モンテディオ山形

出典: Wikipedio


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画像:Yamagata Prefectural Sports Park Main Gate.jpg
山形県総合運動公園陸上競技場・NDソフトスタジアム

モンテディオ山形(モンテディオやまがた、Montedio Yamagata)は、日本山形県にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

クラブの概要

1999年、Jリーグ加盟。チームの母体は1984年に結成されたNEC山形(NECの子会社である「山形日本電気」、現・ルネサス山形セミコンダクタ)鶴岡工場サッカー部で、1985年には山形工場内へ本拠地移転。1996年にチーム名をNEC山形よりモンテディオ山形へ変更。なお、チーム名の「モンテディオ」とはイタリア語の「モンテ (Monte)」(山)と「ディオ (Dio)」(神)を合わせた造語で「神の山」を意味する。ホームタウン山形県山形市天童市鶴岡市を中心とする全県。

ホームスタジアムはNDソフトスタジアム山形。この他、以前は山形市陸上競技場鶴岡市小真木原公園陸上競技場でも公式戦を開催し、山形市陸上競技場は練習場として現在でも使用している。他に山形県総合運動公園球技場、補助競技場なども練習に使用している。更に1994年旧JFL昇格時にはそれらにナイター照明設備がなかった関係で、ナイター設備がある山形県野球場で公式戦を開催した例もある。

加入当時は北海道東北地方において唯一の旧JFL加盟クラブだった。

運営法人は社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会。他のJリーグチームの運営法人が全て株式会社なのに対して、唯一の社団法人による運営法人である。年会費は法人向けとして正会員が50万円、賛助会員が5万円。かつては個人向けとして後援会員が1万円で、2008年からは後援会員制度を廃止しファンクラブ制に移行。会費は年額6000円、特典としてファンマガジン「Rush」が毎月送られてくる。なお、後期からの入会については3000円となっている。 2009年のファンクラブ会費は3000円である。「Rush」の定期購読は選択制となった。

クラブの歴史

Jリーグ加盟以前(1987-1998年)

実業団時代の1987年、鶴岡地区リーグ在籍時に地元で5年後の1992年に開催されるべにばな国体のサッカー競技承引企業に指定され、地元の有力高校から強化指定選手を採用するなど本格的な強化を始める。その後、1989年には発足したばかりの山形県リーグで優勝し、東北地域リーグでは1990年の初優勝から1993年までに4季連続優勝を果たす。そして、1992年のべにばな国体では、成年1部にて6位入賞。べにばな国体終了後目標をJFL昇格に照準を変えていたチームは1994年に東北地区初のJFL昇格を果たした。1995年より石崎信弘が監督となり、チームは地力を付けながら年々順位を上げて、1998年には一時期首位に立つも最終的には3位になる。

J2時代(1999-2008年)

1999年

Jリーグ2部制開始とともにJ2に参加。植木繁晴が監督就任。リーグ戦は7位で終了したが、最終節で大分トリニータの昇格を阻止(秋天の陽炎参照)し存在を示した。FW真下佐登史はJ2リーグ2位の18ゴールを挙げる活躍を見せた。天皇杯ではヴィッセル神戸セレッソ大阪のJ1勢を破りベスト8に進出。

2000年

第1クールは開幕5連敗だった事もあり、11勝2分27敗で11クラブ中10位で終了。ただ、J1昇格候補の浦和レッズには第11節でJ2初黒星をつけ、第40節でも2-1で勝利する。また、大分にも第41節で引き分けに持ち込み、目の前でのJ1昇格を阻止する。

2001年

柱谷幸一が監督就任。リーグ戦では後半に快進撃を続け、ホームで迎える最終節で90分での勝利を挙げれば自力でのJ1昇格が可能となる2位を確保できる状況で最終節を迎えたが、0-0で90分間が終了した事から90分間での勝利を収めた3位のベガルタ仙台が2位でJ1への昇格確定。山形は3位で終了し、J2残留。

2002年

主力流出の影響を受けて開幕から4連敗。その後も勝ちきれない試合、連敗が重なり最終的に11位で終了。

2003年

開幕6試合までで1分5敗。前年に引き続きスタートダッシュに失敗。7節目のサガン鳥栖で今季初勝利。その後徐々に調子を取り戻し8節~22節まで8勝5分2敗と一気に勝ち点を重ね4位につけ前年の不振を感じさせない躍進を遂げたものの2位チームとの勝ち点差は10にも広がっていた。しかしその後は勢いが落ち3連敗を3度し連勝が全くなく最初の不振が響き8位で終了。昇格を争った上位3チームには通算で1勝しかできずに終わった。柱谷は成績不振と自身の不祥事で事実上の解任。

2004年

鈴木淳が監督就任。開幕3分と勝ちきれない試合が続いたが、その後安定した試合運びで上位に漬け込んだ。しかし終盤には失速し、昇格争いの最大のライバル大宮アルディージャ戦をホームで迎えたものの1-3で敗れ痛い一敗を喫した。その後2勝1分2敗。最終節ホームでJ1・J2入れ替え戦を掛け、3位アビスパ福岡との直接対戦。しかしその試合も敗れ、最終順位は4位。またもやJ1昇格の道が絶たれた。ただFWでプレーしていた大島秀夫が22得点しJ2得点ランキング2位となり横浜F・マリノスに移籍。そしてこの年首位を独走し圧倒的な力でJ2を制した川崎フロンターレに2勝1分1敗とこの年J2に参入していたチームの中で唯一勝ち越した。

2005年

シーズン後半まではJ1昇格争いに加わるも、第37節から4連敗を喫するなど終盤に失速。J2リーグ5位で終了。シーズン終了後には鈴木監督がアルビレックス新潟の新監督として事実上引き抜かれた。

