだナビスコ杯予選は、終盤に追いつかれる等勝ち切れない試合が多く、結局無敗(1勝5分)ながら予選敗退となった。ただ、最終節の新潟戦は2-1で勝利し、リーグ戦も通算して実に17試合振りの公式戦白星を挙げた。

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2010年

後述するように、チームの経営危機で強化費を削減。そのため、ポポヴィッチ監督を含む実にチームの3分の1以上の選手・スタッフを放出。新監督には前副社長の皇甫官が2005年以来5年ぶりに指揮を執ることになった。

補強の面では、ユース・大卒選手を3人獲得、更には現韓国代表のキム・ボギョンチャン・ギョンジンの二人の韓国人選手をレンタルで獲得、また、一度は戦力外となった選手の再契約などで限られた予算の中で放出した選手の穴埋めを行った。

6月1日南アフリカW杯に向けた韓国代表メンバー23人に、当クラブ所属のキム・ボギョンが選出され、クラブ史上初のW杯代表が誕生した。

チームの特徴

アウェーでの大物喰い

シャムスカ監督就任後、上位陣のチームに対して勝利する番狂わせを演じている。特にアウェー戦での「大物喰い」が目立つ。アウェーで勝利した「大物」は以下の通り。

2005年はG大阪、浦和に勝ち、C大阪、鹿島にも勝ち点3を与えなかったことが優勝争いを混沌とさせた一因になった。その結果、シャムスカ就任後は「大分は手強い」と他チームから評されるようになっている。

一方、ホームでは、2007年現在、強豪である浦和や川崎とは2005年以降2勝1分けである。中でも2007年の対浦和戦は後半44分、土壇場でドローに持ち込むという劇的な試合を演じている。

開幕戦

  • 2003年に念願のJ1入りを決めて以来2007年までの5年間、年間開幕試合に勝ち星を挙げることができなかったが、2008年の清水エスパルスとの対戦で開幕戦初勝利を挙げた。
  • 開幕戦の対戦相手には「大分の呪い」と呼ばれるジンクスが存在する。
  • 近年、ホーム開幕戦に大分県知事の広瀬勝貞が来ることが多く、広瀬が挨拶で「勝つぞー!」と言うとその試合の勝率がいい。2010年現在で3連勝している。

サッポロビールサンクスデー

J1昇格後、年に1回開催されるサッポロビールがマッチスポンサーにつく「サッポロビールサンクスデー」では2009年の開催までで5勝1分1敗と抜群の相性の良さを誇っている。2009年、天敵の千葉を相手に敗戦、「サッポロビールサンクスデー」初の黒星となった。

