清水エスパルス

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Template:サッカークラブ thumb|right|300px|クラブハウス 清水エスパルス(しみずエスパルス、Shimizu S-Pulse)は、日本静岡県静岡市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

クラブ概要

1991年にJリーグへ加盟。ホームタウンは静岡県静岡市(合併前は清水市)。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場(アウトソーシングスタジアム日本平、静岡市清水区村松)。チーム発足当初は静岡県草薙総合運動場陸上競技場(静岡市駿河区聖一色)を準ホームスタジアムとしており、球団事務所も静岡市駿河区栗原にあった。練習場は三保グラウンドや静岡市清水総合運動場等を使用している。チーム名の「エス(S)」は静岡・清水・サッカーの頭文字で、「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動を意味する。

沿革

Jリーグ加盟前 - 2008年まで

1992年7月4日、大阪・長居陸上競技場にてガンバ大阪と初マッチ。公式サイトではこの日を「エスパルスの誕生日」としている。

Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつであり、Jリーグを代表する強豪チームである。母体チームを持たず(厳密に言えば、Jリーグに加盟する前の結成当時は、清水FCとして静岡社会人リーグに加盟していたが、このJリーグ加盟を機に清水エスパルスへと名義変更)、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。当初は市民やテレビ静岡(静岡市)、中日新聞東海本社(浜松市)等が出資する会社株式会社エスラップ・コミュニケーションズにより運営されていたが、1997年に経営破綻。地元の大企業鈴与をはじめとした地元企業の出資により現在の運営会社、株式会社エスパルスが設立され、チームを継承した(詳細は後述)。

1991年5月設立の運営会社は資本金の約1割が市民の持ち株である。エスパルス発足当初は、地元出身の優れた選手達を補強し、特に堀池巧大榎克己長谷川健太の「清水東三羽烏」の地元への移籍は当時の清水サポーターを賑わせた。また、初代主将となる三浦泰年や新人選手として澤登正朗などを補強し、第1回ナビスコカップ 準優勝(1992年)を果たす。その後もナビスコカップ 優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)など、数々のタイトルを獲得した。

2003年シーズンは11位、2004年シーズンは14位、2005年シーズンは終盤まで残留争いをし、最終的には15位で残留を決めるなど低迷期が続いた。これらの成績の主な原因として若手選手の育成に課題があった。それまでチームはユースから大量の選手を昇格させるという方針をとってきたが、これらの選手の多くが満足に結果を残してきたとは言い難かった。その為、スカウトの充実や、ユース選手だけでなく外部からの選手の補強を図ることで、チームの復活を目指した。その結果、2005年度にデビューした枝村匠馬兵働昭弘青山直晃ら若手選手が主力として定着し、同年の天皇杯で準優勝の成績を収める。

Jリーグ戦でのトリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)の達成を目指して迎えた2006年シーズンもルーキー藤本淳吾が主力として定着し、青山直晃が日本代表に選出されるなど前年以上に若手選手が台頭。また、かつての代表である森岡隆三市川大祐伊東輝悦斉藤俊秀らも復調を果たし開幕から上位につけ、最終的に4位でシーズンを終え、目標であったトリプル5も達成(4位・勝ち点60・得点60)。一時の低迷期からの脱却に成功、強豪復活を果たした。また、12年ぶりに年間順位でジュビロ磐田を上回った。シーズン終了後には藤本淳吾が新人王を獲得する一方で森岡隆三が出場機会を求めて移籍するなど、世代交代を象徴するシーズンであった。

(※)フジテレビが資本参加していたことからJリーグ創設当初の数年間国立霞ヶ丘陸上競技場でも主催試合を一部行っていた。2006年の鹿島アントラーズとの対戦でも使われた。

2009年

新戦力として横浜FCから太田宏介を、浦和レッズから永井雄一郎を、名古屋グランパスからフローデ・ヨンセンを獲得し大型補強に成功。さらにコンサドーレ札幌期限付き移籍していた平岡康裕も復帰した。その一方で、高木和道矢島卓郎西澤明訓といった主戦力が移籍した年でもあった。