2006年

1999年のJ2初年度に参加した10チームのうち、J1昇格未経験は山形とサガン鳥栖の2チームのみとなった。新潟の監督に就任した鈴木前監督に代わって、横浜F・マリノスでトップチームコーチを務めた樋口靖洋が監督に就任。更に日本サッカー協会参事で山形県米沢市出身の新藤一晴が常務理事に就任し、サテライトリーグへの参加をスタートさせた。しかし、チームはFWレアンドロの決定力で得点力は増加したものの、守備に安定感を欠いた事や主力で怪我人も多く出た事から、開幕7試合未勝利やシーズン途中の10試合未勝利などで一時期は最下位にまで低迷する。この為、第44節の札幌戦で引き分けた時点でJ1昇格への可能性が早々に消滅し、最終的には8位で終了した。なお、財政難で補強・有望新人の獲得が難しい状況の中、スカウト部門強化をねらい、鹿島アントラーズ元スカウト担当部長平野勝哉が強化育成部アドバイザーに就任した。また得点ランキング3位になったレアンドロはヴィッセル神戸に完全移籍した。

2007年

序盤は首位を走るなど快進撃を見せたが、怪我人の続出を補いきれない選手層の薄さと、深刻な得点力不足から急速にチームは失速。第45節で愛媛FCに1-3で敗れ、昇格の可能性が消滅した。また、樋口監督と島根聡一南省吾両コーチの契約非更新が発表された。

2008年

実績のある小林伸二を監督に招聘。同年開催の北京オリンピック日本代表選手の本大会メンバーに選出されたFWの豊田陽平名古屋グランパスよりレンタル移籍)、長谷川悠柏レイソルよりレンタル移籍)を中心とした若手選手の活躍により、仙台とのみちのくダービーに9年ぶりに勝ち越すなど、シーズン中盤からはJ1自動昇格圏の2位をキープ。さらに首位を独走し、アウェー戦負けなしだったサンフレッチェ広島に初めて黒星をつける。途中馬場憂太をレンタルで獲得し、その後も着実に勝ち点を積み重ねていった。第41節ホームで湘南ベルマーレと対戦、後半ロスタイムに渡辺匠に劇的な決勝ゴールを決め、昇格が後一歩の所にまで来た。第43節のロアッソ熊本に勝ちを取りこぼし、ホームでのJ1昇格とはならなかったが、11月30日第44節で愛媛FCと対戦、試合終了間際の後半43分と44分に石川竜也と豊田がそれぞれゴールを挙げ、3-2で逆転勝利。2位が確定し、翌12月1日のJリーグ臨時理事会で昇格が承認され、J2参加10年目にして、1999年のJ2初年度に参加したチームで9番目に悲願のJ1初昇格を果たした。昇格した要因としては山形自慢の守備が確実に機能し、3失点以上した試合が全試合通じて3試合しかなかった。そして課題とされていた得点は豊田・長谷川という2枚看板のおかげで着実に1点は取っていった。つまり得点しその後は着実に守備で乗り越えるという機能が着実に発揮したのが一番の原因であり、連敗をした時期も一度だけであった。

J1時代(2009年-)

2009年

クラブ史上初のJ1・1年目のシーズンは開幕前にJ1昇格の立役者である豊田が京都サンガF.C.に完全移籍するものの、それ以外の主力はほとんど残留した。セレッソ大阪から古橋達弥を完全移籍で、川崎フロンターレから植草裕樹柏レイソルから小林亮をそれぞれレンタルで獲得。さらに2008年チーム得点王だった長谷川はレンタルを延長した。去年までレンタル移籍だった宮本卓也石川竜也は完全移籍となった。また、外国人枠ではブラジル2部リーグのガマからアンドレ・シルバを、同1部のクルゼイロECからジャジャを獲得。アジア枠ではポルトガルのヴィトリア・セトゥバルからキム・ビョンスクを獲得した。

開幕前は他チームと比べて戦力的に劣っていたため、専門誌の順位予想では全員最下位とされていたが、J1開幕戦となるアウェーでのジュビロ磐田戦で、いきなり6-2とJ1初勝利をチーム記録となる6得点で飾り、周囲を驚かせた。次節のJ1ホーム開幕戦・名古屋グランパス戦はNHKで全国中継され、後半から激しい降雪のゲームとなったが、両者得点を許さず0-0のドローに持ち込んだ。続く第3節FC東京でJ1初黒星を喫したが、4月終了時点で4勝2分2敗の勝点14と好調な滑り出しを見せた。

その後、ケガ人が続出して第10節神戸戦から3連敗、第14節清水戦から3連敗と調子を落とし、第16節終了時点でJ2降格圏内の16位まで順位を下げる。また、新加入のアンドレ・シルバは出場機会さえ得られず、1試合も出場せずに途中契約解除、ジャジャも2試合しか出場できず途中契約解除と、期待を大きく裏切ってしまう。その状況を打破するために浦和レッズから赤星貴文を、サンフレッチェ広島から西河翔吾を、それぞれレンタル移籍で獲得。第17節横浜戦では新加入2選手の活躍もあり2-1と逆転勝利すると、第22節のFC東京戦まで3勝1敗2分と調子を取り戻したかに見えたが、第23節川崎戦から第26節まで4連敗。15位まで順位を落とした。

第27節から第30節までは残留争いをする千葉・大分・神戸・柏との4連戦であった。この4連戦を3勝1分けの勝点10で負けなしで乗り切り、第30節終了時点では降格圏内の16位柏との勝点差を10に広げた。その後、天皇杯では3回戦で明治大学にJ1史上初の対学生戦敗北という完敗、リーグ戦第31節の鹿島戦ではシュート0本(J1初)に終わるなど不名誉な記録を生み不調を極めたが、11月28日の第33節にJ1残留が確定した(アウェー名古屋戦で0-2で敗れたものの、降格対象チームであった16位の柏が大宮戦<ref>試合が終わってから約1時間後にキックオフ</ref>に1-1で引き分け、勝ち点差が4となったため)。最終順位は10勝9分15敗の勝点39の15位で、終わってみれば降格圏内に落ちたのは第16節だけであった。