他チームとの相性

  • 顕著に苦手としているのがジェフユナイテッド市原・千葉である。大量失点で敗れている試合も多く、中でも2007年の第23節では0-6で破れチーム最多失点記録を更新、不調の最中の千葉に久々の白星を与えてしまう程である。2005年に千葉が初勝利した相手も大分だった。しかし、2005年のホームゲームでは負けたものの好ゲームを演じており、それは当時監督だったイビチャ・オシムも賛辞を送ったほどである。2007年の第87回天皇杯4回戦で初勝利を挙げて以降、再び勝てない試合が続いていたが、2009年のアウェー戦でリーグ戦初勝利を挙げた。
  • 千葉と同じく、千葉県にホームタウンを持つ柏レイソルとの対戦成績を見ても、ドローが多く、やや分が悪かったが、近年は五分五分の成績である。
  • 浦和レッズにはJ2時代から2004年までは全く勝てなかった。しかし、2005年以降はホームでは1度も負けていない。シャムスカの就任後はアウェーゲームを含め、ほぼ互角の勝負を演じている。2009年には、チーム状態は最悪であったにもかかわらず、5月のナビスコカップでは1-1の引き分け、7月のリーグ戦でも、14連敗によりシャムスカが引責辞任した直後という状況下で1-0で勝ち、5年連続ホームでの浦和戦無敗を継続している。
  • 大宮アルディージャとはJ2からの通算成績では勝ち越しているが、J1での成績は五分である。アウェーゲームに関しては、J1昇格を決めた試合やさいたま市大宮公園サッカー場改装後の杮落としなどエピソードが多いカードである。
  • 横浜FCにはJ2時代からカップ戦などを含め一度も負けがなかったが、2007年Jリーグ第13節で初黒星を喫した。
  • 川崎フロンターレとは、リーグ戦で大分ビッグアイでは無敗である。2007年は当時絶不調だった大分が2-0で勝利するという大番狂わせを起こした。2008年は前半15分からDF深谷の退場で数的不利になった大分だったがスコアレスドローに持ち込んでいる。川崎の関塚隆監督(当時)が2006年、2007年と2年連続で九州石油ドームで退席処分となる珍記録がある。2009年のホームゲームではJ2への降格が決まっていることと経営問題が取りざたされる中のゲームで、前節首位だった川崎に勝利、川崎にとってはリーグ優勝を逃す痛恨の敗戦となった。
  • アルビレックス新潟には、J1では2005年まで0勝4敗と相性が悪かったが、2006年以降は4勝4分けでカップ戦まで含めても負けていない。J2からの戦績は五分五分で、サポーター同士ではそのような意識は特別持っていないが、雑誌では「ライバル」であるかのような記述が見られる。
  • 清水エスパルスは分がいい相手だった。しかし、2005年のホームゲームの快勝以降、清水が上位に進出するようになると勝てなくなり、2008年の開幕戦まで大分は勝利することができなかった。シャムスカが監督に就任してから勝てなくなった珍しい例である。しかし、2008年度のリーグ戦では1勝1分で、ナビスコカップ決勝では2-0で勝利しているため、苦手意識は払拭されている感はある。2009年のホームゲームでは「勝たなければJ2降格」という状況下、前節首位だった清水を逆転勝利で下し、この試合での降格を回避した。
  • ヴィッセル神戸との相性がよい。特に2007年は高橋大輔がシーズン10得点のうち4得点を挙げている。上述のように、週末のアウェーではフェリーを使ったサポーターが大挙する。しかし、2008年、2009年とアウェーゲームを落とし、特に2009年はホームでも黒星を喫し、初めて神戸にシーズン成績で負け越した。
  • 同じ九州にホームタウンを持つ、アビスパ福岡サガン鳥栖にはめっぽう強く、2006年までのJリーグの公式戦では負けたことがなかった(但し旧JFL時代や天皇杯では負けもある)。2010年5月9日、J2公式戦において初めて鳥栖に敗れた。さらに、同年6月13日の試合では福岡を相手に初黒星を喫した。詳細は九州ダービーの当該項参照。
  • 名古屋グランパスには、2005年までは苦手としていたが、シャムスカ監督就任後の2005年に2-0で完勝。翌年にもアウェーで3-0で完勝している。またかつての名古屋のエースストライカーであったウェズレイの加入以降は、ほぼ互角の対戦成績となっている。なお、2009年のホームでは0-1で負けていた後半ロスタイムに高松大樹東慶悟が得点を挙げ、逆転勝利を収めた。

チームの補強

資金力に乏しい地方クラブという事情もあり、大物選手(特に日本人)の獲得は難しい状況にある。その為、若手の育成やレンタルでの補強がチーム強化の生命線といっても過言ではない。

若手の育成

  • ユースチームは発足からしばらくの間は目立った成果を残せていなかった。しかし、西川周作梅崎司日本代表に名を連ねるまでに成長した他、2005年に福元洋平、2007年には小手川宏基がユース在籍中に抜擢されトップチームでの出場を果たしている。ユース下部組織に関しては皇甫官がトップで指揮を執る前に指導してきたところによるものも大きいとされ、彼は2006年から「育成部部長」に就任、下部組織のスタッフとしてトリニータに復帰した。現在も若い選手をトップに送り込むために厳しく教育している。
  • 一方で、高校・大学からのスカウトでも実績をあげている。2005年は深谷友基、2006年は高橋大輔が加入1年目にしてトリニータに欠かせない選手となった。また、西川や梅崎と同様にA代表にまで登りつめた高松大樹金崎夢生森重真人もそれぞれの高校からの入団選手である。

このようなトップチームの強化策を継続してきた結果、今ではスタメンの半分以上が生え抜きで占められることも多くなり、毎年着実に順位を上昇させていく原動力となっている。

レンタルでの補強

  • 最近では上本大海藤田義明鈴木慎吾森島康仁前田俊介などが活躍し、そのまま完全移籍で獲得した。レンタル移籍からそのまま完全移籍になる選手も多いことから「借りパク(借りてそのままパクる、の意)」などと揶揄されることがあるが、それは選手の埋もれていた才能を発揮させているということでもあり、レンタル補強で結果を出している、とも言える。

エピソード

カラーボード

開幕戦など重要な試合ではサポーターがカラーボード(人文字)を掲げて試合を盛り上げる。

  • 過去にはサポーターの背番号である「12」や「GO!2006」、「OITA」などの人文字を作っている。
  • あくまでホームゴール裏のみで、浦和が埼玉スタジアムで行うような、スタジアム全体ではない。
  • アウェーでは九州ダービーとなった2006年の福岡戦で行なった。このときはアウェー席から青と黄色のカラーボードを掲げた。福岡サポーターからも拍手が上がったほどで、監督のシャムスカや選手達は「ホームかと思った」というコメントを残した。
  • 2008年、国立競技場でのナビスコカップ決勝戦でも掲げている。これまでで最大規模であり、カラーボードも決勝進出にあわせて有志が追加作成したものである。