開幕戦の大宮アルディージャ戦ではスコアレスドローに終わり、Jリーグ開幕戦で初めて無得点に抑えられた。それでも夏場までは、引き分けが多い(28節までに11引き分け)ものの、負けないサッカーを展開する。特にホームでは負けることがなく、昨年から続くリーグ戦ホーム無敗記録を20まで伸ばした(ただし、その間にヤマザキナビスコカップのホームゲームでモンテディオ山形に負けている)。この快進撃はフロントに高く評価され、9月29日には長谷川健太監督の来季続投を発表した。10月3日の第28節広島戦で1対1で引き分けるも得失点差で鹿島を上回り首位に立つ。しかし首位の重圧からか第29節の負ければJ2降格となる大分トリニータにシーズン初の逆転負けをしたのを皮切りに、第30節にはFC東京戦ではシーズン初のリーグ戦ホームでの1対2での黒星になるなど、転がり落ちるように連敗を喫し、優勝はおろかACL出場権の得られる3位以内もなくなった。第34節のホーム最終戦の名古屋戦での引き分けにより連敗は5で止まり、最終的な順位は7位に終わった。また、天皇杯は準決勝で名古屋グランパスにPK戦で敗れベスト4となった。

2010年

長谷川体制6年目となる2010年シーズンは、新戦力としてジェフユナイテッド千葉からボスナーを、VfLボーフムから、地元の英雄であり3年ぶりのJリーグ復帰となる小野伸二を獲得するなど、大型補強に成功した。柏レイソルに期限付き移籍していた杉山浩太東京ヴェルディに期限付き移籍していた廣井友信も復帰した。また、鍋田亜人夢がユースチームから3年ぶりにトップ昇格を果たした。

戦術面では、それまでのリトリートして守りを固めてから速攻するスタイルからポゼッションを高めて主導権を握り続け、攻撃的な姿勢を貫くスタイルに変更し、3トップを基本の布陣とするシステムを採用した。FWの3人は頻繁にポジションチェンジを繰り返すためセンターとウイングの役割に違いは無く、動き回ってパスを引き出すという戦術を敷いている。

第9節の浦和レッズ戦で、鹿島アントラーズジュビロ磐田に続き3チーム目のJ1通算300勝を達成した。

成績

通算成績

  • 2010年第12節終了時
勝数引分負数得点失点
301 68 221 904 800

年度別成績と歴代監督

年度所属試合勝点勝利引分敗戦順位年間順位ナビスコ杯天皇杯他公式戦監督
1992年-------- 準優勝ベスト8- Template:Flagicon レオン
1993年 J サントリー18-10-84位 3位 準優勝 ベスト4 -
J ニコス18-14-4 2位
1994年 J サントリー22-16-6 2位 4位 2回戦敗退 1回戦敗退 -
J ニコス22-11-116位 Template:Flagicon リベリーノ
1995年 J サントリー26-10-1612位 9位 - 1回戦敗退 - Template:Flagicon 宮本征勝
J ニコス26-15-114位
1996年 J30-12-18- 10位 優勝 ベスト8- Template:Flagicon アルディレス
1997年 J 1st16-9-77位 5位 予選敗退 ベスト8 -
J 2nd16-10-66位
1998年 J 1st17-13-4 2位 3位 ベスト4 準優勝 -
J 2nd17-12-55位
1999年 J1 1st153010143位 2位 ベスト8 ベスト8 スーパーカップ 敗退 Template:Flagicon ペリマン
J1 2nd15351203 優勝
2000年 J1 1st152810053位 8位 ベスト8 準優勝 ACWC 優勝
J1 2nd1514528 13位
2001年 J1 1st152610054位 4位 2回戦敗退 優勝 スーパーカップ 優勝 Template:Flagicon ゼムノヴィッチ
J1 2nd1523906 4位 ACWC 3位
2002年 J1 1st15248347位 8位 ベスト4 ベスト8 スーパーカップ 優勝
J1 2nd151760912位 ACWC ベスト8
2003年 J1 1st151853711位 11位 ベスト4 ベスト4 - Template:Flagicon 大木武
J1 2nd152163610位 Template:Flagicon 大木武/Template:Flagicon 行徳浩二
2004年 J1 1st151637511位 14位 ベスト8 4回戦敗退 - Template:Flagicon アントニーニョ
J1 2nd1513411014位 Template:Flagicon 石崎信弘
2005年J1343991213-15位 ベスト8 準優勝 - Template:Flagicon 長谷川健太
2006年J1346018610-4位 予選敗退ベスト8-
2007年J134611879-4位 予選敗退ベスト8-
2008年J1345516711-5位 準優勝 ベスト8-
2009年J1345113129-7位 ベスト4ベスト4-
2010年J1-------位 ---

