名古屋グランパスエイト

出典: Wikipedio


Template:サッカークラブ 名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本愛知県名古屋市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2008年から「名古屋グランパス」を呼称とする。

目次

クラブ概要

トップチームの母体となったのは、日本サッカーリーグに参加していたトヨタ自動車サッカー部1939年に創部)のコーチ・選手だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロとして活動する選手を名古屋市を拠点として新設したグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時、東海社会人リーグ所属。1993年ジャパンフットボールリーグ2部に参加も1年で撤退)にそれぞれ移籍させた。

チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の名古屋城金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。当初、このチーム名は当時名古屋市長だった西尾武喜が命名したとされていたが、「エイト」の部分に関してはオーナーであった豊田章一郎が「トヨタ」のカタカナ字画数が「8」であることから命名したという<ref>2007年5月15日中日新聞</ref>。なお2008年シーズンより呼称に関してはチーム名から「エイト」が外され「名古屋グランパス」に変更された(日本協会登録チーム名と法人名、エンブレム、ロゴは「名古屋グランパスエイト」のまま)。これは、ファン、サポーターおよびマスコミに親しまれている呼称を採用することで、更に愛されるクラブづくりを目指してゆきたいとの理由からである<ref>公式HP</ref>。

ホームタウン愛知県名古屋市。ホームスタジアムは瑞穂陸上競技場と隣接する球技場、および豊田市の球技場・豊田スタジアムも併用する(2001年までは岐阜メモリアルセンター長良川陸上競技場も準ホームとしていたが、豊田スタジアム完成に伴い撤退)。練習会場は豊田市のトヨタスポーツセンター。

スポンサーが大企業のトヨタ自動車であることからJリーグ屈指の資金力を持ち、日本人を含む各国代表クラスの有力選手を獲得することも多く、また若手を含む多くの外国人選手をJリーグの舞台に招き入れている。

運営主体は株式会社名古屋グランパスエイト(名古屋市中区)。

ホームゲーム主会場

歴史

Jリーグ加盟まで

Jリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつだが、プロリーグ設立委員会から話を持ちかけられた当初、チームの母体となるトヨタ自動車は、「先行きに見通しが立ちにくい」とJリーグ参加には難色を示したといわれている。

それに対し、プロリーグ設立委員会は「名古屋にチームが無ければリーグが盛り上がらない」と説得し、県協会を使っての署名活動や地元メディアと連携しJリーグ加盟を取り付けたという。

地域密着を理念とした加入条件に「チーム名に企業名を付けない」があったが、豊田は「どうせやるならトヨタの“ト”の字も出すな。」とチームに企業色を全く出さなかったために、協会から「小さくてもいいから自社の証であるものをユニフォームに入れてくれないと広告宣伝費として認められない」と諭される。

Jリーグ開幕前年の1992年には、1986年メキシコワールドカップ得点王のリネカーと契約した。Jリーグのプレマッチとして行われたナビスコカップでは、司令塔ジョルジーニョのもとルーキーの小倉隆史森山泰行中西哲生らが活躍。中でも小倉は5得点を決め、チームも3位の成績をおさめた。

1993年 - 1994年

1993年
開幕前から監督を務めていた平木隆三の下で開幕に臨んだ。戦力としては即戦力として期待された平野孝らが入団し、小倉隆史はオランダ留学のため1年間チームを離れた。開幕直前の5月2日のプレシーズンマッチ・SSラツィオ戦では浅野哲也とリネカーのゴールによって2-1と、日本のクラブチームとしては初めてセリエAのチームに勝利した。しかし、リネカーは怪我のため試合出場は少なく、戦術もジョルジーニョ頼みのチームであった。2ndステージ開幕前にブラジル人のエリベウトンを獲得するも、リーグ戦では年間総合9位(12勝24敗)と下位に低迷してしまう。
1994年
ゴードン・ミルンを監督して迎えてシーズンに臨んだが、個人頼みの戦術は変わらず、サントリーシリーズは8位(9勝13敗)。ニコスシリーズへ向けての戦力補強として、7月にユーゴスラビア代表主将ストイコビッチビニッチを獲得。
Jリーグ有数の攻撃陣を擁してニコスシリーズに臨んだが、リネカーの怪我やストイコビッチの不調などにより最下位(6勝16敗)に低迷。11月にはミルン監督が更迭された。なお、この年を最後にリネカーは現役を引退した。
年間総合でも11位(15勝29敗)と低迷。Jリーグ新加入のジュビロ磐田ベルマーレ平塚の両チームより下位で、昨年と同じ顔ぶれとなったグランパスエイトを含む下位の4チーム(他の3チームは浦和レッドダイヤモンズジェフユナイテッド市原ガンバ大阪)には「Jリーグのお荷物」と不名誉な呼び方が与えられる。