大分の呪い

J1昇格後、開幕戦で対戦したチームがJ2に降格、または下位に低迷するため、一部で「大分の呪い」として恐れられている。ちなみにいずれも大分に勝利したチームである。

※いずれのチームもシーズン途中で監督が交代している。

しかし2007年は、アルビレックス新潟が第18節で3位まで上がり、過去最高の6位という成績でシーズンを終了、2008年も、清水エスパルスは序盤こそ下位に低迷したが、5位でシーズンを終えている。2007年は引き分け、2008年は大分が勝利したため、この呪いは消えつつあるか、大分に勝利しないと発動しないのではないかと言われている。

守備放棄試合

2003年3月8日ナビスコ杯・対京都パープルサンガ戦(西京極)でその出来事は起こった。スコア1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都・松井大輔がボールを一旦フィールドの外に出した。

京都側がボールを出したので大分ボールのスローインとなる。サッカー界ではこのように試合を中断させるためにわざとボールを出した場合、相手(この場合は京都)にボールを返すのが「暗黙の了解」とされている。ボールを受けた寺川能人も京都の選手に向かって蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットし、そのまま強引にボールをゴールに押し込んでしまった。あくまで「暗黙の了解」であるため、ルール上は大分の得点として認められる。しかし京都側はマナーに反する行為であるとして猛烈に抗議し、会場は一時騒然となった。

その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二は選手に対し守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。

奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合だった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、日本サッカー協会川淵三郎キャプテンは大分の守備放棄という行為に対して「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。

しかし「いくら暗黙の了解を破られたといっても、ロドリゴのゴールを防ぐことができなかった京都にも問題はある」という声もあり、この出来事は「フェアプレーとは何か」という大きな問題をサッカー界に投げかけた。

サポーター居残り事件

2007年6月30日のJリーグ前半戦最終日、ホーム九州石油ドームでの対横浜F・マリノス戦にて、0-3にて惨敗。連敗続き、そして自動降格圏17位でチームに対し、約1000人のサポーターがスタジアムに試合終了後2時間居残り、不甲斐無いチームや経営陣への不満を爆発させた。サポーターに対し、一度はスタッフが説明を行ったが、「社長出て来い」とサポーターは収まらず、最終的にはシャムスカ監督と話し合いを行った後に溝畑宏社長がサポーターの前に現れ、「本当に、すいません。近日中に、サポーターとの話し合いの場を設ける」ことを約束した。この試合は午後7時からで9時に試合終了のナイトゲームだったため、事態は深夜までかかったという。その後、7月8日にサポーターズカンファレンスが行われ、経営陣とサポーター代表との話し合いが持たれた。

リベンジ16

上述の居残り事件を受け、危機感をより強く感じたチームは、2007年リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打って巻き返しを図った。「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾ホベルトエジミウソンを獲得、即戦力の補強を行なうと、「リッジー」がこのプロジェクトのキャラクターとして登場し、これを盛り上げた。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、「前半戦で降格圏内にいるチームはJ2に降格する」というジンクスを見事に破り、J1残留を果たした。

「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜F・マリノスについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)だったことから、2008年のホームゲームで「リベンジ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。

夜8時キックオフ

2009年第23節のヴィッセル神戸とのホームゲームは、当初本来開催されるべき8月22日8月23日を含めた8月19日から8月24日まで、九州石油ドーム・大分ビッグアイで全国中学陸上競技大会が開催されたため、開催日時未定で当初発表されたが、その後8月24日の中学陸上最終日の競技終了後、会場の観客入れ替えや設営作業などのため20時からと、通常のナイターでは異例の時刻での開催となった。

なお当時ビッグアイは芝生のコンディション問題が指摘されていたため、大分市営陸上競技場での振り替え開催処置を取ることも検討されていたが、興行的な問題もあるため、当初の予定通りビッグアイを使用した。

経営問題

スポンサー問題

2005年になって、前ユニフォーム胸スポンサーの小室哲哉が代表を務めるレコードレーベル・企画会社トライバルキックスのスポンサー料未払い問題が発覚し、クラブの債務超過が問題となりチーム存続の危機に立たされた。大分県スポーツ文化振興財団が資本を2億円融資(2009年10月現在約1億2千万の債務)、さらに6月にユニフォーム胸スポンサーとなったマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入したことにより、当面の危機は回避された。このスポンサーに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、特例として認められた。