Jリーグ対戦通算成績

  • 2010年 第10節終了時
対戦チーム 勝利 引分 敗戦 得点 失点
ベガルタ仙台212109
モンテディオ山形30081
鹿島アントラーズ193186060
浦和レッズ214146149
大宮アルディージャ4521210
FC東京9292424
川崎フロンターレ7422315
横浜F・マリノス187165252
湘南ベルマーレ12043219
アルビレックス新潟5432018
ジュビロ磐田133204053
名古屋グランパスエイト185176060
京都サンガF.C.16234019
ガンバ大阪194186870
セレッソ大阪103113943
ヴィッセル神戸17083727
サンフレッチェ広島216105135
コンサドーレ札幌6112412
ジェフユナイテッド市原・千葉234136747
柏レイソル142144249
東京ヴェルディ141193961
横浜FC11021
ヴァンフォーレ甲府31080
アビスパ福岡11032811
大分トリニータ4462123
横浜フリューゲルス11073428

他チームとの相性と対戦成績

  • 伝統的に、上位チームに強く、下位チームに弱い傾向がある。
  • 鹿島アントラーズに通算で勝ち越している数少ないチームである(オリジナル10の中では、消滅した横浜フリューゲルスを除けば唯一)。ただし、近年はほとんど勝てておらず、通算対戦成績はほぼ互角である。
  • 苦手としているチームは、Jリーグ開幕期と現在では異なる傾向がある。開幕当時から常に相性の悪いチームは、ジュビロ磐田東京ヴェルディセレッソ大阪。この3チームには、通算対戦成績でも負け越しており、特に黄金期のヴェルディとジュビロには、ほとんど勝つことができなかった。また、タイトルのかかった試合での対戦も多く、1992年1993年ナビスコカップにはヴェルディに、1999年チャンピオンシップではジュビロに敗れたりと、清水の前に立ちはだかることが多いチームである。セレッソ大阪には、2ndステージを制し、年間を通じて圧倒的な強さを誇った1999年シーズンも唯一勝利を挙げていない。しかし、セレッソには天皇杯では分がいい。開幕当時は相性が良かったものの、近年になって相性の悪いチームは、鹿島アントラーズガンバ大阪浦和レッズが挙げられる。ここ数年、これらの3チームの対戦成績(特にアウェイ)は圧倒的に分が悪い。
  • 大分トリニータとの相性が良くない。清水の低迷期と重なったこともあるが、大分が2003年にJ1に昇格して以降、2003年 - 2005年まで勝つことができなかった。中でも2005年のアウェイ戦では、0-5の大敗を喫したほどである。その後、2006年にようやく初勝利をあげ、清水が復調し上位に進出するようになってからは負けることは減ったが、2008年シーズンではホーム開幕戦とナビスコカップ決勝で敗戦、アウェイ戦では引き分け。2009年シーズンはホームでは勝ったもののアウェイで敗北し、大分の最速降格タイ記録を阻止させてしまい苦手意識が残る相手である。
  • 大分以外の近年の昇格チームとの相性もあまり良いとは言えず、大宮アルディージャアルビレックス新潟との対戦成績は互角である。これらのチームが昇格直後の対戦は負け越していたが、現在ではほぼ五分まで持ち直している。
  • 現在ではJ2のチームも含めると、コンサドーレ札幌モンテディオ山形ジェフユナイテッド市原・千葉川崎フロンターレ湘南ベルマーレヴァンフォーレ甲府京都サンガF.C.ヴィッセル神戸サンフレッチェ広島アビスパ福岡には比較的相性がいい。
  • 川崎フロンターレを得意としている。特にJ1では、2007年シーズンにアウェイで初めて敗北を喫するまで無敗であった。現在でもホームの日本平では負けたことがない。このことから川崎は、清水とのあまりの相性の悪さに、2009年シーズンの日本平での試合で、とうとう『「何もしない」プロモーション実施』[1]と題した企画を行った程である(その試合の結果は清水が1-0で勝利し、日本平での無敗を守った)。
  • ここ最近のリーグ戦でのFC東京との対戦成績は、西暦が奇数の年は2敗、偶数の年は2勝と、相性の良し悪しが年ごとに入れ替わっている。
  • 対戦した試合数は少ないものの、モンテディオ山形横浜FC、ヴァンフォーレ甲府にはリーグ戦無敗である。
  • ヴィッセル神戸とは、20試合以上対戦して一度も引き分けがない。
  • サンフレッチェ広島とは、1995年シーズンから、実に10年以上ホームで負けていない。ただし、アウェイではほぼ五分であり、しかも勝利のほとんどが1996年までに挙げたものであり、1997年シーズン以降、アウェイで勝利したのは2006年シーズンのみである。