シーズン終了後、長年チームを支えたレオナルド小原章吾愛媛FCに移籍)、財前宣之(タイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドに移籍)ら10選手(期限付き移籍選手を含む)が退団した。

2010年

レンタル移籍で加入していた2008年・2009年のチーム得点王・長谷川を柏から、昨季途中加入し残留に大きく貢献した西河を広島からそれぞれ完全移籍で、千葉を戦力外通告された下村東美をトライアウトからそれぞれ獲得。新人では大学出身の中野圭伊東俊、さらに浦和レッズU-18ユースから中村隼の3人が入団。懸案であった攻撃陣は、鹿島から増田誓志田代有三の2人をレンタル移籍で獲得。さらに元U-23韓国代表ハン・ドンウォン城南一和から完全移籍で獲得した。レンタル移籍で加入している植草・小林の期間を延長し、新たに横浜F・マリノスからキム・クナンをレンタル移籍で獲得した。

3月19日の通常総会において海保宣生理事長の後任として4月1日から川越進・県サッカー協会専務理事が新理事長に就任することが発表された。

リーグ戦は、開幕戦ではJ1昇格チーム湘南ベルマーレ相手にドローとなる。しばらく勝てない状態が続いたが徐々に新戦力が噛み合い、第5節サンフレッチェ広島戦で初勝利を挙げた。その後白星と黒星を重ね、第12節終了時点で4勝2分6敗の13位でリーグ中断期間を迎えた。

ナビスコ杯は、グループリーグB組最終節を残した時点で2位に立ったが、勝てば清水(最終節試合なし)に替わって1位で決勝トーナメント進出となる最終節で3位磐田に敗れ、惜しくもGL敗退となった。しかしながらJ1昇格後初の3連勝達成。横浜FM、浦和などを抑え7チーム中3位で終わるなどナビスコ杯では一定の成果を収めた。

逸話

チーム名称の決定

1996年、将来のJリーグ昇格に向けて「NEC山形」からチームの名称変更を実施する事になった。県民などによる一般投票(投票総数1570票)の結果、「モンテディオ山形」・「オラクロス山形」・「ヴァーテクス山形」・「アルテリア山形」・「山形セレノール」という5つの名称候補の中から最多の490票を獲得した「モンテディオ山形」に決定した。

公益法人の設立

1999年からのJ2参入に向け、1996年9月、山形県サッカー協会・モンテディオ山形後援会・NEC山形による「モンテディオ山形法人設立準備室」が設置され、法人化に向けた準備を開始する。しかし、行政・NEC山形以外の出資企業が現れない為にJ2参入条件の一つである法人設立が難航した。1997年4月、当時のチーム運営母体のNEC山形が、法人化が実現しなかった場合の当年限りのJFL撤退を表明(但しユニフォームのスポンサー協賛は継続)し、山形県内の企業に法人化に向けた支援を求めた。

その後、同年5月には後に山形県副知事ならびに山形県スポーツ振興21世紀協会理事長となる金森義弘山形県教育長が積極的な行政支援を表明するなど、法人設立に向けての活動が促進され、1997年9月29日、モンテディオ山形法人設立準備室は運営母体を社団法人としてクラブを運営することを発表した。実際の法人設立は1998年2月。Jリーグも株式会社を運営母体と規定していた当時のJリーグ規約を改訂し、Jリーグチームとしては初となる公益法人格で1999年に発足したばかりのJ2リーグに参入を果たした。

J1昇格争い

2001年、J2リーグ戦はシーズン後半に快進撃を見せた山形を含めた最大6チームがJ1昇格に絡む大混戦となった。だが、京都パープルサンガが第43節の湘南ベルマーレ戦に勝利してJ1自動昇格圏内の1位でJ1昇格を確定させ、最終節にJ1自動昇格圏内の2位を山形、ベガルタ仙台大分トリニータの3チームが勝ち点差3という接戦の中で争う事となった。最終節に山形は暫定2位でホームに川崎フロンターレを迎え、90分間以内で試合に勝てばJ1昇格が確定となる2位だったが、試合は0-0で90分間が終了してVゴール方式の延長戦に突入した。しかし、暫定3位だったベガルタ仙台がアウェーでJ1昇格をすでに決めている京都パープルサンガから後半のロスタイムに先制点を挙げて0-1で試合終了、これでベガルタ仙台は90分間以内に勝利を収めて2位を確定させ、山形はJ1昇格を逃した。また、J1昇格を逃した山形は延長戦の開始直後に失点して試合にも敗戦した。なお、J2リーグ戦でのVゴール方式採用はこのシーズンが最後である。 Template:Main

2004年、1シーズンを通して川崎フロンターレがJ2リーグ戦を独走し、第36節の水戸ホーリーホック戦でJ1自動昇格圏内の1位確定、第42節の水戸ホーリーホック戦で大宮アルディージャが2位確定でJ1昇格を決め、山形、アビスパ福岡、京都パープルサンガを含めた残りの3チームはJ1・J2入れ替え戦に出場できる3位を争う事となった。43節で3位の福岡が勝利したためこの時点で京都が脱落。最終節ホームでアビスパ福岡との直接対決となり山形を降して3位を確定させ、山形は4位でシーズンを終えた。