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1995年 - 2001年

1995年
チーム改革を目指しアーセン・ベンゲルを監督に迎えた。ジョルジーニョとエリベウトンを解雇し、阪倉裕二パシトーレスを獲得したほか、ベンゲル監督はデュリックスをチームに招いた。
ベンゲルはそれまでのキーマンの個人能力頼りの戦術を改め、中盤の4人がフラットに近い形で並ぶ4-4-2を採用して高い位置からプレスをかけてボールを奪い、攻守の切り替えを素早く行うという組織的な戦術を植えつけた<ref name="4-2-3-1">杉山茂樹『4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する』(光文社新書)</ref>。これは当時のヨーロッパではスタンダードな戦術の1つであったが、Jリーグ開幕から間もない日本においては斬新なものであった<ref name="4-2-3-1" />。この戦術の攻撃のキーマンにストイコビッチを据え、少し引き気味のポジションから自由自在に攻撃を組み立てた(そのため、システムは4-4-1-1とも表現される)<ref name="4-2-3-1" />。中盤ではデュリックスが攻守に献身的に動き、トーレスがラインを統率して守備面でも安定感を示した。
選手の長所を伸ばすことを目指して自信を植え付けていき、元々代表クラスの選手を抱えていたこともあり、年間総合3位(32勝20敗)と大躍進。翌1996年1月1日には天皇杯で優勝を決めた。
1996年
福田健二望月重良西ヶ谷隆之が入団。2月に小倉隆史が全治6か月の大怪我を負い、それを補うようにオリビエトーマスを獲得した。
この年は1シーズン制であり、成績は2位(21勝9敗)であった。リーグ戦2位としてサントリーカップ・96チャンピオンズファイナルに進出し、同年のナビスコカップで優勝した清水エスパルスと対戦し、PK戦の末に勝利を収めた(3-1)。決勝ではリーグ戦で優勝した鹿島アントラーズと対戦し、スコアレスで突入した延長戦でストイコビッチのVゴールによって勝利、これにより鹿島のJリーグ完全優勝を阻止し、形式としては1996年の事実上のJリーグチャンピオンとなった。
なお、9月にはベンゲル監督がイングランドアーセナルへと引き抜かれ、後任にはカルロス・ケイロスが就任した。
1997年
中西哲生が移籍したほか、小倉隆史が怪我の再手術を受け長期リハビリを要した。滝澤邦彦古賀正紘中谷勇介伊藤卓が入団、リカルジーニョバウドを獲得した。
前年度のサントリーカップ優勝によりサンワバンクカップの出場権が与えられた。MLSカップで優勝したアメリカ合衆国ワシントンD.C. ユナイテッドと対戦し、3-1で勝利を収めた。
リーグ戦では年間総合9位(16勝16敗)とまずまずの成績を収めたが、天皇杯では、当時JFLであった東京ガス(後のFC東京)に敗戦を喫した。
1998年
前年の11月に就任した田中孝司監督の下、石川康大森征之野口幸司アルーを獲得してシーズンに臨んだ。
シーズン中、6月にバウドが退団するも、7月にウリダを獲得し戦力低下は防がれた。福田健二がリーグ戦16得点の飛躍を見せ、年間総合5位(23勝11敗)の成績を収めた。
1999年
横浜マリノスと合併・消滅した横浜フリューゲルスから楢崎正剛山口素弘を獲得したほか、呂比須ワグナーといった代表級選手を補強した。その他、宮原裕司が入団した。
大幅な戦力補強ゆえに優勝候補の筆頭に上げられたが、シーズン中に田中監督と平野孝、望月重良、大岩剛との確執が表面化し、4月に田中監督が辞任する事態に陥った。ダニエル・サンチェスが後任に据えられるも、1stステージ8位(7勝1分7敗)と低迷する。
2ndステージも苦しいスタートであったが、シーズン途中にジョアン・カルロス監督が就任すると直後に10連勝し、最終成績2位(11勝1分3敗)、年間総合4位(18勝2分10敗)と好成績を残した。また、天皇杯では2度目の優勝を果たした。
2000年
浅野哲也に戦力外を通告するとトーレスも退団し、伊藤裕二、小倉隆史、野口幸司といった主力選手が相次いで移籍するなど、戦力面に大きな不安を残しシーズンを迎えた。ユースから氏原良二が昇格し、原竜太が入団したほか、トーレスの後任としてホミルドを獲得した。
1stステージでは12位(7勝1分7敗)と低迷。2ndステージ開始直後の7月、突如チームの顔であった平野孝、望月重良、大岩剛の3人を解雇することを発表した。これに関して小宮好雄副社長は「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と理由を説明した。大幅戦力ダウンは免れない状況にあったが、7月にはウェズレイを獲得し、2ndステージでは7位(7勝1分7敗)、年間総合9位(14勝2分14敗)の成績を残した。
2001年
飯島寿久小川誠一に戦力外を通告、呂比須ワグナーも退団した。復帰した森山泰行を含めて酒井友之海本慶治など複数の即戦力選手を獲得、中村直志吉本岳史山内友喜が入団した。
1stステージは3位(10勝2分3敗)で終了。1stステージ末には、チームを牽引してきたストイコビッチが現役引退、後釜としてマルセロを獲得、ほぼ同時期に福田健二がFC東京へ移籍した。年間総合では5位(17勝3分10敗)とまずまずの成績を残す。