なお、このスポンサーが本当に抵触するのかどうかの結論ははっきり出ていない。過去にはリーグスポンサーにパチンコ製造メーカー(平和)や消費者金融が傘下にあるノンバンクが名を連ねていたことがあり、鹿島アントラーズプロミスがパンツ部分のユニフォームスポンサーになっていたことがある。現在は「スポンサー自粛カテゴリー」として「本体もしくは傘下企業がパチンコホールを経営している場合はアウト」となっているとのことで<ref name=press090914>大分トリニータ スペシャルスポンサー「株式会社マルハン」とのスポンサー契約について(2009年9月14日)</ref>、実際アビスパ福岡の大株主である大都技研も、子会社にパチンコホールがあることを理由にユニフォームスポンサーを断られている。

Jリーグ側はマルハンのトリニータを通じた社会貢献活動を評価しているが、「テレビ放映の規制等の問題より来期以降のユニフォームスポンサーは継続は難しい」との見解を出している。2007年以降もマルハンとスポンサー契約を結んでいるが、もしこのままユニフォーム胸スポンサーが承認されない場合、クラブ側は他企業にこの枠を与えることはせず、胸部分を空白(またはチームロゴ)にする方針だとコメントした。実際に2009年8月29日フォーリーフジャパンが胸スポンサーに就くまでは胸の部分が空白のままだった。また、マルハンの韓昌祐会長も「胸スポンサーという形でなくとも、トリニータを今後とも応援していきたい。」とこの件に関する2006年12月2日のマルハン・大分FC共同記者会見で明言している。

しかし2009年9月14日に、「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由に、ついにマルハンがスポンサーを撤退することが発表された<ref name=press090914 /><ref>大分、マルハンが来季のスポンサー撤退 - sanspo.com・2009年9月14日</ref>。またフォーリーフジャパンについてもスポンサーとしての適格性に対してサポーター・関係者から疑問符がつけられており(詳しくはフォーリーフジャパン#トリニータのスポンサー問題を参照)、スポンサー問題が現在も大きな経営課題となっている。

一部報道<ref>参考資料 西日本スポーツ 2010年5月14日付「トリニータ株を大分商議所取得 経営再建へ 筆頭株主に」</ref>によると、トリニータの筆頭株主であった「ティエムシー(旧・ペイントハウス)」が保有していた株式を大分商工会議所が買い取る方針であると伝えられた。ティエムシーは大分FCの法人化後の1999年に筆頭株主に就任していたが、本業の経営環境が悪化し破産宣告を受けていた。

観客動員

入場料収入に直結してくる観客動員数は2007年度が19,759人。これは浦和レッズアルビレックス新潟FC東京横浜F・マリノスに次いでJ1で5番目である。J1昇格後は、各年で平均2万人を超える動員を維持しているが、今後はクラブが打ち出している「3万人プロジェクト」の達成のためにより一層の工夫などが求められる。2006年までは、観客動員数はほぼ横ばいで推移してきたが、2007年から減少傾向である。地元サポーターの動員力はあるが、アウェイサポーターは浦和戦を除き少ない。理由としては2008年時点でJ1の18クラブ中14クラブのホームタウンが東日本にあり、相手チームから見ると長距離かつ大分県の交通事情が芳しくない為平日や日曜開催の試合に行けないことや、交通費が掛かること等が挙げられる(2003年には横浜FMサポーターが「大分遠すぎ」という横断幕を掲げ話題になった)。従来は無料招待に依存していた部分もあったが2006年から原則的に一般への無料招待を廃止しており、有料入場者を増やし入場料収入を得ることも経営問題を解決する一つの手段であるといえよう。なお、「地域招待」等に関してはマルハンシート等を活用している。

2010年シーズンは開幕前に売り切るはずであったシーズンパスが目標としていた13000席を半分程度しか売り切れず(最終販売数8289席)、急遽販売期間を4月25日まで延長(但し、大分市のクラブ事務所と大分銀行ドームでの主管試合開催日のみ)した。それでも、入場者数の減少に歯止めがかからず、2010年にはリーグ戦で1万人割れを記録してしまった。

公式試合安定開催基金

2008年から続く世界的な経済情勢の悪化もあり、2009年1月期現在で累積赤字が11億円、債務超過額が5億5800万円を計上<ref>Template:PDFlink</ref>。更には成績不振による入場料減収や監督交代に伴う人件費増加、主要スポンサーであるマルハンの撤退<ref>マルハン スポンサー撤退へ 大分に合計約13億円支援 西日本新聞 2009年9月15日付</ref>、ユニフォーム胸スポンサーにフォーリーフジャパン内定後の騒動(上記#スポンサー問題参照)やユニフォーム背中スポンサーのオメガプロジェクトHD役員逮捕に伴うスポンサー料収入減見込み<ref>大分、スポンサー撤退でさらに経営難に 報知新聞 2009年11月11日付</ref>、翌2010年度の運営費を前倒しで使う自転車操業のような経営方針もあいまって<ref name="OHITAGODO20091117">【トリニータ】「運営費7-8億円不足」大分合同新聞(ウェブ魚拓) 2009年11月17日付</ref>、2009年11月現在でリーグ戦残り3節(うちホーム2試合)の運営が困難な状況になった。

