柏レイソル

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Template:サッカークラブ 柏レイソル(かしわレイソル、Kashiwa Reysol)は、日本千葉県柏市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

クラブ概要

Template:基礎情報 会社 1995年、Jリーグ加盟。母体は日立製作所本社サッカー部(その後、日立製作所サッカー部に改名)。

チーム名はスペイン語の「レイ(Rey)」(王)と「ソル(Sol)」(太陽)を合わせた造語で、「太陽王」を意味する。

ホームタウン千葉県柏市。なお「東葛地域」の柏、我孫子印西鎌ケ谷白井流山野田松戸の8市を活動エリアとして、サッカースクールや各市の市民招待デーなどを企画している。また、東京都青梅市(日立製作所工場所在)にも「柏レイソル青梅」として下部組織のチームを運営するクラブがある。

キャッチフレーズは「生活がスタジアム。ホームタウン柏、そして感動が聞える街へ」。

2010年のチームスローガンは「VITORIA」(ヴィトーリア)。ポルトガル語で勝利を意味する。

クラブの歴史

Jリーグ昇格前

1992年、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)、ジュビロ磐田とともに、初のJリーグ準会員となる。

1993年、当時ブラジル代表カレカを獲得し昇格を目指したが、JFLで5位に終わり昇格はならなかった。

1994年10月23日 JFL最終節でNTT関東に1-0で勝利したことで2位を確定し、1995年シーズンから悲願のJリーグ昇格を果たした。カレカはこの最終戦のゴールを決めたほか、チーム最多の19得点を決めてチームの昇格の立役者となった。

Jリーグ・J1時代(1995年〜2005年)

1995年、Jリーグ昇格1年目は1stステージで大苦戦し、最終戦はそれまで10連敗していたホームで勝利をあげるも最下位に終わる。2ndステージでは尻上がりに調子を上げ、特に1stステージ優勝の横浜マリノスに2戦2勝するなど5位となった。

1996年からはニカノールが指揮を執り、エジウソンや両サイドバックが激しく動く攻撃的なサッカーを展開する、これが実を結び12連勝を達成。

1998年は監督に西野朗アトランタ五輪日本代表監督)が就任。

1999年には横浜フリューゲルスから薩川了洋、平塚から洪明甫を獲得し、チーム強化を図る。 その結果、ナビスコカップで優勝し、クラブ初タイトルを獲得。

2000年も好調を維持し、リーグ戦2ndステージでは終盤まで優勝を争った。 しかし最終節、勝った方が優勝という鹿島アントラーズとの直接対決でスコアレスドローとなり優勝を逃す。 結局、年間では最多の勝ち点を獲得したものの、1st/2ndステージ勝者が年間1位/2位となるため、総合3位でシーズンを終えた。

2001年は、西野の長期政権による硬直した選手起用・世代交代の遅れなどの弊害も表面化し、西野監督を途中解任。 新監督のスティーブ・ペリマンの就任も功を奏さず、凡庸な成績に終わる。

2002年には連敗を重ね、J2降格危機に陥る。 2ndステージから監督となったマルコ・アウレリオ玉田圭司など若手の育成に力を入れるが、2003年もチームは低迷する。

2004年、生え抜きの池谷友良がコーチから監督に昇格したが成績はかわらず、1stステージ終了後に池谷は辞任。 新監督には元ガンバ大阪監督の早野宏史が就任するも歯止めは効かず、J1最下位に終わる。J1・J2入れ替え戦ではアビスパ福岡に勝利し残留した。

2005年は早野自ら、獲得に乗り出した当時韓国代表FW 崔成国クレーベルを迎え、立て直しを図る。しかし、活躍を期待された崔は結果が残せず7月31日付けでレンタル移籍を終了した。 なお、4月23日のホームで行われた名古屋グランパスエイト戦では、試合後一部サポーターが相手サポーターを暴行し処分される騒ぎが起こった(日立柏サッカー場#乱闘事件にて詳述)。 その後、低迷打破のため、元ブラジル代表FW フランサの獲得や、ビーチサッカー日本代表監督などとして活躍してきたラモス瑠偉をコーチに起用するなど、てこ入れを図った。 ラモスのコーチとしてのデビュー戦となった9月17日、ホームの日立柏サッカー場のG大阪戦で、先制されたもののその後2点を取り、逆転勝利で白星を飾った。 ところが10月15日、アウェーの駒場スタジアム浦和レッドダイヤモンズ戦では、2人の退場者を出すなどし、0-7で大敗。その後、チームは勢いを失い、入れ替え戦のラインである16位を彷徨う。11月26日、ホームの東京ヴェルディ1969戦では5-1と大勝したものの、柏と残留争いをしていた清水エスパルスが残留を決めたため、2年連続でJ1・J2入れ替え戦にまわることになってしまった。