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2002年 - 2007年

2002年
元ジェフユナイテッド市原監督のズデンコ・ベルデニックを引き抜き監督に迎えた。ユースから山口慶が昇格、吉村圭司片桐淳至が入団し、鄭容臺を獲得した。宮原裕司が退団した。
5月にはウリダマルセロに戦力外通告を行い、7月にパナディッチヴァスティッチを獲得した。チームとしては開幕から(特にベンゲル以降は一貫して)基本システムとして4-4-2を採用していたが、このシーズン途中からトルシエジャパンでも用いられた3-5-2へとシステムを変更した。
1stステージは3位(10勝5敗)と好成績を残したが、2ndステージは13位(5勝1分9敗)と低迷する。年間総合は6位(15勝1分14敗)であった。
2003年
山口素弘に戦力外を通告。ユースから平林輝良寛が昇格、渡邊圭二深津康太が入団、藤本主税海本幸治郎を獲得した。2月に上田滋夢がテクニカルディレクターに就任。
パナディッチ、大森征之、古賀正紘による3バックとボランチの中村直志と吉村圭司が機能し、高い守備力を誇るが反面得点力は乏しかった。5月にヴァスティッチが退団すると、6月にマルケスを獲得。1stステージでは7位(5勝8分2敗)と順位こそまずまずだが、大事な場面で点が取れない試合が多かった。
シーズン中にはウェズレイと監督の間に起用を巡って確執があることが表面化した。勝ちきれない体質を改善するためベルデニックを解任し、2ndシーズン開始前にネルシーニョ監督を招聘。9月には川崎フロンターレから石塚啓次を獲得した。順位こそ8位(6勝4分5敗)であったが、ウェズレイがJ1得点王を獲得した。年間総合は7位(11勝12分7敗)。
2004年
藤本主税が移籍。豊田陽平が入団。森山泰行が三度復帰したほか、川島永嗣秋田豊角田誠岩本輝雄大野敏隆(レンタル移籍)と大型補強を行った。
6月にパナディッチ、7月に森山泰行、8月に滝澤邦彦が相次いで移籍。それを補うため7月にクライトンがネルシーニョ監督によって招かれ、井川祐輔をレンタル移籍で獲得した。その後も本田征治、滝澤邦彦(レンタル移籍)が移籍した。年間総合成績は7位(12勝8分10敗)。
2005年
大型補強をやめピンポイント補強に転換し、若手の育成に力を入れる事を宣言する。そのため、ミスターグランパスとも呼ばれた岡山哲也をはじめ、レンタル移籍から戻った滝澤邦彦、海本慶治、海本幸治郎、藤田泰成、原竜太と多くの主力選手を放出したものの、他クラブからの補強は安英学増川隆洋の2人に留まっている。新人では、前年から特別指定選手としてチームに帯同していた本田圭佑のほか、杉本恵太鴨川奨が入団、ユースから津田知宏が昇格した。この年はアルビレックス新潟との間で、岡山・海本兄弟・安英学と4件の移籍が発生するという異例な事態となった。
4月にチームのエースストライカーであったウェズレイが退団するものの、序盤戦では2位になるなど幸先良いスタートを切ったが、5月にマルケスが退団すると、次第にチームは失速し、また得点力不足に陥った。そのため6月に藤田俊哉中山悟志を獲得し、7月にはルイゾンを獲得したが、成績不振を理由にネルシーニョ監督が解任される。
ネルシーニョ監督が解任されるとルイゾンも退団し、クライトンを苦し紛れにFW起用するなど得点力不足に拍車がかかるようになる。その結果、クライトンは本来のパフォーマンスを発揮できず、シーズン終了後に戦力外通告を受けている。
J2への降格すら現実味を帯びるほどの不振をきわめたが、11月20日に首位ガンバ大阪相手に2-1で勝利すると、続く23日の東京ヴェルディ1969戦を0-0で引き分け辛うじてJ1残留を決めた。最終成績は14位(10勝9分15敗)であった。
2006年
オランダ人監督のセフ・フェルホーセンが就任したが、フェルホーセンを招聘した上田TDが1月に解任される。新陣営が決まった段階でのこの人事は、サポーターの間に動揺を広げた。
玉田圭司スピラール金正友を獲得。ユースから青山隼が昇格し、阿部翔平竹内彬片山奨典井上渉が入団した。
フェルホーセンはチームの建て直しを図ったが、前線にポスト役となる選手がおらず、また本来のスタイルと異なるポストの役割を玉田に求めたことで玉田自身も調子を崩してしまう。長身の古賀正紘をFWで起用するなど打破を狙ったものの、シーズン序盤にはナビスコカップを含めると公式戦16試合勝ち星が無いと言う苦しい状況が続いた。しかし、7月にヨンセンを獲得すると得点力不足が改善、チームも上昇気流に乗るようになった。最終成績は7位(13勝9分12敗)。
ホームでFC東京に敗戦してからフェルホーセンと選手との間で練習方法を巡ってのトラブルが発生した事もあったが、後に和解している。
2007年
秋田豊に戦力外を通告。黄金世代と呼ばれた年代のユースから吉田麻也を始め、長谷川徹福島新太新川織部の4人が昇格したほか、小川佳純巻佑樹筑城和人が入団した。しかし古賀正紘、川島永嗣、角田誠、安英学ら複数の選手が移籍し、特に守備面に大きな不安を残した。
開幕4連勝など幸先良いスタートを切ったが、主力選手の怪我や出場停止などによって好不調の波が激しく、近年の課題でもあった決定力不足を露呈し、勝ち切れない試合が多く、前半戦終了時点で14位と低迷。特に8月半ばの横浜F・マリノス戦の3-0での惨敗後に、一部のサポーターが問題を起こす(次の大宮アルディージャ戦の試合前に両者とも謝罪)など、チーム内でも亀裂が起こっていた。結局11月18日の大分トリニータ戦で3-1で勝利してJ1残留を決めたものの、すでにJ2降格が決まっていた11月24日の横浜FC戦でのスコアレスドローや、天皇杯第5回戦でHonda FC(リーグカテゴリが2つ下の日本フットボールリーグに所属)に2-0で敗れるという波乱もあり、最後まで課題が残るシーズンであった。最終成績は11位(13勝6分15敗)。
このホーム最終戦(11月24日の横浜FC戦)の後に行われたセレモニーでは、フロントに対して今季のチーム成績不振に対する不満が書かれた横断幕が提げられ、その後挨拶をしにきたフェルホーセン監督に対して一部のサポーターから非難される声があるなど、サポーターの不満が表面化する一幕もあった。