2005年、昨シーズン同様この年は京都パープルサンガがJ2リーグ戦を独走、第37節の水戸ホーリーホック戦でJ1自動昇格を決め、アビスパ福岡も4クール目に入ると徐々に3位以下を引き離し第42節徳島ヴォルティスで昇格を決めた。よって入れ替え戦を山形、コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、ヴァンフォーレ甲府の4チームに絞られたが、41節に3位の甲府とアウェーでの対戦。先制されたもののその後得点し1-1の引き分けに終わる。42節にザスパ草津に4-0で勝利したもの甲府も勝ったためその時点でJ1昇格は消滅。最終的に5位で終わる。

金森体制の終焉

2006年、樋口体制で迎えたシーズン序盤で早々と不甲斐無い成績になり、とうとう試合後には山形サポーターの一部からは監督の樋口靖洋(当時)や専務理事兼ゼネラルマネージャーの金村勲(当時)に対して引責辞任を求める座り込みの抗議行動までが起こった。そんな中でシーズン途中には理事長職の任期満了に伴って、同協会理事長の金森義弘(当時)が退任。金森の後任には山形県知事齋藤弘(当時)が同協会理事長の後任人選を日本サッカー協会会長の川淵三郎(当時)に依頼し、川淵が推薦した鹿島アントラーズで専務などを務めた経験のある海保宣生が同協会の新理事長に就任した。これにより、山形サポーターから樋口と共に成績不振での引責辞任を求められていた金村が『金森理事長』という後ろ盾を失った為に辞任へと追い込まれた。

その後に開かれた辞任の記者会見の席で金村は「成績不振が辞任の原因ではない」と発言したが、これでクラブの黎明期から長期に渡って続いてきた金森体制に終止符が打たれた。しかし、長年に渡る金森体制時代の基本姿勢でもあった「昇格争いをすれば観客動員が増え収入増になるはず」というずさんな経営計画が災いし、同年には約1億3000万程度の赤字を抱えてしまい、最終的にはその赤字の穴埋めをする為に『J1昇格準備金』として用意していた予算を大幅に取り崩すという深刻な事態になった。

今もなお、Jリーグ33クラブの中で入場料収入・広告料収入は下位クラスであり、地方自治体財政難に伴う補助金廃止など、クラブは慢性的な財政難で予断を許さない状態である。これにより2007年度の課題を『観客動員数の増加』と『広告料収入の増加』に絞って取り組む方針とそれに伴った『入場料の改定(値上げ)』が発表された。

「はえぬき」と「つや姫」

モンテディオ山形のユニフォームには1999年のJリーグ加盟初年度以来、山形県産のブランド米の名称をモチーフにした胸広告が掲出されている(2008年シーズンを除く)。

山形県農業協同組合中央会(JAグループ山形)はモンテディオのJリーグ加盟以来、長年にわたってユニフォームの胸広告スポンサーを務めている。2007年まではブランド米「はえぬき」の広告を掲出していたが、2008年の1シーズンだけ胸広告から一時撤退した。これは同年シーズン前、広告料の値上げを希望していたクラブ側と金銭面で折り合わなかったのが原因である。同年は同じくJリーグ昇格の初年度からユニフォームの背中広告スポンサーを務めていた平田牧場が胸広告のスポンサーとなり、同社の「平田牧場」のロゴが胸部分に入った。これにより事実上、サポーターに馴染みが深かった「はえぬきユニ」が消える事となった。ただ、JAグループ山形は胸広告から撤退こそしたものの、同年シーズンも引き続きチームスポンサーとして契約していた。

JAグループ山形は県内で開発された水稲の新品種「山形97号」に関し、翌2009年のJ1昇格に合わせ、再びクラブの胸スポンサーとなってPRする意向を示した。そしてJ1開幕直前の2009年2月23日、この新品種の名称が7つのネーミング候補の中から「つや姫」に選ばれると共に、急ピッチで胸ロゴの制作に着手。結局3月7日の開幕戦(対ジュビロ磐田ヤマハスタジアム)には間に合わなかったものの、3月14日のホーム開幕戦(対名古屋グランパス、NDスタ)で新ユニフォームがお披露目された。但しスポンサー名儀はJAグループ単体ではなく、2009年は山形県とJAグループから成る「『つや姫』ブランド化戦略実施本部」、2010年は山形県農林水産部新農業推進課・おいしい山形推進機構事務局、全国農業協同組合連合会山形県本部(JA全農山形)、JAグループ山形、JA全農山形庄内米ファンクラブの、それぞれ連名によるものとなっている。なお「つや姫」自体の市販開始は2010年秋を予定している。

マスコット決定を巡る騒動劇

2005年にマスコットを作成することとなり8月公募を開始。1766点の応募より絞り込まれた3点に対するサポーター投票結果を参考に12月20日の第2回選定委員会でチームマスコットとなる1点を決定する予定だった。だが、選定委員会の席上でサポーター投票で最下位の岩石をモチーフとしたキャラクターを推す選定委員長である東北芸術工科大学教授(当時)上條喬久とそれに反発するサポーター選定委員2名との間で意見が分かれてしまい、そのために折衷案としてJリーグとしては初の異なるモチーフの2体がマスコットとして併用されることになった。ちなみに、その時の採用謝礼金の30万円は折半された。その後、2006年1月18日のJリーグ実行委員会よりマスコットとしての使用が承認され、名称についても公募を行い、同年6月30日に2体の名称をそれぞれ『ディーオ』と『モンテス』にする事が発表された。

登場からしばらく、ディーオ、モンテス共に他チームのマスコットの様な「着ぐるみ化」はされていなかったが、2008年1月に東北芸術工科大学の生徒が卒業作品として制作したディーオの着ぐるみが登場。同年3月には荘内銀行寄贈によるモンテスのエアドームが登場した。