J1・J2入れ替え戦ではヴァンフォーレ甲府と対戦。第1戦はアウェーで1-2での惜敗、第2戦ではホームで2-6の大敗を喫し、Jリーグ加盟11年目にして初のJ2降格となった。 特に第2戦はバレーに6点を奪われる、屈辱的な試合であった<ref>なお、両クラブはそれぞれ前身(JSL)時代に、柏は日立製作所として甲府は甲府サッカークラブとして、入れ替え戦を戦ったことがあり、その際は日立が2戦2勝だった。</ref>。 ブラジル人選手に10億円もの大金を注いだといわれる補強をもってしても降格を防ぐことはできなかった。早野は天皇杯(対G大阪戦)を前に辞任。 後任は東京Vのコーチだった石崎信弘が務めることになった。

J2時代(2006年)

2006年、J2降格を受けてチームの主力だった明神智和がG大阪へ、波戸康広土屋征夫大宮アルディージャへ、玉田圭司名古屋グランパスエイト大野敏隆が東京V、矢野貴章永田充アルビレックス新潟など、主力級選手が揃って他チームへ完全移籍していったものの、フランサの残留や北嶋秀朗の復帰、ディエゴの加入などにより攻撃陣が機能し開幕戦は引き分けるものの第2節から6連勝と首位を独走。終盤ペースを落とし横浜FCヴィッセル神戸との自動昇格枠争いとなり、2位神戸と勝ち点差1の3位で迎えた最終節に勝利、神戸が敗れたため2位での自動昇格を決め、1年でのJ1復帰を果たした。守備は48試合60失点という平凡な成績だったものの、攻撃では84得点と2006年シーズンJ2最多得点をマーク。石崎にとっては自身初のJ1昇格となった<ref>石崎は、大分トリニータ(1999年・2000年)、川崎フロンターレ(2003年)の監督時代は昇格争いに加わるも、いずれも昇格3位止まりだった(当時は3位に昇格の機会が無かった)。</ref>。

2度目のJ1(2007年〜2009年)

2007年、J1復帰に大いに貢献したリカルジーニョ、ディエゴが退団。GK 水谷雄一、MF アルセウマルシオ・アラウージョ、FW 阿部吉朗、そして名古屋を10年間支えたDF 古賀正紘などが加入。J1復帰1年目の目標を「勝ち点45を取る」と設定した。開幕前の下馬評はかなり低かったが、開幕戦の磐田戦を4-0で圧勝する(しかし、最終節の同カードは0-4と完敗だった)と、その後も苦手にしていたアウェーでも勝ち点を得るようになり、前半戦の台風の目となる。3月末には小野寺重之社長の退任が決まり、新社長に河西晋二郎が就任することが決まった。小野寺はサポーターから補強に関する疑問の声や、チームのJ2降格により厳しい批判があったが、1年でのJ1復帰という約束を果たした。中盤戦になると徐々に相手から研究され停滞感が漂っていたが、リーグ中断期間後に再び上昇気流に乗る。2年前は大敗したアウェーの浦和戦を1-1で乗り切ると、苦戦が予想された8月を3勝2分と無敗で過ごす。特に浦和・横浜FMら強豪クラブと共にJ1最小失点の座を争い、8月までの23試合中12試合が無失点という、2006年とは打って変わって強固な守備陣を武器にして勝ち点を挙げた。9月23日の川崎フロンターレ戦で当初の目標の勝ち点45を、残り8試合を残して達成したがその後は故障者が相次いだ事もあり、4連敗を含む、1勝1分6敗と翌シーズンに不安を残す終わり方となった。

2008年、GK 水谷雄一、MF 谷澤達也が移籍したものの、GK 菅野孝憲、MF アレックス、FW ポポなどを獲得<ref>同シーズンは過去に柏在籍経験があるMF 茂原岳人も再加入したが、神戸在籍時(当時未成年)の不祥事により逮捕され、2008年5月16日付で解雇。</ref>。DFの補強は鎌田次郎<ref>2006年に特別指定選手として在籍。</ref>のみと攻撃陣の補強が目立った。