Jリーグでの開幕戦成績

年度 対戦相手 スコア 勝敗
1993年05月16日 横浜フリューゲルス 2-3 負け
1994年03月12日 横浜フリューゲルス 1-0勝ち
1995年03月18日 柏レイソル 3-2Vゴール勝ち
1996年03月16日 鹿島アントラーズ 1-4 負け
1997年04月12日 柏レイソル 1-0勝ち
1998年03月21日 コンサドーレ札幌 4-1 勝ち
1999年03月06日 ヴェルディ川崎 3-1 勝ち
2000年03月11日 セレッソ大阪 3-2 勝ち
2001年03月10日 柏レイソル 1-2 負け
2002年03月03日 ヴィッセル神戸 1-0 Vゴール勝ち
2003年03月22日 名古屋グランパスエイト 2-2 引分
2004年03月13日 サンフレッチェ広島1-1 引分
2005年03月05日 サンフレッチェ広島 1-1 引分
2006年03月05日 ヴァンフォーレ甲府 2-0 勝ち
2007年03月03日 ヴィッセル神戸 1-0 勝ち
2008年03月08日 大分トリニータ1-2 負け
2009年03月08日 大宮アルディージャ0-0 引分
2010年03月06日 サンフレッチェ広島1-1 引分

獲得タイトル

国内タイトル

※1 鹿島が2000年度のJ1天皇杯を優勝した為繰上げ出場

国際タイトル

※2 天皇杯1998年度大会で優勝した横浜F横浜Mと合併したための代替枠出場

個人タイトル

Jリーグ
ナビスコ杯
アジアカップウィナーズカップ
  • 最優秀選手(MVP)
    • 2000年 アレックス

その他受賞

  • 功労選手賞
    • 2002年 カルロス・サントス
    • 2006年 澤登正朗
  • フェアプレー特別賞
    • 1998年
  • フェアプレー賞 高円宮杯
    • 2008年
  • ベストピッチ賞
    • 2004年 日本平スタジアム
    • 2008年 日本平スタジアム
    • 2009年 アウトソーシングスタジアム日本平
  • 国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)世界得点ランキング 得点王
    • 2009年 - 岡崎慎司
  • エスパルス栄誉賞(1999年に制定)
    • 1999年 スティーブ・ペリマン、長谷川健太、堀池巧
    • 2000年 カルロス・サントス
    • 2002年 大榎克己
    • 2005年 真田雅則
    • 2006年 澤登正朗

クラブ記録

連勝記録

  • リーグ戦
    • 9試合 【1993年7月31日 NICOS第2節 対サンフレッチェ広島 - 1993年11月6日 NICOS第10節 対サンフレッチェ広島】
    • 9試合 【1994年3月26日 サントリー第5節 対ヴェルディ川崎 - 1994年4月30日 サントリー第13節 対ベルマーレ平塚】

連敗記録

  • リーグ戦
    • 7試合 【1996年5月4日 第12節 対浦和レッドダイヤモンズ - 1996年9月7日 第18節 対ヴェルディ川崎】

連続無敗記録

  • リーグ戦
    • 13試合 【2009年7月4日 第16節 対京都サンガF.C. - 2009年10月3日 第28節 対サンフレッチェ広島】
  • リーグ戦ホーム
    • 22試合 【2008年7月20日 第18節 対アルビレックス新潟 - 2009年10月3日 第28節 対サンフレッチェ広島】

連続未勝利記録

  • リーグ戦
    • 8試合 【2004年11月23日 2nd第14節 対セレッソ大阪 - 2005年4月16日 第6節 対大分トリニータ】
    • 8試合 【2009年10月3日 第28節 対サンフレッチェ広島 - 2010年3月6日 第1節 対サンフレッチェ広島】

最多得点記録

  • リーグ戦
    • 6-0 【1998年9月12日 2nd第4節 対アビスパ福岡】
    • 6-3 【2001年10月13日 2nd第8節 対ヴィッセル神戸】