クラブ初のJ1昇格

2001年、2004年、2005年にはJ1昇格をする機会があったものの達成する事が出来ず、結局は1999年のJ2昇格以来約10年間をJ2で過ごす事となった。しかし、J2参戦10年目となった2008年は昇格請負人とも呼ばれる小林伸二を監督に迎えた。ただ開幕戦のサガン鳥栖に敗れ黒星スタート、2節のセレッソ大阪戦で3-1と白星を挙げるものの、よくホーム開幕戦、相手は今年J2に上がってきたFC岐阜にまさかの3-5での敗戦。自慢の守備が崩壊した。しかしその後は順調に勝ち点を積み重ねていき、第14節アウェーでのベガルタ仙台との東北ダービーで前半2得点し快勝かと思われたが後半にまさかの3失点し、屈辱的な敗戦を喫した。その試合後、当時仙台所属の岡山一成の涙が印象的であり、ダービーマッチがいかに盛り上がるかが証明される試合でもあった。選手全員が次の仙台戦まで絶対負けないという闘争心に火をつけ第15節から第19節まで5連勝し第20節の仙台戦に備えた。しかしその試合前日岩手・宮城内陸地震が発生し試合が危ぶまれたが安全が確認されたため翌日開催し山形・仙台両選手は喪章腕をしてプレーした。この試合山形は「史上最大のリベンジマッチ」と名づけ、2回目の東北ダービーは3-0と制し6連勝。第23節には首位を独走しアウェー戦負けなしだったサンフレッチェ広島に先制されながらも長谷川悠の2得点で勝利し、アウェー戦初黒星を付けた。しかしその後3連敗を喫し、豊田陽平は北京五輪に出場しチームを離れた。しかし予選で敗退したため第31節の3度目の東北ダービーでチームに復帰。途中出場ながら得点を挙げ、仙台に勝利。「みちのくダービー」を9年ぶりに勝ち越した。その後少々勝ちきれない試合もあったものの豊田陽平、長谷川悠、佐藤健太郎石井秀典などといった若手選手の活躍などもあって2位をキープし続けた。しかし33節の横浜FCに勝ってから調子が不調に陥り37節まで2引2敗し3位仙台とは勝ち点差1にまで迫られた。第38節に試合がなく仙台は過去負けなしの水戸とのホームでの対戦でついに2位陥落かと思われたが、その仙台がまさかの敗戦を喫し奇跡的に2位をキープした。2週間ぶりの試合で第39節アビスパ福岡とのゲームを制し、第40節では過去2戦2負し苦手とされていたFC岐阜に勝ち、第41節、ホームに昇格争いのライバル湘南ベルマーレとの一戦では後半ロスタイム、渡辺匠の劇的な決勝ゴールで勝利。昇格をぐんと近づけた。この試合で湘南は昇格争いから脱落した。天皇杯4回戦で川崎フロンターレと対戦。先制しながらも川崎から怒涛の攻撃をくらい3-1で敗れJ1の力を見せつけれられた。しかしリーグ戦が再開しよく42節は快勝し、勝てば昇格(引き分け以下でも仙台が負ければ昇格)で迎えた第43節のロアッソ熊本戦。2戦2勝と相性がいい対戦となりこのまま昇格かと思われたが相手シュートがGK清水健太の股を抜けまさかの失点。しかし後半ロスタイムに豊田のヘディングシュートで同点に追いつき、ホームでの昇格を目指しその後も怒涛の攻撃を仕掛けるもののドローに終わる。しかし昇格条件は変わらず第44節にアウェーでの愛媛FC。序盤にFKで早々に失点したが、その後すぐに同点。しかしロスタイムに失点し1-2で前半を折り返す(その時点で対象チームだった仙台はアウェーでの鳥栖戦で3-1と負けていた)。その後も攻撃を仕掛けるものの得点にはいたらず負けでの昇格が確実に思われてきた(この時点で仙台は4-1)。敗戦濃厚と思われた後半ロスタイム石川竜也の直接FKで同点に追いつき、その後途中出場の財前宣之がドリブルで突破し豊田が逆転ゴールを決め試合終了間際に3-2の逆転勝利を飾り、ついに念願のJ1昇格を果たした。これは、J2初年度参加10チームの中では9チーム目のJ1昇格である。

モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想

2008年、山形県スポーツ振興21世紀協会の海保理事長は、ホーム戦の観客動員数が慢性的に低迷していた状況を踏まえ、その梃子入れ策の一環としてクラブのイメージを一新する『モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想』を打ち出した。7月以降、デザイナーで東北芸術工科大学教授の中山ダイスケにプランニングを依頼して、同月に3人の副理事長と会合を持ち、9月にはサポーター有志を招いて会合を開き、12月18日、これらを基に最終的にまとめた構想案を山形県総合運動公園総合体育館内の会議室で行われた非公開の臨時理事会で説明した。

概要
  • クラブ名称は県内の4地域全てから見る事が出来る出羽三山月山から名づけた「月山山形」。
  • イメージカラーは東北地方と雪国などをイメージした「白」、月山や山形の空などから想像した「銀と黒」。
  • 月山をイメージした月と山を組み合わせたロゴ。
  • 三角マークを組み合わせた市松文様のデザインを使ったユニホーム。
  • ホームスタジアムの新装。
  • スポンサー等とチームが一体となった、チームと山形の観光・物産のPR。
  • アウェーサポーターへの「おもてなし」。

モデルチェンジ案は山形にこだわり、チームの新しいイメージを構築することを目的としたもので、中山は「チームが山形そのものにならなければならない」と主張、提案した新名称「月山山形」は中山自ら商標登録を出願して保護したほどだった。