リーグ戦においては序盤は上位につけるも、中盤に低迷し、一時は残留争いに巻き込まれる乱調ぶりで、最終勝ち点は目標の55に遠く及ばず、前年の成績も下回った。これらのことに加え、来季の強化方針を巡って、フロントと石崎監督の間で意見の相違が露呈したため、石崎監督はこのシーズンをもって退任(事実上の解任)することが決定。だが、この年の天皇杯では、前身の日立製作所時代以来、33年ぶりの決勝進出を果たす。2009年元日、ガンバ大阪を相手に決勝を戦ったが、0-0で迎えた延長後半11分に播戸竜二の決勝ゴールを許し、惜しくも準優勝に終わる。石崎監督に有終の美を飾らせることは出来なかった。

2009年、石崎監督に代わり高橋真一郎が監督に就任。さらに元日本代表の名DFで「アジアの壁」と呼ばれていた井原正巳や、かつて清水エスパルスでGKとして活躍し、クモ男とも呼ばれていたシジマールをコーチに招聘。選手では、目立った退団者は千葉に移籍したアレックスのみで、新入団選手は柏レイソルユースから史上最多の5人の選手が入団。退団したアレックスに代わる外国人選手として、2007年に在籍していたアルセウが復帰、さらにナイジェリアからアデバヨを獲得した。

ところがシーズンが始まると、アルセウがケガのため登録を抹消。フランサ、李忠成などの主力選手が相次いでケガで離脱するなどでチームは低迷。その状態を打破するため、大宮から小林慶行、クルゼイロECからアンセウモ・ハモン、G大阪からパク・ドンヒョクをレンタル移籍で獲得した。 石崎前監督の築いた徹底したプレッシングサッカーを基調としつつ、より支配率を高めるアクションサッカーへの転換を目指したものの、怪我人の続出もあって思うようにサッカーの成熟が進まず、リーグ最多失点での17位と低迷。同年7月15日をもって成績不振により、高橋監督を解任した。解任直後のG大阪戦を井原ヘッドコーチが指揮した後、新監督にはヴェルディ、名古屋で監督経験のあるネルシーニョを招聘。J1残留に向けたチームの建て直しに期待がかけられた。しかしリーグ終盤、大分と千葉の降格が決定後、第31節の清水戦と第32節の新潟戦に勝利し、残留に向けて意地を見せたが第33節の大宮戦に1-1の引き分け。この結果、最終節で勝っても残留圏内の15位に及ばないことになり2006年以来2度目のJ2降格となった。降格は決まったものの、試合後はサポーターが選手達を温かく迎える場面など、チームが完全に崩壊した4年前の降格とは違う光景となっていた。また、同シーズンは同じ千葉県のジェフユナイテッド千葉も降格が決定しており、千葉勢がJリーグ発足18年にして初めて1部から姿を消すことになった。かつ同一都道府県のチームが2チーム降格するのはJリーグ史上初である。

2度目のJ2(2010年)

2006年以来2度目のJ2降格となった2010年。戦力外になった選手以外ではレンタル元の清水に帰った杉山浩太のみの移籍に留め、フランサ大津祐樹など、多くの主力選手は残留した。J2屈指の戦力を揃え、1年でのJ1復帰に期待がかかる。

年度別成績・歴代監督

リーグ順位勝点試合勝利引分敗戦天皇杯ナビスコ杯監督
1995年J12位655221-312回戦敗退開催せずゼ・セルジオ/アントニーニョ
1996年5位603020-104回戦敗退ベスト4ニカノール
1997年7位523218-14ベスト8ベスト8
1998年8位473418-164回戦敗退予選敗退西野朗
1999年J13位58302019ベスト4優勝
2000年3位583021184回戦敗退2回戦敗退
2001年6位4330143133回戦敗退2回戦敗退西野朗/スティーブ・ペリマン
2002年12位3230103173回戦敗退ベスト8スティーブ・ペリマン/池谷友良(代行)/マルコ・アウレリオ
2003年12位3730910114回戦敗退予選敗退マルコ・アウレリオ
2004年16位2530510154回戦敗退予選敗退池谷友良/早野宏史
2005年16位3534811155回戦敗退予選敗退早野宏史/竹本一彦(代行)
2006年J22位8848277144回戦敗退出場せず石崎信弘
2007年J18位5034148124回戦敗退予選敗退
2008年11位463413714準優勝予選敗退
2009年16位3434713143回戦敗退予選敗退高橋真一郎/井原正巳(代行)/ネルシーニョ
2010年J236出場せずネルシーニョ