そのため2009年11月11日、日本プロサッカーリーグが設立した公式試合安定開催基金からの緊急融資を申請することが発表された<ref>Jリーグ「公式試合安定開催基金」借入申請について 大分トリニータ公式 2009年11月11日付</ref>。既に2010年度からJ2に降格していることが決定しているとはいえ、J1に所属しているクラブが同基金からの融資を申請するのは史上初となる<ref name="MSN20091111">【Jリーグ】大分が運営費不足で融資を申請、J1では初 MSN産経ニュース(ウェブ魚拓) 2009年11月11日付</ref>。申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていた<ref name="MSN20091111">/</ref>が、同月16日広瀬勝貞大分県知事が定例記者会見で本年度のみで約4億円不足すると異例の発表を行った<ref name="OHITAGODO20091117">/</ref>。

翌11月17日、Jリーグ理事会にて融資を決定、当初3億5千万円、2010年1月末に2億5千万円、合計6億円を融資すると発表した。ちなみに基金10億円のうち過半数を今回の融資で使った事になる。この会見で鬼武健二Jリーグチェアマンは「経営破たんに近い、あってはならない経営」と発言している<ref>【トリニータ】3億5千万円融資大分合同新聞 2009年11月17日付</ref>。これを受け同月20日、溝畑宏社長が12月5日の公式戦終了後に引責辞任すること、辞任後は皇甫官副社長が社長代行に就任することが発表された<ref>「新しい発展のため、けじめ」 J1大分溝畑社長辞任西日本新聞 2009年11月21日付</ref>ものの、12月12日、皇甫副社長および原靖強化部長が辞表を提出、受理されたため、青野浩志経営企画部長が代表取締役代行を務めることとなった<ref>J大分 溝畑社長・皇甫副社長ら辞任 読売新聞 2009年12月13日付</ref>。その後の調べで、実質債務超過額が9億円以上になると判明した<ref name="oitagodo091218">再出発、よみがえれ!トリニータ(11) 大分合同新聞 2009年12月18日付</ref>。

チーム側は再建計画書をJリーグに提出するも、12月14日のJリーグ理事会で追加融資分2億5千万円の承認が否決された。理由は「12月10日までに後任の社長が決まるはずが未だ決定していない上、運営予算も年間9億円規模が望ましいとしたのにチームから提出された予算では11億円規模となっており経費削減が不十分」というもの<ref name="oitagodo091218" /><ref>大分へ追加融資見送り J理事会「再建計画不十分」 - 読売新聞・2009年12月15日</ref>。同年12月23日のJリーグ臨時理事会でも同様の理由により否決されたため、チーム側ではやむを得ず地元銀行からのつなぎ融資を受け当座の資金を確保<ref>大分FCへつなぎ1.5億円 地場金融融資 - 大分合同新聞・2009年12月25日</ref>した。

一方で大分県では、県や地元企業らが中心になって新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足<ref>【トリニータ】「県民会議」が発足 - 大分合同新聞・2009年12月13日</ref>。また大分市では市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面「5000万円を目標」として募金を募っている<ref>大分トリニータ 市長「J1復帰へ資金集め」 - 日経ネット九州版・2009年12月15日</ref>。ただ大分県内でもチーム支援に対する考えは地域によって温度差があり、大分市以外では「なぜトリニータばかり優遇するのか」という不満の意見もある<ref>再出発、よみがえれ!トリニータ(8) - 大分合同新聞・2009年12月15日</ref>。

その後、青野浩志が新社長に就任し運営予算を削減した計画書を再提出、2010年1月19日Jリーグ理事会は新社長就任と地元のサポートが得られたことを確認し残り2億5千万円の追加融資が決定するも更なる予算圧縮を要望<ref>Jリーグ、トリニータに追加融資を決定 - 大分合同新聞2010年1月20日</ref>、同年2月16日予算を更に修正した計画書を再々提出し追加融資が正式に了承された<ref name="houch20020216">東京Vと異例の文書締結 - 報知新聞2010年2月16日</ref>。ちなみに同年4月27日に開催された株主総会では、2010年1月末時点で債務超過額が11億6700万円にも達していることが明らかにされている<ref>【トリニータ】債務超過6億円増 - 大分合同新聞・2010年4月28日</ref>。

なお、融資完済と債務超過が解消するまでJ1昇格は認められず、たとえJ2で3位以上になっても大分を除外した2チームがJ1昇格することになる<ref name="houch20020216" />。また現状の再建計画では、J1昇格が認められる債務超過額1億円を切る目安が2012年1月となるため<ref>大分が再建方針を発表=J1復帰「3年後が目安」 - 時事通信・2009年12月11日</ref>、少なくとも2012年度まではJ1昇格は認められないことになる。