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2008年 -

2008年
かつてチームを支えたストイコビッチが監督として復帰。ディド・ハーフナーもコーチとして復帰した。ヘッドコーチには、ストイコビッチとともにイビチャ・オシムの下でユーゴスラビア代表としてプレーしたボスコ・ジュロヴスキーを招聘、1月には新たにチームに設けたGMに久米一正が就任した。
鴨川奨に戦力外を通告、本田圭佑が移籍、スピラールと金正友が退団した。一方補強では、ストイコビッチが自ら引き抜いたバヤリツァのほか、マギヌン三木隆司西村弘司を獲得した。また、ユースから花井聖が昇格、佐藤将也が入団した。
シーズン前にはFC岐阜がJ2に加盟したことから、東海3県では初となるプレシーズンマッチが、FC岐阜の本拠地である長良川陸上競技場で開催された。リーグ開幕戦の京都サンガF.C.とは引き分けたものの、第2節からの6連勝で一時は首位にもなった。最終節まで優勝争いを演じ、最終的に3位(17勝8分9敗)となり、2009年のAFCチャンピオンズリーグ出場も決定した。また、この年の8月には1993年のJリーグ開幕以来1度も勝ち星を挙げることができなかったカシマスタジアムの鹿島アントラーズ戦で初めて勝利を収めた(後述#鬼門のカシマスタジアムを参照)。
2009年
チームの活性化を目指してヨンセン、藤田俊哉、大森征之、米山篤志、三木隆司などの主力のベテラン選手を放出し、ユースから昇格した磯村亮太をはじめ6人の新人選手が入団し、コンサドーレ札幌からダヴィ横浜F・マリノスから田中隼磨を獲得した。さらに、前年に新人王を獲得した小川佳純にはストイコビッチ監督の代名詞でもある背番号10が与えられた。また、かつてストイコビッチとともにチームを支えた伊藤裕二と飯島寿久がトップチームのコーチに昇格した。前年の世界金融危機の影響で親会社のトヨタ自動車が経営不振による赤字に転落したがチームへの影響は薄く、前述のベテラン組の放出を除いてほとんどの選手が残留した。
3月22日の第3節清水エスパルス戦で3-1と勝利、ホームゲーム通算150勝を達成した。中断期間前の5月24日まででダヴィは9得点を挙げ、その時点で得点ランキングトップであったものの、ダヴィ以外の得点は7点に留まった。この原因の1つとして昨シーズンにヨンセンが務めたポストプレイヤーの役割にダヴィが適合していなかったことが指摘され、ストイコビッチ監督の目指すサイド攻撃を活かすためのターゲット役の獲得が急がれた<ref>Template:Cite web</ref>。外国人枠は埋まっていたためAFC枠で獲得可能な外国人選手を調査し、6月21日にオーストラリア代表のFWケネディの獲得を発表した<ref>Template:Cite web</ref>。玉田やダヴィとの共存でチームの得点力不足改善が期待された<ref>Template:Cite web</ref>が、7月22日にダヴィのウム・サラルSC移籍が決定した<ref>Template:Cite web</ref>。その後、7月29日には空いた外国人枠でモンテネグロ代表ブルザノヴィッチを獲得<ref>Template:Cite web</ref>、次いで8月3日には層の薄い左サイドの補強として元日本代表の三都主アレサンドロを獲得<ref>Template:Cite web</ref>するなど精力的な補強を行った。
守備面ではバヤリツァの長期離脱が大きく響き、前半戦は常にセンターバック駒不足の状態が続いた。吉田と増川の2人がほぼ全ての試合に先発出場したが、7月5日のリーグ戦ガンバ大阪戦では両者を怪我と出場停止で欠き、センターバック経験の乏しい竹内と佐藤が起用されるに事態に至った<ref>Template:Cite web</ref>。前半戦から学生時代にセンターバック経験のある巻佑樹の起用も検討されており、増川とバヤリツァをインフルエンザと怪我で欠いた後半戦の10月25日の磐田戦では実際にセンターバックで先発出場した<ref>Template:Cite web</ref>。
リーグ戦では万全なコンディションで挑めない状況から中位に甘んじる一方、現在の方式となってから初の出場となったAFCチャンピオンズリーグは予選リーグを1位通過し、準々決勝で川崎フロンターレに勝利して日本勢としては唯一のベスト4進出となった。しかし、準決勝でアル・イテハド(サウジアラビア)に敗れ、3年連続の日本勢決勝進出はならなかった。天皇杯では10年ぶりに決勝まで駒を進めたが、ガンバ大阪に破れ準優勝に終わった。
2010年
バヤリツァ、広野耕一山口慶新川織部の4選手と契約を更新せず、吉田麻也が完全移籍、平木良樹佐藤将也、津田知宏が期限付きで移籍した。補強面では金崎夢生田中マルクス闘莉王‎千代反田充を完全移籍で、ダニルソンを期限付き移籍で獲得、新井辰也が入団した。