獲得タイトル

国内タイトル

個人別タイトル

スタジアム

浦和レッズ戦など、多数の入場が見込まれる場合は、国立競技場を使用する場合もある。

  • 練習場は上記のスタジアムのほか、日立柏サッカー場に隣接する日立柏総合グラウンドと、柏市内にあるあけぼの山農業公園芝生広場が使われる。

本拠地問題

  • Jリーグ参入の際、笠松運動公園陸上競技場をホームスタジアムとして加盟申請したが却下されている。レイソルは日立製作所発祥地の日立市がある茨城県をホームタウンにすることも検討していたが、日立市では「日立製作所のチーム」になってしまうことが懸念され、当時は笠松競技場もJリーグ規格を満たしていなかった上に、住友金属工業蹴球団(後の鹿島アントラーズ)が鹿島町(現・鹿嶋市)を本拠地にしたこともあって実現しなかった。そのほか、習志野市秋津公園サッカー場なども検討されたが<ref>同じ千葉県に本拠地を置くジェフユナイテッド市原・千葉も、Jリーグ参加に際して習志野市秋津公園サッカー場)をホームタウンに検討したが、地元の賛同が得られず見送ったという経緯がある。</ref>、自前のスタジアムがある柏市に落ち着くことになった(もともとは「あかね町ベアーズ」という少年野球チームのグラウンドがあった)。
  • 当初、レイソルはJリーグからの勧告(出来るだけ地方自治体保有のスタジアムをホームとすること)もあり柏の葉公園総合競技場(以下、柏の葉)をホームとすることを前提として、日立柏サッカー場(以下、柏サッカー場)を暫定的にJリーグ基準のキャパシティー(J1の場合は15000人以上収容)に沿ったスタジアムにすることで準会員承認を受けた。しかし、不況の折から柏の葉の設置工事実施が遅れJリーグ昇格を果たした1995年になっても完成のメドが付かなかった。この為、レイソルでは柏サッカー場の収容人数をJリーグの基準の15000人に合わせるためJリーグ昇格決定後に改修工事を実施し15,900人収容のスタジアムとすることで基準を満たし柏の葉の完成後に本拠地を移転することとした。
  • ようやく1999年4月24日に柏の葉は竣工したが、こけら落としの浦和レッズとの対戦で、一部のサポーターが暴動を起こし、またレイソル応援席から「史上最低のスタジアム」「本拠地移転を認めない!!」「陸上競技場でサッカーやるな」「好き好き日立台、いやいや柏の葉」などと書かれた横断幕が掲示された。その理由として以下が挙げられている。
  1. 交通の便が非常に悪い
    当時の最寄り駅は東武野田線江戸川台駅だったが、ここまで徒歩30分以上かかる。そのため試合日には江戸川台駅と柏駅からの臨時バスが運行されているが、運行本数が少なく乗り切れない人が出る上に、柏駅からの便は渋滞により到着時間が読めない。
    2005年8月にはつくばエクスプレス線柏の葉キャンパス駅が開業したため、東京方面からの交通アクセスは幾分改善されたが、ここもスタジアムまでは徒歩18分となっている。
  2. 陸上競技場との併用であるためスタンドとピッチの間に距離があり、特にコーナー部からバックストレッチ部分のスタンドが低いため非常に見づらい
    スタンドの傾斜が低いことなどの設備面についてはクラブ側も不満を隠しておらず、後述するような申し入れを行っている。また『柏レイソル10年史』に寄稿した当時のJリーグチェアマン・鈴木昌もその中で「ファンに失礼」と述べている。
  3. 元々柏サッカー場はクラブの聖地であり、ファンには愛着がある。