またトリニータ再建支援のため、九石ドーム改め、大分銀行ドーム・ビッグアイの使用料金を全額減免する処置を行った。

その他

  • 毎年のようにオフには主力選手の流出が話題に上り、資金繰りに苦労するなど、世界的に見られる地方クラブの傾向が顕著である。しかし、若い世代の台頭に見られるように育成には定評がある。
  • 従来大分では、「レディーススクール」や「スキルアップスクール」等で登録チームを持たない形での女子サッカー選手の育成を行っていたが、将来なでしこリーグ参入を視野に入れ、下部組織としてJFA登録の女子サッカーチーム「大分トリニータレディース」を2007年4月に発足。2006年10月に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグを優勝、続く九州各県女子リーグ決勝大会も優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに昇格した。
  • 地域スポーツ振興への取り組みも本格化し、2006年9月には下部組織として野球のリトルシニアチーム「大分東リトルシニア」を設立した。
  • J1に昇格した2003年から降格する2009年まで、2006年以外はJ1で唯一の九州に本拠地を置くチームとなっていた。大分にとってはアウェイゲームはほとんどが長距離移動を強いられるため、それによる選手の疲労を心配する声も少なくない。
    • サポーターにとってもアウェイゲームは長距離移動になるが、大分市別府市からフェリーで関西へ行けるため、関西や名古屋での試合ではフェリーを使ったツアーが組まれ、比較的盛況である。広島や神戸などではアウェイにもかかわらず、ゴール裏サポーターの数はホームと同等程度にまでなることがある。
  • 日本文理大学と提携し、スポーツビジネス分野の講義に協力している。また、トリニータのOBである岡中勇人が大学のサッカー部の監督に就任している。
  • 2008年、ビジネスジャンプの増刊誌『BJ魂』に、木村元彦が原作を担当した漫画『大分トリニータ物語』が掲載される。
  • 2010年現在、九州地区のJリーグチームの中で唯一九州チャレンジャーズリーグに参加していない。

所属選手

Template:サッカークラブチーム選手一覧 開始 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 中央 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 終了

チーム成績・歴代監督

所属順位勝点試合勝利引分敗戦天皇杯ナビスコ杯監督
1994年大分県1部優勝101000--文正植
1995年九州優勝471816-2--
1996年旧JFL10位393013-173回戦敗退-
1997年12位293011-192回戦敗退-朴景和
1998年6位453015-153回戦敗退-フォルミーガ
1999年J23位6346213123回戦敗退2回戦敗退石崎信弘
2000年3位8140263113回戦敗退1回戦敗退
2001年6位7844254153回戦敗退2回戦敗退石崎信弘/小林伸二
2002年優勝9444281064回戦敗退-小林伸二
2003年J114位2630511144回戦敗退予選敗退
2004年13位303086164回戦敗退予選敗退ハン・ベルガー
2005年11位4334127155回戦敗退予選敗退皇甫官アーリ・スカンズ(代行)
シャムスカ
2006年8位4734138135回戦敗退予選敗退シャムスカ
2007年14位4134125175回戦敗退予選敗退
2008年4位5634168104回戦敗退優勝
2009年17位303486203回戦敗退予選敗退シャムスカ/松山博明(代行)
ポポヴィッチ
2010年J236-皇甫官