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エピソード

名古屋の『中位力』

トヨタ自動車をスポンサーとする強力な資金力を背景に毎シーズン積極的な戦力補強を行っているが、結果には結びついていない。昨今では大物選手が移籍を匂わすと、必ずと言っていいほど名古屋の名前が挙がる。それでもなかなか優勝できず、しかしながらJ2降格も経験していないいわゆる「万年中位」状態が続いている。

また、上位のクラブに勝利しながら下位のクラブにあっさりと敗戦してしまうことも多い。たとえば、2006年ではリーグ優勝した浦和レッズに敗戦を喫していない(1勝1分)唯一のチームである一方で、ともに大差をつけられて最下位となった2002年のコンサドーレ札幌と2005年のヴィッセル神戸に唯一2連敗(その上無得点)を喫していることが挙げられる。加えて1999年には、2ndステージで1勝(1分13敗)しか挙げられなかったベルマーレ平塚にその1勝を献上している。

ゴールデンウィーク期間中の弱さ

近年のゴールデンウィーク期間中の成績は、全くと言って良いほど悪く、2004年から2008年まで、ほとんど勝ち星がなかった。 また、近年の失速の理由は、この期間での勝敗で左右されている。

カップ戦の苦手さ

ナビスコ杯では2004年のベスト4から3年連続グループリーグ敗退を喫しており、2007年に至ってはナビスコ杯参加チームで唯一未勝利のままで敗退している。また、J2経験の無い5チームの中で名古屋のみがナビスコ杯をとっていない。

天皇杯に関しては、1999年シーズン優勝以降からの成績がほとんどベスト16以下であり、ベスト8が1回しかない。2003~2007年は5年連続でベスト16で敗退し、準々決勝進出を逃している。ただし、ストイコビッチ監督が就任した2008年は、浦和など強豪と同じグループでありながら最高の成績で予選を通過し、2004年以来のベスト4に入った。翌2009年は初出場のACLで日本勢最高成績となる4強、天皇杯でも10年振りの決勝進出を果たしており、ストイコビッチ政権下ではカップ戦での弱さは払拭されつつある。

鬼門のカシマスタジアム

グランパスはJリーグ開幕以来、2008年までカシマスタジアムで1度も勝っておらず、引き分けすら1つもないというジンクスがあった。グランパスは1993年のJリーグ開幕戦、カシマスタジアム鹿島アントラーズと対戦し、ジーコにハットトリックを決められ大敗して以来、天皇杯ナビスコ杯含めて21連敗であった。グランパスが念願のカシマスタジアム初勝利を挙げたのはJリーグ開幕から15年以上経った2008年8月23日だった。 さらに、2009年にも4-1で勝利。「鬼門」という言葉も消えつつある。