  • クラブ側もコーナーからバックストレッチ部分のスタンドの改善や駐車場スペースの確保などを行うよう管理者である千葉県に対して求めているが、県はスタジアム完成から間もないとして大規模な改修には慎重である。
  • また、柏サッカー場もメインスタンドの一部を除いて鉄骨製の簡易的なものであるため、施設の老朽化が著しい。故に柏市とサポーターがスタジアムの増築により現在の15,900人収容のスタンドを25,000人程度が収容できる本格的なものにし、温水プールや体育館を兼ね備えて整備することを目指した「市民スタジアム」計画を立ち上げた。柏市は調査費用を予算に盛り込んできた。ただ、25000人規模のスタジアムにした場合、スタジアムとピッチとの間の距離が開き、従来のようなアットホームなスタジアムの雰囲気を維持できるのかどうか疑問であるとの声が出ている。例えば、カシマスタジアムについては改修前の方が良い雰囲気だったとして、客足が遠のいている。同じ事態が起こる可能性もあるため、検討が必要である。
  • しかし、柏市は現状スタジアムの改修に乗り出すための予算費用が取り付けられないとして増築・改修を現在見合わせている。レイソル側も2003年のシーズンから柏サッカー場を規模縮小し鉄骨製スタンドを撤去して練習場として使用し、試合会場は柏の葉に完全移転することを一旦決めた。しかし、サポーターは「柏サッカー場に愛着があるから」などの理由で本拠地の完全移転に反対し、柏サッカー場での試合継続を求めて署名活動を行った。また他チームのサポーターにとっても日立台のほうが観戦しやすいため、移転に反対する声が出た。
  • 結局2003年度以後も柏サッカー場をメインにして、柏の葉では年間数試合(特に多くの観客が見込める試合 = 主として浦和レッズ、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズ、FC東京アルビレックス新潟などとの対戦)に限定してホームゲームを開催している。
    • 尚、このうちFC東京については、2003年11月29日の試合終了後、FC東京サポーターがアマラオとの別れを惜しみグラウンドへ乱入する事件があり、2004年以降の試合は同様の事件を防止する意味で柏の葉での開催となっている。ただし、2005年のナビスコカップグループリーグの試合は柏サッカー場で開催された。また、2007年のリーグ戦も柏サッカー場で開催されている。
    • 2008年については、リーグ戦は基本的に柏サッカー場をメインに使う事となった。これにより柏の葉はナビスコカップのみが開催された。2009年からは柏の葉から撤退し、柏市内での試合は柏サッカー場のみで開催する。またJ2に降格した2010年はこれまで柏サッカー場での対戦が無かった6つのチーム(FC岐阜ロアッソ熊本ファジアーノ岡山カターレ富山栃木クラブギラヴァンツ北九州)との対戦も柏サッカー場で行われるため、2010年時点でJ2以上に在籍する全てのチームと最低1回は柏サッカー場で試合をすることになる。
  • 2005年秋になって、一部の報道では柏サッカー場の改修を2009年度以後に進める「市民スポーツ文化スタジアム」の基本構想をまとめ、整備する計画であると伝えられていたが、実現していない。スタジアムとピッチの距離を保ち、今のアットホームな雰囲気を保つため、25000人規模のスタジアムを目指しての改修ではなく、現状の規模を維持したままでの改修を望む声もある。