対戦通算成績

  • 2009年シーズン終了時点
対戦クラブ J1 J2 ナビスコ杯 天皇杯 合計
コンサドーレ札幌 1 0 1 3 4 (3) 1 1 1 0 1 1 6 6 2
ベガルタ仙台 0 1 1 9 (2) 3 0 - - - - - 9 4 1
モンテディオ山形 0 1 1 7 6 (2) 3 - - - - - 7 7 4
鹿島アントラーズ 2 8 4 - - - 1 1 0 0 1 3 10 4
水戸ホーリーホック - - - 8 (1) 3 (1) 1 - - - - - 8 3 1
栃木SC - - - - - - - - - - - - - -
ザスパ草津 - - - - - - - - - 1 0 1 0 0
浦和レッズ 5 7 2 0 3 1 2 2 1 - - 7 12 4
大宮アルディージャ 4 4 2 9 6 (2) 1 2 0 1 - - 15 10 4
ジェフユナイテッド千葉 1 11 2 - - - 0 4 2 1 0 2 15 4
柏レイソル 3 3 6 - - - 1 0 1 - - 4 3 7
FC東京 4 6 4 0 3 (1) 1 1 3 1 - - 5 12 6
東京ヴェルディ 3 5 0 - - - - - - 1 2 4 7 0
川崎フロンターレ 3 4 3 8 2 2 0 2 0 0 1 11 9 5
横浜F・マリノス 4 8 2 - - - 0 1 1 0 1 4 10 3
横浜FC 1 1 0 8 0 0 2 0 0 - - 11 1 0
湘南ベルマーレ - - - 7 3 (1) 2 1 0 1 - - 8 3 3
ヴァンフォーレ甲府 2 2 0 14 (1) 1 1 - - - 1 0 17 3 1
アルビレックス新潟 4 4 4 7 6 (1) 3 2 0 1 - - 13 10 8
カターレ富山 - - - - - - - - - - - - - -
清水エスパルス 6 4 4 - - - 1 2 0 - - 7 6 4
ジュビロ磐田 4 8 2 - - - 0 3 2 0 1 4 12 4
名古屋グランパス 4 7 3 - - - 0 1 1 - - 4 8 4
FC岐阜 - - - - - - - - - - - - - -
京都サンガF.C. 5 0 3 1 3 0 2 1 1 0 1 8 5 4
ガンバ大阪 5 9 0 - - - - - - 0 2 5 11 0
セレッソ大阪 3 3 2 1 1 2 - - - 0 1 4 5 4
ヴィッセル神戸 6 4 2 - - - - - - - - 6 4 2
ファジアーノ岡山 - - - - - - - - - - - - - -
サンフレッチェ広島 3 5 2 - - - 0 0 1 - - 3 5 3
徳島ヴォルティス - - - - - - - - - - - - - -
愛媛FC - - - - - - - - - - - - - -
アビスパ福岡 1 0 1 3 0 1 - - - - - 4 0 2
ギラヴァンツ北九州 - - - - - - - - - - - - - -
サガン鳥栖 - - - 15 0 1 - - - 0 1 15 1 1
ロアッソ熊本 - - - - - - - - - - - - - -
通算 66 85 45 100 (4) 44 (13) 20 12 20 8 5 12 183 161 73
  • 括弧内はVゴールでの決着

国際試合

開催年月日 大会名 対戦相手 会場 スコア 勝敗
2006年8月6日プレシーズンマッチTemplate:Flagicon 慶南FC九州石油ドーム3-0勝利
2007年2月12日プレシーズンマッチTemplate:Flagicon 上海申花九州石油ドーム1-0勝利
2009年2月18日パンパシ2009準決勝Template:Flagicon ロサンゼルス・ギャラクシーホーム・デポ・センター0-2敗戦
2009年2月21日パンパシ2009三位決定戦Template:Flagicon 山東魯能ホーム・デポ・センター2-1勝利
2009年8月5日スルガ銀行CS2009Template:Flagicon SCインテルナシオナル九州石油ドーム1-2敗戦

クラブ記録

試合記録

リーグ戦連続無敗記録

リーグ戦ホーム連続無敗記録

連続無失点試合

ホーム最多連勝記録

リーグ戦最多連敗記録

  • 14連敗(2009年4月4日J1第4節 浦和レッズ戦 〜 7月13日第13節 ジュビロ磐田戦) ※J1ワースト3位、延長戦廃止後ワースト1位

得失点記録(Jリーグ加盟後)

最多得点試合

ホーム

  • J1:5-0(2005年第27節 清水エスパルス戦)
  • J2:5-0(2002年第17節 川崎フロンターレ戦)他4試合

アウェー

最多失点試合

ホーム

  • J1:0-4(2003年第12節 ジュビロ磐田戦)他4試合
  • J2:2-4(1999年第20節 FC東京戦)

アウェー

  • J1:0-6(2007年第23節 ジェフユナイテッド市原・千葉戦)
  • J2:0-5(1999年第3節 大宮アルディージャ戦)

その他

年間総失点数

  • 24失点(1試合平均 0.706点、2008年)※J1最少記録
    • ホーム 9失点(1試合平均 0.529点)、アウェー 15失点(1試合平均 0.882点)

リーグ戦年間完封試合数

  • 34試合中17試合(2008年)