だが、この名称案が報道などで山形県民に知られるところとなると、その奇抜過ぎる名称にサポーターはもとより多くの県民が強い拒絶反応を示した。そうしたこともあって、この臨時理事会に出席した13人の理事の半分以上がこの構想案に反対し、結局この日の理事会は「海保・中山・21世紀協会理事・公募のサポーターなどを含めた10人程度のプロジェクトチームを組織して、2009年5月のJリーグ理事会までをめどに結論を出す」という方針を決定したのみで、クラブ名称やイメージカラーの変更に関しては継続審議として終了。議論は当初の予定時間を1時間20分も上回る2時間30分にも及んだ<ref>「スポーツ山形21 臨時理事会について」 モンテディオ山形オフィシャルウェブサイト</ref>。

2009年1月30日、先の方針を受けて同構想を検討するプロジェクトチームの一般公募メンバーが決定、2月5日にはプロジェクトチームの初会合が行われた。しかしその後、2月25日3月11日の計3回に渡って会合を重ねたものの、クラブ名称とイメージカラーの変更に関しては、参加メンバーから「『モンテディオ』は既にサポーターに親しまれている。愛着がある名前を変えてほしくない」「J1昇格をきっかけに全国でも知られるようになった」など、終始強い抵抗感が示された。結局3月の会合で「J1昇格でクラブへの関心が高まっている時期に、敢えて実施する必要はない」と結論付け、「クラブ名称『モンテディオ山形』は変更しない」「青と白を基調としたホーム用ユニフォームは変更しない」「黄色を基調としたアウェー用ユニフォームは今後の状況を踏まえて変更する」と決定。その一方で、チームが山形県全体をアピールしていく存在になるという理念を今後も活かしていくとした。そして3月19日に県総合運動公園総合体育館会議室で行われた同協会の通常総会で、海保は同構想の実現を断念すると報告<ref>「フルモデルチェンジ構想断念 モンテ運営の21世紀協理事長」2009年3月19日 山形新聞</ref>。海保は「J1昇格で盛り上がっている時こそ構想に取り組むべきだと考えたが、県民の合意がないと実現できない。今の盛り上がりをクラブの財産にする方に全精力を費やしていきたい」と語った。

課題

人材の育成と定着

運営法人は他チームの様な株式会社ではなく、Jリーグに加盟しているチームの中でも珍しい公益法人(山形県スポーツ振興21世紀協会)なので運営赤字は出ない仕組みである。しかし、逆に選手の年俸や選手補強にかけられる予算が他チームよりも限られているために高額な年俸の選手は抱えられないという一面もあり、監督経験の少ない新人監督や他チームで戦力構想外となった解雇選手やレンタル移籍の選手を獲得せざるを得ない状況である。しかし、チームはそういった人材の育成には定評があり、山形での活躍を機に他チームへと移籍していく例が多い。また、自前の下部組織からトップチームへと昇格した例には、白井貞義(2000年昇格)、秋葉勝2002年昇格)、佐藤永志2009年昇格)がいる。

その反面、資金的な問題から他チームに引き抜かれそうな監督や主力選手に対しては金銭面での引き留めは大変難しく、結果的に彼らの大半はそのまま好条件のチームへ引き抜かれる事となる。そのため人材の流動が激しく、チームの成績もなかなか安定しない。2009年シーズン終了時点の最古参選手が、2002年にユースから昇格した地元・山形県出身の秋葉勝であり、それ以外の選手は、J1昇格を決めた2008年以降の加入者が大半を占めているという事実が、この事を裏付けている。

ホームスタジアムの問題

1994年からホームスタジアムとして使用している山形県総合運動公園陸上競技場(NDソフトスタジアム山形)は、山形県特有の厳しい気候に長年さらされた結果、近年ではシーズン中にも度々補修工事をしなければならない程までに老朽化している<ref>「改修工事のお知らせ」 モンテディオ山形オフィシャルウェブサイト 2006年7月14日</ref>。

その上、寒冷地であるがゆえに専用設備がきちんと整っていないスタジアムではオフシーズンに行う芝生の育成が大変難しい。例えば、前年のオフシーズンにピッチの芝生を大規模に張り替えた2005年シーズンのホーム開幕戦では、芝生が上手く根付かなかった為に選手がボールを蹴る度に芝生がめくり上がり、ピッチ上に多くの穴が空くなど試合内容にも少なからぬ影響を及ぼした。次節がアウェーでの試合のため、その間に芝生を根付かせようとしたものの結局は間に合わず、ホーム2戦目(湘南ベルマーレ戦)は山形のホーム扱いで福島県のJヴィレッジにおいて開催された。

なお、天童市郊外に位置し、近辺にランドマークとなる施設や定期バス路線が存在しないという立地条件も問題点として挙げられる。公共交通機関を利用する場合は鉄道を利用する場合には無人駅である高擶駅からの徒歩(所要時間約25分)、天童駅または山形駅から、ホームゲーム開催日に運行されるシャトルバスの利用が必要である。また、メインスタンドの一部を除きスタジアムには屋根が設置されておらず、夏場の厳しい日差しや風雪といった山形県特有の厳しい気候下での試合観戦を強いられる場合があり、スタジアム本体も陸上トラックが設けられているためにピッチと観客席の距離が広くなっている。

また2009年の県内での最初の試合・名古屋グランパス戦(3月14日)のように開幕した3月に積雪のもとで試合をするケースもある。前述の経験を踏まえ、2010年のホーム開幕戦は気候が良くなるのを待って第3節・3月21日浦和レッズ戦に設定された。

観客動員数の増加

Jリーグ加盟当初からの長年にわたるチームの宣伝不足や、「熱しづらくて冷めやすい」などと揶揄される山形県民の県民性もあってか、県民のチームに対する関心も低い。Jリーグ加盟以来、モンテディオ山形の試合観客動員数の状況は唯一の営業的なドル箱カードとなる「みちのくダービー」以外は毎試合空席が目立つ程に深刻で、1試合の平均観客動員数はJ2でも最下位クラスの約2000~6000人の間をJリーグ加盟の年から長年推移して来た<ref>Jリーグ公式サイト J2リーグ 試合観客動員数</ref>。