チームの特徴

チーム編成
  • 2006年以降のチーム編成は、世代分布のバランスが歪なチームと言える。特にアテネ世代を中心とした中堅(24〜28歳前後)の経験豊富な日本人選手が他のチームと比べて不足している。これは2000年頃までの黄金時代の中でスタメン選手が強く、次世代の若手が育つ機会が少なかった事に加え、2005年のJ2降格により主力選手が大勢移籍した事が原因として挙げられる。この上のベテラン世代の中では、継続的にレイソルに所属していた者は南雄太など数名しかおらず、山根巌藏川洋平古賀正紘らはJ2降格・J1復帰の過程で加入したため、柏から見れば「比較的新しい選手」である。北嶋秀朗は1997年の入団時〜2002年は柏在籍であり、新加入というよりは「復帰」と認識されている。一方、中堅世代の層の薄さに対して、逆に北京五輪世代を中心とした若手は層が厚い。特に李忠成小林祐三菅沼実らは石崎が監督に就任してから継続的に試合に出場しており、彼らが2006年以降中堅世代の穴を埋めて頭角を現している。更に2008年以降スタメンに定着した石川直樹鎌田次郎もこの北京世代に相当している。これら若手が主体のチームをベテラン世代が牽引している。
  • 近年のチーム編成には、若手選手をレンタルに出して成長させ(菅沼実山形にレンタル中の長谷川悠等)、外国人はC契約にて若い成長の期待できる選手を雇い、JFL等の下部リーグに埋もれた人材を再発掘し(藏川洋平等)、それでも埋まらない穴は他チームから補強で補う(古賀正紘太田圭輔菅野孝憲杉山浩太等)という傾向が強い。また、近年は他のクラブと比べて、積極的に大学や高校の有望選手を練習参加させたり、特別指定選手として受け入れている。特別指定選手としては2006年に流通経済大学の鎌田、2007年に順天堂大学村上佑介、2008年には専修大学渡部博文を受け入れており、卒業後にそのままレイソル入りするケースが多い。特に2006年の鎌田は負傷者の多かったスタメンに割って入り、チームが昇格を争う中15試合に出場した。また、2007年に特別指定選手となった村上は、2008年にリーグ戦初出場の試合でハットトリックを達成するというジーコ以来の快挙を成し遂げ、その後スタメンに定着した。
タイトル/対戦成績
  • Jリーグ発足後獲得した唯一のタイトルは1999年のナビスコ杯だが、全般的に見ればナビスコカップの成績は芳しくない。天皇杯は1999年シーズンのベスト4以来、2008年に決勝進出し準優勝を果たすまで、ベスト16以下であった。格下のクラブに敗戦し、初戦敗退することも多かった。ナビスコ杯に関しても2000年以降はほぼベスト16以下である。中でも、2000年シーズンの両カップ戦の成績はリーグ戦と比べて極端だった。ナビスコ杯に関しては低迷していた川崎フロンターレに敗れる。天皇杯もリーグ戦の終盤勢いがありながらベスト16だった。2007年のナビスコ杯はルールの穴を掻い潜り、リーグ戦のスタメンを総入れ替えしたメンバーで戦い、物議をかもした。
  • リーグ戦では、低迷していた2001年 - 2005年を除くと、ホームの日立柏サッカー場で勝ち点を稼いでいる傾向にあった。特に2006年のJ2リーグでは17勝3分4敗という成績を上げている(年間通算の成績は27勝7分14敗)。これは、国内有数のピッチとスタンドが近い造りの柏サッカー場において有利に試合を進めていた事を表している。しかし、2007年以降はアウェーでもコンスタントに勝ち点を稼ぐようになり、いわゆる「内弁慶」からは脱しつつある。
  • チームに対する相性としてはセレッソ大阪を除く西日本のチームに大きく勝ち越しており、東日本のチームに互角または相性が悪い傾向がある(特に鹿島アントラーズ・浦和レッズを苦手にしている)。だが、ここ最近、西日本の名古屋をアウェーで苦手にしている。東京ヴェルディに対してはここ数年、特にホームで大勝する傾向にある。しかし、アウェーではなかなか勝利できていない。FC東京には近年は非常に相性がよく、2004年7月以降、ナビスコカップや天皇杯も含め、負けが1度しかなく、圧倒的に勝ち越している(2005年に同グループに入ったサテライト戦でも1勝1分で負けがない)。
昇降格
  • これまで、2000年に川崎を、2005年に東京Vを、2007年に甲府を、2008年に札幌を、シーズン終盤の対戦にて下し、それぞれJ2に降格させている。対戦相手にJ2降格の引導を渡した回数は最多の4回(2009年時点)。ただし、2005年は柏もJ2に降格している。このとき、引導を渡したのは甲府であるが、後に柏が甲府に引導を返すこととなった。
  • ちなみに2000年に柏に降格させられた川崎は2006年にC大阪、2008年に東京V、2009年に千葉と3回J2降格の引導を渡し、2位についている。

サポーターの特徴

  • J2降格した2005年は、成績不振や事件などでサポーターと選手の間に溝が生まれた。この反省から、2006年以降は選手の「サポート」に徹している傾向にある。この時所属していたDF 岡山一成はサッカー情報番組『スーパーサッカー』内で「サポーターのおかげで勝ち点30くらい稼いでいる」と言っている。
  • 欧米クラブの応援の影響を受けたチームが多いJリーグのサポーターの中で、昭和時代のテレビやアニメのテーマソング、CMソングを多く応援歌に取り入れているのが特徴。