最多失点記録

  • リーグ戦
    • 1-6 【1995年6月24日 サントリー第19節 対横浜フリューゲルス】

連続得点記録

  • リーグ戦
    • 21試合 【2009年5月5日 第10節 対ジェフユナイテッド千葉 - 2009年10月25日 第30節 対FC東京】

連続失点記録

  • リーグ戦
    • 16試合 【2005年7月13日 第16節 対FC東京 - 2005年11月20日 第31節 対柏レイソル】

連続無失点記録

  • リーグ戦
    • 6試合 【1993年8月4日 NICOS第3節 対横浜マリノス - 1993年8月28日 NICOS第8節 対ヴェルディ川崎】(J1リーグ記録

個人記録

リーグ戦通算出場記録

※2010年4月11日現在。他チームでの出場も含む。
※現在清水に所属中、もしくは、引退時に清水に所属していた選手のみ記載。

リーグ戦シーズン最多得点

リーグ戦通算最多得点

  • 85得点 - 澤登正朗

リーグ戦無失点記録

リーグ戦記念ゴール

  • 7500得点目 - 久保山由清 【2001年11月3日 2nd第12節 対ジェフユナイテッド市原】

ハットトリック

観客動員記録

年度別観客動員記録

年度 合計
動員数
最多
動員数
最少
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
備考
1993年332,31251,8258,69918,46218
1994年433,98152,2189,65219,72622第2ステージは日本平改修工事で使用できず
暫定的に草薙陸上競技場を本拠地とした
1995年513,42543,50212,61119,74726日本平改修完成(3月)
1996年194,43221,9317,34812,96215
1997年158,20817,7566,1779,88816
1998年209,06119,5449,31412,29817
1999年193,24620,0598,23712,88315初のステージ優勝
2000年186,33619,5397,35612,42215
2001年239,59652,9596,37515,97315
2002年224,44319,76311,25814,96315
2003年244,26433,67910,44516,28415
2004年203,52139,1208,23013,56815
2005年216,78421,7307,28012,75217
2006年243,13724,9209,07914,30217
2007年271,18020,31811,46015,95217アストロビジョンの設置
2008年282,19020,33013,85516,59917
2009年304,90030,8519,75617,93517ネーミングライツの導入
2010年-----バックスタンドにエレベーターを設置
4,451,016 15,401289

チームのエピソード

ヤマハ発動機サッカー部との統合案

Template:Main Jリーグ創設期の1991年、静岡県では本田技研工業サッカー部(本拠地・浜松市/当時JSL1部)が、Jリーグへの参加を早々と見送ったことにより、ヤマハ発動機サッカー部(本拠地・磐田市/当時JSL1部/現・ジュビロ磐田)と、清水FC(本拠地・旧清水市/現・エスパルス)の2チームが、Jリーグの初年度参加資格を争うことになった。

ヤマハ発動機サッカー部は、大手国際企業を母体とし、当時国内最高峰であったJSL1部に於いて無敗優勝を成し遂げる等、豊富な資金力や高い実績・ノウハウを持っていた。これ対し、清水FCは発足したばかりであった為、資金も実績も乏しく、当時は非常に不利な状況に置かれていた。しかし、ヤマハ発動機サッカー部が本拠地とする磐田市には、Jリーグの基準を満たす高規格のスタジアムが存在しなかった。故に同サッカー部は、非公式で隣接する大都市の浜松市を本拠地化する方向で動いた。だが、浜松市内にはヤマハ発動機のライバル企業である、上記ホンダサッカー部、スズキの本社等がある為、地元行政は中立公平の立場から「特定の企業のために公共施設を改修・建設はできない」とする頑な姿勢を示し、ヤマハ発動機側は浜松本拠地化構想を断念した。

その頃、清水FC側は内外に向け、清水市がサッカーの町であることを積極的にアピールし、当時Jリーグ理事長であった川淵三郎の理解を得た。しかし川淵は、実業団でクラブ運営の経験がない清水FCに対して、現実的な不安を拭いきれず、「静岡県に2つのプロクラブが並存することは時期尚早」という論理付けの下、ヤマハ発動機サッカー部と清水FCを統合し、清水市を本拠地とすることを両クラブ関係者に提案した。しかし、この提案はヤマハ発動機サッカー部には到底受け入れることができないものであった。その理由は、ヤマハ発動機サッカー部が本拠地とする磐田市は浜松市を中心とした県西部で、清水FCが本拠地とする旧清水市は静岡市を中心とした県中部であり、静岡県は面積が広く、常日頃、東部・中部・西部を分けて考えることが多く、時にはライバル視することもある、また文化圏・地域経済圏も東京よりの中部・東部と、名古屋よりの西部とで異なっていたからである。故に、ヤマハ発動機側にとって川淵の提案は、資金やノウハウを清水FC側に無償提供するだけで、地元には大きなメリットは見込めないものに映った。