Jリーグ加盟初年度からチームのチケット収入は伸び悩み、その現状はスポンサー収入にも少なからず影響を及ぼした。そのため、試合観客動員数の増加は長年に渡るチームの命題だった。2006年にフロント陣が刷新されるまでは目立った対策をほとんど行わなかったが、2006年に海保が理事長に就任してからは目標とする1試合の平均観客動員数をまずは「6000人」(2008年)と定め、更にはサポーターとクラブの合同で専門のプロジェクトチーム「B・Mミーティング」(2008年)を立ち上げた<ref>「観客動員は苦戦中」 朝日新聞 山形県内版 2008年4月30日</ref>。その結果、2008シーズン第15節仙台戦(15,422人)のみちのくダービー、第35節広島戦(14,392人)・第41節湘南戦(11,345人)・第43節熊本戦(13,018人)における昇格争いとJリーグ加盟後となる1シーズン4ゲームの10,000人突破を記録し、シーズン目標としていた1ゲーム平均6,000人を超える6,273人を記録した。ただし、2008年度おいて入場者の4分の1は招待券によるものであり、観客収入は約0.9億円である。つまりこれは年間シート収入や有料チケット購入はかなり少ないということであり、必ずしも固定ファンの定着には繋がっていないともいえる。2009シーズンにおいては、リーグ戦平均11,000人を目指し、結果目標を上回る12,056人となったが、1万5000人を上回るカード(浦和戦(20,102人)・新潟戦(17,171人)・鹿島戦(16,658人)・G大阪戦(16,547人))と1万人を割るカード(京都戦(6,554人)・大分戦(8,011人)・千葉戦(9,172人))と対戦カードによる観客動員の波が激しかった。その為、2010シーズンに関しては、如何に観客動員の波を小さくする事が、目標とする1試合平均15,000人への道へと繋がる事になる<ref>「観客動員の波大きく」 山形新聞 2009年12月09日</ref>。

所属選手(2010年シーズン)

Template:サッカークラブチーム選手一覧 開始 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 中央 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 終了

チーム成績・歴代監督

年度別成績

年度所属順位勝点天皇杯監督
1990年東北優勝261412201回戦田代正信
1991年優勝281414001回戦
1992年優勝241411211回戦
1993年優勝27141310-
1994年旧JFL13位-3010-201回戦杉澤直樹
1995年10位413013-17-石崎信弘
1996年8位493016-143回戦
1997年5位563019-113回戦
1998年3位643022-84回戦
1999年J27位483615417ベスト8植木繁晴
2000年10位3340112272回戦
2001年3位8044276113回戦柱谷幸一
2002年11位3544617211回戦
2003年8位55441510193回戦
2004年4位71441914114回戦鈴木淳
2005年5位64441616124回戦
2006年8位65481714174回戦樋口靖洋
2007年9位58481513204回戦
2008年2位7842239104回戦小林伸二
2009年J115位3934109153回戦
2010年         

チーム別対戦成績

  • 2009年シーズン 終了時点
対戦クラブ J1 J2 合計
ホーム アウェー ホーム アウェー
コンサドーレ札幌 5 3 6 4 3 7 28 36 9 6 13 28 36
ベガルタ仙台 3 6 6 3 7 6 29 40 6 13 12 29 40
鹿島アントラーズ 0 1 0 0 0 1 1 3 0 1 1 1 3
水戸ホーリーホック 11 2 5 9 3 5 50 27 20 5 10 50 27
栃木SC
ザスパ草津 5 2 0 2 5 1 23 9 7 7 1 23 9
浦和レッズ 0 0 1 0 0 1 3 6 1 0 1 1 0 1 4 6 2 0 4 7 12
大宮アルディージャ 0 1 0 1 0 0 3 0 4 2 6 3 2 7 22 35 8 5 13 25 35
ジェフユナイテッド千葉 1 0 0 1 0 0 3 1 2 0 0 3 1
柏レイソル 0 1 0 1 0 0 1 0 2 0 0 1 0 1 8 3 4 1 1 9 3
FC東京 1 0 0 0 0 1 1 1 1 0 1 1 0 1 4 4 3 0 3 5 5
東京ヴェルディ 0 1 3 1 1 2 5 10 1 2 5 5 10
川崎フロンターレ 0 0 1 0 0 1 0 3 3 5 2 2 1 7 17 30 5 6 11 17 33
横浜F・マリノス 0 1 0 1 0 0 2 1 1 1 0 2 1
横浜FC 5 5 3 5 4 5 43 32 10 9 8 43 32
湘南ベルマーレ 9 5 4 4 4 9 39 39 13 9 13 39 39
ヴァンフォーレ甲府 11 2 3 5 3 7 50 35 16 5 10 50 35
アルビレックス新潟 0 0 1 0 1 0 1 2 3 1 6 2 2 6 18 28 5 4 13 19 30
カターレ富山
清水エスパルス 0 0 1 0 0 1 1 5 0 0 2 1 5
ジュビロ磐田 1 0 0 1 0 0 9 3 2 0 0 9 3
名古屋グランパス 0 1 0 0 0 1 0 2 0 1 1 0 2
FC岐阜 0 0 1 1 0 1 6 8 1 0 2 6 8
京都サンガF.C. 0 1 0 0 0 1 0 1 2 1 5 2 2 4 17 30 4 4 10 17 31
ガンバ大阪 0 1 0 0 0 1 2 3 0 1 1 2 3
セレッソ大阪 1 1 3 1 1 4 10 23 2 2 7 10 23
ヴィッセル神戸 1 0 0 0 0 1 2 3 0 2 0 0 0 2 3 6 1 2 3 5 9
ファジアーノ岡山
サンフレッチェ広島 0 0 1 0 0 1 2 5 1 1 2 0 0 3 4 11 1 1 7 6 16
徳島ヴォルティス 4 2 1 6 1 1 29 12 10 3 2 29 12
愛媛FC 4 1 0 3 2 1 20 10 7 3 1 20 10
アビスパ福岡 2 6 4 3 6 2 22 24 5 12 6 22 24
ギラヴァンツ北九州
サガン鳥栖 10 5 5 10 1 8 49 38 20 6 13 49 38
ロアッソ熊本 1 1 0 1 0 0 6 3 2 1 0 6 3
大分トリニータ 0 1 0 1 0 0 1 0 3 2 3 3 1 4 15 21 7 4 7 16 21