獲得タイトル

個人別タイトル

Jリーグアウォーズ

ヤマザキナビスコカップ

  • MVP
  • ニューヒーロー賞
    • 2008年 金崎夢生

ホームスタジアム・練習場

ホームスタジアム

  • 現在は大分銀行ドームをホームスタジアムとして登録している。
  • 1999年のJ2加盟時は大分市営陸上競技場を本拠地として登録。
    • 2001年に大分ビッグアイ(2006年-2009年は九州石油ドーム)が完成してからはこの2ヶ所併用で本拠地登録した。ただし、2002年までは2002 FIFAワールドカップ開催に備えた芝生の生育管理への配慮としてビッグアイの試合数が制限されていた。
    • 2003年にJ1昇格を果たした際、大分市営競技場はJリーグの開催規定の一つ・スタンドの椅子座席が、基準値(J1で15000人以上、J2で1万人以上)を確保できておらず、大半が芝生席(メインスタンドのみ座席)であることからホームゲームの開催会場から外され、ビッグアイに一本化された
  • 九州石油ドームの芝の養生などの関係から熊本県民総合運動公園陸上競技場(KK WING、熊本県熊本市)で年1-2回ホームゲームを実施していたが、2008年にロアッソ熊本がJ2に参入したため、原則としてトリニータ主催試合開催が不可能となった。
    • 2007年はロッソ熊本の試合後に行なわれた。10月20日にはKK WINGで、13時からロッソvsHonda FC、その後観客・看板の入れ替え作業を行い、19時30分からトリニータvs柏レイソルという同日開催となった。
    • 2004年は雷雨により中止となったが、この時に熊本県民総合運動公園屋内運動広場(パークドーム熊本)南側の駐車場が冠水し、駐車していた、約150台が動かなくなった。ところが、この駐車場はもともと洪水を防ぐために雨水を一時的に貯める、貯水池だったことから、後日大分の補償問題にまで発展する騒ぎとなった。
  • 2008年、J1第26節の札幌戦では鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場が使用された。これは、九州石油ドーム(当時)がメイン会場となる国民体育大会チャレンジ!おおいた国体が行われるための処置でもあった。また2010年のJ2第25節の札幌戦も鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場を使用することが予定されている。

練習場

2002年頃までは、リバーパーク犬飼等各地のグラウンドを転々として練習を行ってきたが、大分スポーツクラブ完成以降は、主練習場として大分スポーツクラブを使用している。

大分市営陸上競技場や、別府市野口原総合運動場陸上競技場でも練習を行うことがある。

スタジアムDJ

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色2

ユニフォームについて

  • FPユニフォームは、1stユニフォームについてはチームカラーである青を基調としている。
    • 2006年までは黄色も配色されていたが、2007年にプーマの世界戦略ユニフォームを採り入れて以降は、黄色に変わり黒が配色されている。
  • 2ndユニフォームは、2005年まではシャツ、パンツ、ソックス共に白を基調としていたが、2006年からはグレーに、2008年からは更にパンツが黒になった。ただ、2008年より使用している2ndユニフォームはグレーが濃く、特に青系の色を基調としているチームとの対戦では見づらいという意見もある。2010年はさらにグレーが濃くなっている。
  • GKユニフォームは、1stユニフォームについては2006年までは黄色を基調としていたが、2007年より黒を基調としたユニフォームとなっており、黄色は2nd以降のユニフォームとして使われている。2010年より、1stは赤を基調としたものになった。

ユニフォームのあれこれ

  • 2009年より、胸のエンブレムに星マークがつくことになった。この星マークは2008年のヤマザキナビスコカップ制覇によるものである。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
なし
背中ネットワンシステムズNet One Systems2010年-2009年は袖
なし
パンツ南九州コカ・コーラボトリングCoca-Cola2006年-2002年-2005年までは袖

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度背中パンツサプライヤー
1998年朝日ソーラー/
ペイントハウス
NEXD SOPH.みどり牛乳PUMA
1999年ペイントハウスNEXD SOPH.PAINT HOUSEPUMA
2000年ペイントハウスNEXD SOPH.PAINT HOUSEPUMA
2001年ペイントハウスNEXD SOPH.PAINT HOUSEPUMA
2002年ペイントハウスCoca ColaPAINT HOUSESOPH.PUMA
2003年ペンタくんCoca ColaTemplate:FontsizeSOPH.PUMA
2004年ペンタくん/
Tribalkicks
Coca ColaTemplate:FontsizeSOPH.PUMA
2005年–/MARUHANCoca ColaJoyfullSOPH.PUMA
2006年MARUHANJoyfullBOWSCoca ColaPUMA
2007年-JoyfullBOWSCoca ColaPUMA
2008年-JoyfullオメガプロジェクトCoca ColaPUMA
2009年-/FOUR LEAFNet One SystemsオメガプロジェクトCoca ColaPUMA
2010年--Net One SystemsCoca ColaPUMA

オフィシャルパートナー

  • マルハン
  • ソフ
  • 大分スポーツ公園利活用促進協議会
  • 大分トリニータ後援会

脚注

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関連項目

外部リンク

Template:Navboxes Template:日本プロサッカーリーグ Template:Jリーグカップ優勝チームar:أويتا ترينيتا ca:Oita Trinita de:Ōita Trinita en:Oita Trinita es:Oita Trinita fr:Oita Trinita it:Oita Trinita ko:오이타 트리니타 nl:Oita Trinita pl:Oita Trinita pt:Oita Trinita ru:Оита Тринита simple:Oita Trinita sv:Oita Trinita

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