成績

Jリーグ年度別

「順位」欄の( )内の数字は所属チーム数。

年度 リーグ ステージ 年間順位 順位 勝点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 得失 ナビスコ杯 天皇杯 監督 平均入場者数
1992年 - - - - - - - - - - - - 準決勝進出 1回戦出場
Template:Flagicon 平木隆三 -
1993年 J SUNTORY 9位(10) 9位 - 18 7 - 11 21 38 -17 Bグループ</BR>4位 準々決勝進出
○○●
19,900人
NICOS 8位 - 18 5 - 13 27 28 -1
1994年 SUNTORY 10位(12) 8位 - 22 9 - 13 23 28 -5 1回戦出場 2回戦進出
○●
Template:Flagicon ミルン 21,800人
NICOS 12位 - 22 6 - 16 33 54 -21
1995年 SUNTORY 3位(14) 4位 - 26 15 - 11 50 48 +2 - 優勝
○○○○○
Template:Flagicon ベンゲル 21,500人
NICOS 2位 - 26 17 - 9 49 34 +15
1996年 年間 2位(16) 63 30 21 - 9 63 39 +24 Bグループ</BR>7位 3回戦進出
Template:Flagicon ベンゲル
Template:Flagicon ケイロス
21,700人
1997年 1st 9位(17) 12位 18 16 6 - 10 18 24 -6 準決勝進出 3回戦進出
Template:Flagicon ケイロス 14,800人
2nd 5位 30 16 10 - 6 23 24 -1
1998年 1st 5位(18) 3位 33 17 12 - 5 37 21 +16 Dグループ</BR>2位 準決勝進出
○○○●
Template:Flagicon 田中孝司 14,000人
2nd 6位 30 17 11 - 6 34 26 +8
1999年 J1 1st 4位(16) 8位 21 15 7 1 7 30 23 +7 準決勝進出 優勝
○○○○○
Template:Flagicon 田中孝司
Template:Flagicon サンチェス(4月~)
Template:Flagicon カルロス(10月~)
14,700人
2nd 2位 33 15 11 1 3 32 23 +9
2000年 1st 9位(16) 12位 19 15 7 1 7 17 18 -1 準決勝進出 4回戦進出
○●
Template:Flagicon カルロス 14,100人
2nd 7位 22 15 7 1 7 25 27 -2
2001年 1st 5位(16) 3位 27 15 10 2 3 29 20 +9 準決勝進出 3回戦進出
Template:Flagicon カルロス
Template:Flagicon 三浦哲郎(8月~)
17,000人
2nd 6位 22 15 7 1 7 27 25 +2
2002年 1st 6位(16) 3位 29 15 10 0 5 28 18 +10 Dグループ</BR>3位 4回戦進出
○○●
Template:Flagicon ベルデニック 16,300人
2nd 13位 16 15 5 1 9 21 23 -2
2003年 1st 7位(16) 7位 23 15 5 8 2 19 16 +3 準決勝進出 4回戦進出
○●
16,800人
2nd 8位 22 15 6 4 5 30 26 +4 Template:Flagicon ネルシーニョ
2004年 1st 7位(16) 8位 20 15 5 5 5 24 22 +2 準決勝進出 5回戦進出
○●
15,700人
2nd 5位 24 15 7 3 5 25 21 +4
2005年 年間 14位(18) 39 34 10 9 15 43 49 -6 Dグループ</BR>3位 5回戦進出
○●
Template:Flagicon ネルシーニョ
Template:Flagicon 中田仁司
13,300人
2006年 年間 7位(18) 48 34 13 9 12 51 49 +2 Dグループ</BR>5位 5回戦進出
○●
Template:Flagicon フェルフォーセン 15,200人
2007年 年間 11位(18) 45 34 13 6 15 43 45 -2 Dグループ</BR>4位 5回戦進出
○●
15,600人
2008年 年間 3位(18) 59 34 17 8 9 48 35 +13 準決勝進出 準々決勝進出
○○●
Template:Flagicon ストイコビッチ 16,600人
2009年 年間 9位(18) 50 34 14 8 12 46 42 +4 準々決勝進出 決勝進出
○○○○○●
15,900人
2010年 年間 -(18) 22 12 7 1 4 18 14 +4 - - -
合計 590 280 69 241 934 860 74

2010年シーズン第12節終了時。

対戦チーム別通算成績

カップ戦などとはナビスコ杯、天皇杯、アジアクラブ選手権での対戦データ。

<tr style="background-color:#FF0000; color:#ff0; font-weight:bold"> <th rowspan="2">対戦クラブ <th colspan="6">J1<th> <th colspan="6">カップ戦など
勝利 引分 敗戦 得点 失点 勝利 引分 敗戦 得点 失点

</tr>

コンサドーレ札幌 4131412-----
ベガルタ仙台 50014410010
モンテディオ山形 21041-----
ザスパ草津 -----10031
鹿島アントラーズ 16124568251132538
浦和レッズ 2341276423031713
大宮アルディージャ 62223810245
柏レイソル 15411484222176
ジェフ千葉 2631180514331312
FC東京 848242410136
東京ヴェルディ 1341755623041013
川崎フロンターレ 247152510143
横浜F・マリノス 15718506311243
横浜FC 1102110010
横浜フリューゲルス 8010243122073
湘南ベルマーレ 1006342520063
ヴァンフォーレ甲府 2119401337
アルビレックス新潟 436131712144
清水エスパルス 1751860605241917
ジュビロ磐田 126195361312118
FC岐阜 -----20040
京都サンガ 1245332331254
ガンバ大阪 1722266772121011
セレッソ大阪 151951342322114
ヴィッセル神戸 113113733430125
サンフレッチェ広島 1851445515121510
アビスパ福岡 1103291201134
大分トリニータ 734191512133
28069241934860

2010年シーズン第12節終了時。

相性

Template:複数の問題

国際試合

開催年月日 大会名 対戦相手 会場 スコア 勝敗
1996年9月11日ACWC1996-97 2回戦Template:Flagicon ハイフォン警察ベトナム1-1引分
1996年9月18日ACWC1996-97 2回戦Template:Flagicon ハイフォン警察瑞穂球技場3-0勝利
1996年10月9日ACWC1996-97 3回戦Template:Flagicon サウスチャイナ長良川陸上競技場2-0勝利
1996年10月22日ACWC1996-97 3回戦Template:Flagicon サウスチャイナ香港2-2引分
1996年11月24日ACWC1996-97準決勝Template:Flagicon 蔚山現代サウジアラビア5-0勝利
1996年11月26日ACWC1996-97決勝Template:Flagicon アル・ヒラルサウジアラビア1-3敗戦
1997年3月2日サンワバンクカップ1997Template:Flagicon ワシントンD.C.ユナイテッド国立競技場3-1勝利
2000年9月10日ACWC2000-01 2回戦Template:Flagicon ハッピーバレー瑞穂陸上競技場3-1勝利
2000年9月16日ACWC2000-01 2回戦Template:Flagicon ハッピーバレー香港3-0勝利
2001年3月4日ACWC2000-01準々決勝Template:Flagicon 大連実徳大連0-0引分
2001年3月14日ACWC2000-01準々決勝Template:Flagicon 大連実徳瑞穂陸上競技場1-1引分
2009年3月10日ACL2009グループリーグTemplate:Flagicon 蔚山現代蔚山文殊サッカー競技場3-1勝利
2009年3月17日ACL2009グループリーグTemplate:Flagicon 北京国安瑞穂陸上競技場0-0引分
2009年4月7日ACL2009グループリーグTemplate:Flagicon ニューカッスル・ジェッツ瑞穂陸上競技場1-1引分
2009年4月22日ACL2009グループリーグTemplate:Flagicon ニューカッスル・ジェッツニューカッスル・スタジアム1-0勝利
2009年5月6日ACL2009グループリーグTemplate:Flagicon 蔚山現代瑞穂陸上競技場4-1勝利
2009年5月20日ACL2009グループリーグTemplate:Flagicon 北京国安北京工人体育場1-1引分
2009年6月24日ACL2009ラウンド16Template:Flagicon 水原三星瑞穂陸上競技場 2-1勝利
2009年9月23日ACL2009決勝T準々決勝Template:Flagicon 川崎フロンターレ国立競技場1-2敗戦
2009年9月30日ACL2009決勝T準々決勝Template:Flagicon 川崎フロンターレ瑞穂陸上競技場3-1勝利
2009年10月21日ACL2009決勝T準決勝Template:Flagicon アル・イテハドプリンス・アブドゥッラー・アル・ファイサルスタジアム2-6敗戦
2009年10月28日ACL2009決勝T準決勝Template:Flagicon アル・イテハド瑞穂陸上競技場1-2敗戦