獲得タイトル

フェアプレー賞 J1

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色

ユニフォームについて

1999年までは青色(肩部分に白と黄色)のユニフォームであった。2000年より、青×白の縦ストライプのユニフォームに変更。以後2009年までの10年間採用され<ref>ただし、若干のマイナーチェンジは何度かあった。</ref>、山形サポーターにとってなじみの深いものとなった。2010年からは、青地に白い縦線が左胸に1本入った新ユニフォームが採用された<ref>「モンテブルー強調 新ユニホーム発表」山形新聞 2010年01月25日</ref>。また、セカンドユニフォームが白ベースではない数少ないクラブである。

チームカラー

  • 黄色

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
おいしい山形推進機構事務局(山形県
JA全農山形
JAグループ山形
JA全農山形 庄内米ファンクラブ
つや姫2009年〜
背中平田牧場平田牧場1999年〜2007年、
2009年〜
2008年は胸
でん六でん六2001年〜
パンツトプコン山形トプコン山形2010年〜

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1997年紅花の山形路米エリアYAMAGATAPUMA
1998年はえぬき四季感動のやまがたPUMA
1999年米どころ山形県はえぬき平田牧場四季感動のやまがたPUMA
2000年米どころ山形県はえぬき平田牧場四季感動のやまがたPUMA
2001年はえぬき平田牧場でん六PUMA
2002年はえぬき平田牧場でん六NEC山形PUMA
2003年はえぬき平田牧場でん六NEC山形PUMA
2004年はえぬき平田牧場でん六NEC山形PUMA
2005年はえぬき平田牧場でん六NEC山形PUMA
2006年はえぬき平田牧場でん六NEC山形PUMA
2007年はえぬき平田牧場でん六NEC山形PUMA
2008年平田牧場でん六NECセミコンダクターズ山形PUMA
2009年つや姫平田牧場でん六NECセミコンダクターズ山形PUMA
2010年つや姫平田牧場でん六トプコン山形PUMA

※2009年は、開幕前にスポンサーは決定していたものの、ユニフォームに掲出するロゴの制作が間に合わず(#「はえぬき」と「つや姫」を参照)、第1節はスポンサーロゴを掲示しなかった。

チーム名変遷

  • 1984年 NEC山形サッカー同好会
  • 1985~1996年 NEC山形サッカー部
  • 1996年~ モンテディオ山形

ホームスタジアムの遍歴

以下は臨時開催

2007年秋田国体を控えイベント開催のノウハウ修練の場とするという秋田県側の名目、および新規観戦層開拓を狙うモンテディオ山形側の思惑が一致し、秋田県でのホーム開催が組み込まれた。しかし隣県とはいえ、山形市→秋田市の直線距離は他Jクラブのある仙台市や新潟市より遥かに遠く、それどころか直線距離こそ劣るものの、高速道路で行ける関東圏の水戸の方が時間・心理的にはむしろ“近い”ほどであった。あいにくの豪雨で当地での当日客動員の思惑が完全に外れる不運も重なって、興行的に大惨敗(観衆 1,647人)を喫し、結局この年の1回限りで沙汰止みとなっている。
  • 2005年 Jヴィレッジ(いわき市)(芝生育成のため、急遽第7節対湘南ベルマーレ戦を変更した)

公式マスコット

  • ディーオ:カモシカをモチーフとしたマスコット。角を3本持ちスピードや力強さ、賢さを表現している。原案制作者は大阪芸術大学薬師寺賢志郎
  • モンテス:岩石をモチーフとしたマスコット。頭部の3つの突起が出羽三山を表現しており、ユーモラスなキャラクターに仕上がっている。原案制作者は不明。

応援スタイル

アンセム

選手入場時にはサポーターも一緒に歌う。

応援歌

チーム

原曲は全日本陸上競技大会(1948年)の開催を記念に作られた。なお、現在でも山形県では主にスポーツ競技の応援の際に、地元の選手を応援する目的で歌われている。モンテディオ山形の試合でも試合勝利時に歌われている曲。
  • BLUE IS THE COLOUR(モンテディオ山形Ver.)
原曲はチェルシーFCの応援歌で、ほぼ原曲の英歌詞を踏襲しているが、「Chelsea」という部分が「Yamagata」と変えられている。また、モンテディオ山形Verでは「ララララ…」と歌いながらサポーター全員が横に動きながら飛び跳ねる事が付け加えられている。
  • チームコール
  • モンテディオコール
  • 青き旗
  • Park(モンテディオ山形Ver.)
原曲はシカゴ「Saturday In The Park」。
  • FORZA山形
  • SAMBA
  • 山形DIO
  • Get Goal
  • バモ山形
  • カモン山形
  • SAMURAI(モンテディオ山形Ver.)
原曲は「Carnaval de Paris」
  • 山形ゴール
  • ハンドクラップ
  • オレオ山形

脚注

<references />

関連項目

外部リンク

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