このような経緯から、企業の論理を嫌う川淵は、「市民クラブ」の理念の下で発足した清水FCに初年度参加資格を与えた。一方、落選したヤマハ発動機サッカー部は、主力選手が次々と他チームに引き抜かれる最悪の状況に追い込まれ、一時期は社内会議で解散まで議論した。しかし、この際に現場関係者や支援者がチームの存続を強く訴え、社有地の東山グラウンド(磐田市)を改修して自社スタジアムを建設し、一年遅れでJリーグに参戦し、以後毎年エスパルスと熱い戦いを繰り広げている。

経営危機とクラブ再生

他チームのように経営母体を持たない市民クラブとして誕生した清水エスパルスだったが、1997年、運営会社エスラップ・コミュニケーションズが経営破綻、クラブ消滅の危機に陥る。しかしサッカー王国清水のプロクラブを失くしてはならないとの願いから多くの市民、サポーターがクラブ存続の署名活動や募金活動を実施して、署名は30万人を超えたほどである。また、その声に応えるように地元の大企業鈴与等が資金援助を行った結果存続危機を乗り切り、翌1998年「株式会社エスパルス」として新生するに至る。なおクラブ消滅の危機に陥った際、アルディレス監督が率先垂範して契約更新を行い主力選手の他クラブへの流出を防いだことも知られている。その後、他チームからの積極的な選手補強や、若手育成などにより、着実にチーム力をアップさせて、強豪復活を成し遂げた。

日本代表選手の輩出

清水は、チーム創設以来多くの日本代表選手を輩出している。

長年、日本代表の不動の右サイドバックとして活躍した堀池巧や、現在でも国際Aマッチ最年少出場記録(17歳322日)を持つ市川大祐、トルシエ監督時代に長らく主力で活躍した森岡隆三や伊東輝悦を初め、伝統的に優秀なDFやMF(特にボランチ)の選手が多い。また、若年層世代では、黒河貴矢山本海人武田洋平など何人もの優秀なGKを輩出している。

W杯日本代表

  • ドーハの悲劇となった1994年アメリカ大会の最終予選では、長谷川、堀池、三浦澤登が選出されている。
  • 1998年フランス大会では市川が最終候補まで残った。その後、チームには帯同している。
  • 2002年日韓大会では、大会前まで伊東輝悦が主力として活躍していたが、大怪我からの復帰直後により選出されなかった。
  • 2002年日韓大会の清水からの選出人数4人は、鹿島の6人に次ぐ数字である。また、市川や戸田は本来DFの選手であるが、この大会はMF登録で扱われた。
  • 2002年日韓大会のチュニジア戦で、市川大祐が中田英寿のゴールをアシストした。
  • 2002年日韓大会で、戸田和幸が全試合でフル出場を果たしている。
  • 日本代表以外では、1994年アメリカ大会ではブラジル代表ロナウド2006年ドイツ大会では韓国代表チョ・ジェジンが選出されており、クラブ創立以来全てのW杯本大会に代表選手を送り出している。

オリンピック日本代表

  • 1996年アトランタオリンピックで、清水からの選出人数3人は、横浜マリノス(当時)、ジュビロ磐田サンフレッチェ広島と並び、最多タイである。
  • 1996年アトランタオリンピックのグループリーグ初戦のブラジル戦で、伊東輝悦が決勝ゴールをあげた(マイアミの奇跡
  • 2000年シドニーオリンピックでは、市川大祐と戸田和幸が予備登録メンバーに残っている。
  • 2008年北京オリンピックで、清水からの選出人数3人は全チーム中で最も多い。また、本大会出場は叶わなかったが、枝村匠馬が予備登録メンバーに残り、岩下敬輔平岡康裕武田洋平なども代表合宿に招集を受けていた。
  • 2008年北京オリンピックで、チーム結成から最終予選まで主力として活躍し、最終予選では最多出場を誇り選出確実と見られていた青山直晃が、まさかの本登録メンバー落選となった。その後、バックアップメンバーとして選出されている。

U-20W杯日本代表

  • 1999年のナイジェリア大会では、市川大祐が大会直前で疾病にかかり、本登録メンバーから外れている。
  • 2005年オランダ大会で、山本真希が飛び級ながら最終候補まで残った。
  • 2007年カナダ大会の予選を兼ねた2006年のAFCユース選手権には、山本真希が10番を背負い出場している。