以下はその一例。

また、柏サポーターは独特なギャグの効いたゲートフラッグを出す事で有名であり、他チームのサポーターにも好評を得る時がある。2006年以降はホーム・アウェー問わず試合に勝利した後に「レッツゴー柏」(「グリーングリーン」が原曲の応援歌)を選手・サポーターが全員で歌って踊る(柏サポーターからは「勝利のダンス」と呼ばれる)が、この時、そのゲートフラッグを何人かの選手が掲げて踊っている。この勝利のダンスやマイクパフォーマンスなど、試合後のお楽しみイベントを総称して「岡山劇場」、または「日立台劇場」と呼ぶ。また試合前には、サポーターの一人が中心となって派手なパフォーマンスで選手を迎えるなど、ユニークな応援を演出している。

以下の通り。なお、これらはほんの一例であり、他にもさまざまなバージョンがある。

柏市は茨城県と接しており、東京都埼玉県とも近く、国道や鉄道などの交通の要衝でもある。そのためサポーターの分布はホームタウンエリア以外や千葉県内だけではなく、茨城県南部・東京都葛飾区足立区・埼玉県の三郷市周辺にも比較的多いと言われている。

他のチームのサポーターは、選手の応援歌などは太鼓と手拍子で歌っているが、柏サポーターは、トランペットなどを使う珍しいサポーターである。また最近では、チームや選手の応援歌の音源などを試合当日に即席で流して歌うことが多い。また前途のような派手なパフォーマンスをするときも、(特に試合前に)それに応じた音楽を流すことがある。これらは、アウェーでも行っている。またホームの試合では、大型スクリーンを使った大胆なパフォーマンスも行い、相手サポーターからブーイングが起こることもある。

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色2

クラブカラー

  • 黄・黒

スポンサー

掲出
箇所
スポンサー名 表記 掲出年 備考
日立製作所HITACHI
(ロゴの下は日立グループのコーポレート・ステートメントInspire The Nextが入る)
1992年 -
背中アメリカンファミリー生命保険会社Aflac2005年 -
日立製作所 情報・通信グループuVALUE2007年 -
パンツ学校法人廣池学園麗澤大学2009年 -

サプライヤーの遍歴

  • 1992年 - 1994年(Jリーグ準会員)アディダス
  • 1995年 - 1996年 リーグ戦はミズノ(2ndモデルの配色は、シャツ・紺、パンツ・白、ソックス・紺)、カップ戦はアディダス(2ndモデルの配色は、シャツ・パンツ・ソックスすべて、白)
  • 1997年 - 現 在 リーグ戦・カップ戦ともにアンブロに統一(1997、1998年の2ndモデルの配色は、シャツ・青、パンツ・白、ソックス・青で、1999年 - 2002年の2ndモデルの配色は、シャツ・紺×白、パンツ・紺、ソックス・紺)

歴代スポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992年HITACHI--adidas
1993年HITACHI--adidas
1994年HITACHI--adidas
1995年HITACHI-maxellMizuno/adidas
1996年HITACHI-maxellMizuno/adidas
1997年HITACHI-maxellUMBRO
1998年HITACHI-maxellUMBRO
1999年HITACHIアメリカンファミリー生命保険会社maxellUMBRO
2000年HITACHIアメリカンファミリー生命保険会社maxellUMBRO
2001年HITACHIアメリカンファミリー生命保険会社maxellUMBRO
2002年HITACHI-AflacmaxellUMBRO
2003年HITACHI-AflacmaxellUMBRO
2004年HITACHI-AflacmaxellUMBRO
2005年HITACHI-AflacmaxellUMBRO
2006年HITACHIWoooAflacmaxellUMBRO
2007年HITACHIuVALUEAflacmaxellUMBRO
2008年HITACHIuVALUEAflacmaxellUMBRO
2009年HITACHIuVALUEAflac麗澤大学UMBRO
2010年HITACHIuVALUEAflac麗澤大学UMBRO

下部組織

Template:節stub 下部組織からは多くの選手をトップチームに輩出しているが、その反面定着した選手は多いと言えない。また、プリンスリーグの参入戦で2007年から4年連続でPK戦で敗退するなど伝統的に勝負弱さが指摘されている。

出身選手

獲得タイトル

U-15

1回: 2002年
1回: 2008年
1回: 2004年

U-12

2回: 1995年、1997年

柏レイソルに所属するサッカー漫画の登場人物

U-19日本代表のFW(新田瞬・真田一馬・中居真)が多い。

脚注

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関連項目

参考文献

外部リンク

公式サイト

本拠地移転問題関連

その他

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