上記以外の獲得タイトル

個人タイトル

Jリーグ
年度 最優秀選手(MVP) ベストイレブン 得点王 新人王
1993年 - - - -
1994年 - - - -
1995年 ストイコビッチ ストイコビッチ - -
1996年 - ストイコビッチ - -
1997年 - - - -
1998年 - - - -
1999年 - ストイコビッチ - -
2000年 - - - -
2001年 - - - -
2002年 - - - -
2003年 - 楢崎正剛
ウェズレイ
ウェズレイ -
2004年 - マルケス - -
2005年 - - - -
2006年 - - - -
2007年 - - - -
2008年 - 楢崎正剛
小川佳純
- 小川佳純
2009年 - - - -

ユニフォーム

チームカラー

  • チームカラーは赤、オレンジ(このうち赤はチーム創設当初は「バーバリアン・レッド」と称された。これは当時のチームスローガン「知的野性人」からの命名であった)。

Template:ユニフォームの色2

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
トヨタ自動車TOYOTA2001年〜1992年〜2000年までは袖
背中豊田自動織機豊田織機2006年、
2009年〜
中部電力中部電力2008年〜
パンツトヨタファイナンスTS CUBIC CARD2004年〜

ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992~1996年 リーグ戦・ミズノ、カップ戦・ルコック
  • 1997年 リーグ戦・アンブロ、カップ戦・ルコック
  • 1998年~現在 ルコック

※「ルコック」ブランドは日本ではデサントが販売を展開している。

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992年-TOYOTA--lecoq
1993年-TOYOTA--Mizuno/lecoq
1994年-TOYOTA--Mizuno/lecoq
1995年-TOYOTA--Mizuno/lecoq
1996年-TOYOTA--Mizuno/lecoq
1997年-TOYOTA--UMBRO/lecoq
1998年-TOYOTA--lecoq
1999年-TOYOTA--lecoq
2000年-TOYOTA--lecoq
2001年TOYOTAHISAGO--lecoq
2002年TOYOTAHISAGOTOYOTA L&F-lecoq
2003年TOYOTAHISAGODENSO-lecoq
2004年TOYOTAHISAGODENSOTS CUBIClecoq
2005年TOYOTAHISAGOTOYOTA L&FTS CUBIClecoq
2006年TOYOTAHISAGO豊田織機TS CUBIClecoq
2007年TOYOTAHISAGODENSOTS CUBIClecoq
2008年TOYOTA中部電力DENSOTS CUBIClecoq
2009年TOYOTA中部電力豊田織機TS CUBIClecoq
2010年TOYOTA中部電力豊田織機TS CUBIClecoq

※1:1992年~2000年の袖「TOYOTA」はロゴは使用せず、シンボルマークのみを採用。
※2:2001年に「TOYOTA」のロゴを入れるまで、胸部分にはグランパスのチームロゴを入れていた。
※3:「TOYOTA L&F」は「豊田織機」(豊田自動織機)の社内カンパニーである。

エンブレム

  • 1992年-1993年 グランパスくんをそのままエンブレムとして採用。
  • 1994年-1997年 チームフラッグをモチーフにした円形のエンブレムを採用。
  • 1998年- 楯と王冠をモチーフに「NGE(Nagoya Grampus Eight)」とグランパスくんを盛り込んだものを採用。

下部組織

近年下部組織にも力を入れ吉田麻也などを輩出している。2006年2008年高円宮杯U-18で準優勝するなど全国規模の大会での活躍も目立ち始めている。

出身選手

主な獲得タイトル

U-18

1回: 2008年

U-15

1回: 2008年
1回: 1999年

U-12

1回: 2009年

その他の協賛社

ここでは出資会社、クラブスポンサーを列挙する(2009年現在)。

オフィシャルスポンサー

クラブスポンサー

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出資会社

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名古屋グランパス後援会

  • 東海3県知事・サッカー協会、名古屋市長・サッカー協会、出資会社を核とし、後援会事務局、法人会員631社(2009年11月時点)からなるチームの支援組織。法人会員にはトヨタ自動車の下請け企業・全国各地の販売店・主要在名民放局(愛知国際放送を除く。愛知県外では三重テレビも法人会員)といった企業・団体等も入会している。
  • 毎年シーズン前に名古屋市内のホテルで、スポンサー・後援会法人会員・監督・選手が出席するパーティー形式のイベントが行われている。