U-17W杯日本代表

キャッチフレーズ

新生エスパルスとなった1998年より毎年チームのテーマを掲げたキャッチフレーズが用いられるようになった。

1998年 「Break Through」
選手一人ひとりが、そしてチームが立ちふさがる壁を「突破」し、栄光に向かって「突き進んでいく」。
1999年 「dream stadium 1999」
観る者を魅了し、夢と感動をみんなで共有できるような空間・スタジアムを創造。
2000年 「big mission 2000」
前年、2ndステージ優勝という結果を出したエスパルス。チームがさらなる成長を遂げることで、サポーターに大きな夢と感動を提供できる、それが2000年のエスパルスに与えられた使命(mission)である。
2001年 「Dynamic Soccer 2001」
Dynamic Soccerで相手を圧倒する。攻守の切り替えが速い、攻撃的なサッカーを目指す。次なる目標であるリーグ優勝を目指してチーム、サポーターとが一丸となって闘う。
2002年 「Orange Fantasia 2002」
オレンジの選手・サポーターたちが、ともにフェアで華麗なプレーを繰り広げ、夢舞台(Fantasia)を創りあげる。
2003年 「EXCITING FIELD 2003」
2003年新静岡市誕生という記念すべきシーズンをチームと市民とで興奮と感動を分かち合う為、最後まで激しく戦い続けることを誓う。HOME TOWNが歓喜の声に包まれる新たな歴史のスタートとする。
2004年 「HARD & ATTACK 2004」
ハードなトレーニングで極限まで身体能力を高め、精神を研ぎ澄まし妥協なき攻撃的サッカーを展開。「HARD & ATTACK」を標榜し、サポーターを魅了する「戦闘集団」へと生まれ変わる。
2005年 「2005 かける想い」
クラブ、チームのアイデンティティーを見つめ直し、「エスパルス」に“懸ける”想いとプライドを強く再確認、そして今シーズンに“賭ける”気持ちを、ピッチの中を勇敢に“翔ける”ことで表現し、チームの再生を目指す。サポーターへ熱いメッセージを伝えるべく、クラブとサポーター・ホームタウンとをつなぐ確かな橋を“架ける”ことを使命として取り組んでいく。
2006年 「かける想い S-PULSE 2006」
「エスパルス」に懸ける想いとプライドを強く再確認し、ピッチを勇敢に翔けることで勝負に賭ける熱い気持ちをサポーターに伝えるとともに、クラブとサポーター・ホームタウンとをつなぐ確かな橋を架けることを使命として取り組んでいく。昨季、長谷川健太監督就任の際にクラブ一丸となって掲げた「かける想い」を2年に渡って継承し、さらなる飛躍を遂げる。
2007年 「かける想い S-PULSE 2007」
「かける想い」を掲げ着実な成長を遂げてきた2シーズンを経て、3年目となる2007シーズンではさらなる高み(NEXT STAGE)への飛躍を遂げる。
2008年 「WE BELIEVE 2008」
共に戦ってきたサポーター、チームメイト、積み上げた努力、幾度となく流した涙、そして自分自身。その全てを信じ、いよいよ歓喜のときを迎えるべく、すべての人と、地域とエスパルスが一体とならなければならない。一人ひとりの信じる力が大きな後押し。どんなに困難な状況でも最後まで諦めることなく、己を信じて戦い抜く。
2009年 「WE BELIEVE 2009」
共に戦ってきたサポーター、チームメイトの存在。積み上げた努力、幾度となく流した涙。そして、自分自身。その全てを信じ、いよいよ歓喜のときを迎えるべく、すべての人と、地域とエスパルスが一体とならなければならない。一人ひとりの信じる力が大きな後押し。どんなに困難な状況でも最後まで諦めることなく、己を信じて戦い抜くことを誓う。
2010年 「THE CONFIDENCE」
2009シーズンはリーグ戦で10年ぶりの首位に立ったが、最終的には7位。ナビスコカップ、天皇杯はともにベスト4。「あと少し」と言われるものの、タイトルに手が届きそうで届かない現実。あの試合、あの場面で何が足りなかったのか。『勝者』となるために必要なことは何なのか。自らを信じ、仲間を信じて、サポーターと共に頂点を目指して戦いに挑む。

ユニフォーム

チームカラー

Template:ユニフォームの色2

  • 「エスパルスオレンジ」(鮮やかなオレンジ色)
    • チームのホームタウンである静岡県が日本でも有数のミカンの生産地であり、また喜び・希望・若さ・前進・元気などをイメージさせる色であることがチームを象徴するにふさわしいとして定められた。
      • 当初は清水市(現:静岡市清水区)が港を中心として発展してきた街であることや、市内のサッカー強豪高校が青系統のユニフォームを使用していることなどから市民には青が馴染みのある色であったため青系のチームカラーが検討されていた。しかしJリーグ創設時の10チームの中に青系統をチームカラーにしたクラブが既に多数あったことから差別化を図ることや各クラブ間の色のバランスをとるために「オレンジ」を選ぶことになった。
      • Jリーグ開幕当時は、オレンジを採用したチームはエスパルスのみであったが、近年、Jリーグへの加入チームが増えるにつれ、アルビレックス新潟大宮アルディージャ愛媛FCなど、オレンジを採用するチームは増えつつある。Template:要出典範囲

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
鈴与Suzuyo2006年 - 2003年途中 - 2004年までは袖
背中江崎グリコglico1992年 -
日本航空インターナショナルJAL2006年 - 1992年 - 2005年までは胸。
パンツ山愛SAN-AI2008年 -

ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992年 - 1996年 リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
  • 1997年 - 現 在 リーグ戦・カップ戦ともプーマに統一

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992年JALHONENglicoPUMA
1993年JALHONENglicoMizuno/PUMA
1994年JALHONENglicoMizuno/PUMA
1995年JALHONENglicoMizuno/PUMA
1996年JALHONENglicoMizuno/PUMA
1997年JALHONENglicoPUMA
1998年JALHONENglicoPUMA
1999年JALHONENglicoPUMA
2000年JALHONENglicoPUMA
2001年JALHONENglicoPUMA
2002年JAL豊年glicoPUMA
2003年JAL豊年/SuzuyoglicoPUMA
2004年JALSuzuyoglicoPUMA
2005年JALstar☆glicoTHE 3RD PLANETPUMA
2006年SuzuyoJALglicoTHE 3RD PLANETPUMA
2007年SuzuyoJALglicoCRSPUMA
2008年SuzuyoJALglicoSAN-AIPUMA
2009年SuzuyoJALglicoSAN-AIPUMA
2010年SuzuyoJALglicoSAN-AIPUMA

日本航空の胸ロゴは日本でのユニフォーム広告の先駆けであった。かつてはどこのクラブも胸にはクラブ名が入ったユニフォームを着用していたが、当時日本航空社員の伊沢氏が欧州サッカークラブの胸スポンサーを見て、市民球団で特定の企業イメージが無かった清水に、ユニフォーム胸部分にJALのロゴを入れるよう働きかけたのがはじまりであった。スポンサーロゴによる広告収入が魅力的であることから、その後他クラブも導入するようになった。

2010年1月19日にJALが経営破綻し、スポンサーを継続することが困難となったが、チーム創設以来継続して支援を行っていただいたJALに敬意を表し、2010年以降も無償で広告を提供することとなった。

JALの広告の下に描かれていた世界地図(中世の世界地図がモチーフ)が清水のユニフォームのトレードマークでもあったが2007年にユニフォームサプライヤーのプーマの世界戦略モデルユニフォーム導入にともない無くなった。

サポーターの特徴

応援スタイル

サポーターによる応援では多くの楽器を用いてサンバを踊るなど、応援に関してはJリーグクラブの中でもかなり特徴的な応援である。特に本拠地の日本平スタジアムで大人数のサポーターが踊るサンバは非常に見ごたえがある。 また、2008年から試合に勝利するとサポーターが応援の一種であるロコロコ(通称:勝ちロコ。原曲はブラジルのサンパウロFCのサポーター“INDEPENDENTE”が歌っている)を踊るようになり、2009年以降選手・サポーター・オレンジウェーブ・パルちゃん含めて皆で踊るようになった。普段は監督は入らず一部の選手のみが主だが、2009年第23節の静岡ダービーで5-1の大勝をした際普段は加わることのない長谷川健太監督や選手が揃ってサポーターと喜びを共にした。

公式応援歌

「王者の旗」

  • 作詞:一般公募作品
  • 作曲:林哲司
  • 2000年8月30日制定

ホームゲームでエスパルスが勝利した試合の後、場内に流され、サポーターが合唱する。CDでは高井治が歌っている。

また、サポーターズソングとしてribbonが歌う「"S"ENSATIONAL WIND」が存在していた。

関連項目

外部リンク

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