マスコットキャラクター

マスコットキャラクターはチーム名の「グランパス(Grampus)」にちなみシャチをモチーフにしている。

2009年現在、グランパスくんをはじめ、グランパコちゃん(妻)、グランパスくんJr.(息子)、グララ(娘)がおり、グランパスファミリーを形成している。

Template:See

歴代スタジアムDJ

関連メディア

試合中継

テレビ放送
試合中継を民放で放送する際、スポンサーとなるトヨタグループ9社を紹介する共通CMを放送する(一部応援番組などでも放送されている)。
Jリーグ黎明期に沖縄県で開催されていた地元放送局・沖縄テレビ主催によるおきぎんカップ(名古屋と沖縄県のサッカークラブとのプレシーズンマッチ)の試合放映は、東海テレビ中京テレビの両局が隔年交代で放送していた(試合中継は沖縄テレビ制作のを放送)。
テレビ・ラジオともに、並びは試合中継数が多い順。
NHK
  • テレビ(ローカル放送・BS含む)・ラジオ。近年は地上波テレビ放送(ローカル)にてJリーグホーム開幕戦の試合を生中継している。
J SPORTSスカチャンなどのCSチャンネル
  • 2008年から中京テレビ放送が試合中継に協力<ref>実際の試合中継制作のほか、中京テレビのアナウンサーが実況を担当しているが、稀にフリーアナウンサーが実況を担当する試合がある。</ref>している。
名古屋テレビ(メ~テレ)
  • 民放テレビ局では唯一、2007年まで年1試合程度のリーグ戦の生中継を行っていたが、2008年以降は後述にも記載するとおりFC岐阜のスポンサーになった事<ref>これとともに、スカパー!用の中継を地元放送局の岐阜放送と交代で担当している</ref>から、録画中継に切り替わったが、依然として在名テレビ局の中では試合中継数が一番多い。この事も関連してか、2008年以降、両チームのJリーグ開幕前のプレシーズンマッチを主催し、録画中継を行っている。キー局のテレビ朝日AFCアジアチャンピオンズリーグ・放送権を保持している事から、グランパス出場時にはホーム戦を中心に試合中継(基本的には録画中継が主となるが、生中継を行う場合もある)を行う。
東海テレビ
  • 通常のリーグ戦に加え、ヤマザキナビスコカップのホーム戦も不定期で中継する(キー局のフジテレビが放映権を持っているため)。
中京テレビ
  • 前述にも記すとおり、2008年度よりホームゲームに限り、スカパー!向けの試合中継制作を担当(その一方で、地上波での試合中継は減っている)。スカパー!の解説はグランパスOBの藤川久孝などが担当。東海テレビの解説者でもあった沢入重雄も担当していた。
CBC
  • ラジオはネットワークの関係で放送権を持っていないが、テレビのみ年に1回程度の録画中継がある。
テレビ愛知
  • Jリーグの人気が全盛期の頃は、ホーム戦のナイトゲームを生中継したり、ファン感謝デーの模様をまとめた特別番組を放送<ref>ファン感謝デーの放送は、試合中継が無くなった後も行われていた。</ref>するなど、一時は中日ドラゴンズ戦中継数を上回るという事もあった。しかし人気が下降気味になってからは中継数を徐々に減らし、2005年の1試合の録画放送を最後に、在名テレビ局では唯一試合中継が無い状態となっている。
ラジオ放送
2009年4月12日の豊田スタジアムで行われた浦和戦からは、ホーム戦で不定期ではあるが、インターネットストリーミング放送をラジオと同時中継を行うことになった(東海ラジオ制作分に関しては地上波が生中継を行っている場合以外はインターネットのみ放送)
エフエムとよた
  • 2007年10月21日のFC東京戦より実況中継を開始。2008年以降は「GRAMPUS BEAT」としてホーム戦を全試合中継の予定。2008年は優勝争いをしていたこともあり、同年のシーズン最終戦は、名古屋から遠く離れた大分で行われたが、現地にスタッフを派遣し生中継を行った。解説にグランパスS.A.の関谷憲生、実況はフリーアナウンサーが担当。
東海ラジオ

応援番組

以下の並びは放送日(又は初回放送分)を月曜日起点とする。

その他

月刊グラン
  • 中日新聞社出版開発局発行の月刊情報誌。定価・650円(以前は400円だった)。
オフィシャルサイト
  • PC版(リンクは後述の「外部リンク」を参照の事)とモバイル版<ref>2010年1月まではソネットエンタテインメントが運営していたが、同年2月1日よりグランパス自身が運営している。</ref>(月額210円)の2種類がある。
グランパスダイレクト(通販サイト)
  • 楽天市場内に開設。常設のグッズショップ閉鎖後は、ホームスタジアム以外でグッズが購入できる唯一の手段となっている。
グランパスオフィシャル・スタッフBLOG
  • グランパスを影から支えるスタッフが綴る不定期更新のブログ。

関連項目

脚注

Template:Reflist

外部リンク

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