ジュビロ磐田

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Template:サッカークラブ ジュビロ磐田(じゅびろ いわた、Júbilo Iwata)は、日本静岡県磐田市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

クラブ概要

1972年に発足されたヤマハ発動機株式会社サッカー部を前身とする。1994年にJリーグに正式加盟。正式社名は「株式会社ヤマハフットボールクラブ」で、母体となったヤマハ発動機など地元磐田市周辺企業が出資して設立された。チーム名の「ジュビロ」はポルトガル語(Júbilo)・イタリア語(Giubilo)で「歓喜」を意味する。

磐田市にあるヤマハスタジアム(旧名 ジュビロ磐田スタジアム)をホームスタジアムとする。(他に近接地の袋井市にあるエコパスタジアムを準本拠地として位置づけて、清水エスパルス鹿島アントラーズ浦和レッドダイヤモンズなどとの対戦年3-4試合程度使用する)通常の練習は同市内にあるヤマハ大久保グラウンドと、隣接する磐田スポーツ交流の里・ゆめりあを使用している。

また、女子サッカークラブとして「ジュビロ磐田レディース」(静岡県西部リーグ)、フットサルクラブ「ジュビロフットサルクラブ」といった姉妹チームも有している。

「サッカー王国」と称される静岡県の中でもサッカーがあまりさかんではない西部の一地方都市に拠点があること、また親会社である大企業のヤマハ発動機が健全財政を方針としていることもあり、資金面では必ずしも恵まれていない。日本人選手育成にシフトしたり、積極的な補強を2005年まであまりしてこなかった背景にも、資金面での問題が影を落としている。それでも毎年有力な新人選手を多く獲得しているが、主力選手の高齢化と一時の世代交代の滞りなどもあり、2003年の天皇杯を最後にタイトルから遠ざかっている。

磐田はJリーグのMVPを4人(1997年: ドゥンガ、1998年: 中山雅史、2001年: 藤田俊哉、2002年: 高原直泰)、得点王を4度(1998年: 中山雅史、2000年: 中山雅史、2002年: 高原直泰 2009年:前田遼一)輩出している。これはいずれもJリーグ所属クラブ中最多である。 さらにリーグ通算の勝利数、勝率ともに鹿島アントラーズに次ぐ2位、ステージ優勝6回を数える強豪クラブであり、1993年のJリーグ発足以来最も成功したクラブの1つとして挙げられる。また、Jリーグ発足当時の10クラブ(通称 オリジナル10)以外でステージ優勝・年間優勝を経験しているのは磐田のみである。

ただリーグ戦では優秀な成績を挙げるものの、カップ戦などの短期決戦に勝負弱い側面があり、事実、前後期制覇を成し遂げた2002年でさえも、ヤマザキナビスコカップでは鹿島の前に敗れた。天皇杯に関しても2003年、2004年と連続で決勝に進出したが、リーグ戦の戦績が最も好調であった1997年から2002年までの間でさえ決勝に進出したことがない。

鹿島とは長らくライバル関係にあったが、直接対決は圧倒的に分が悪い(9勝21敗4分)。しかし鹿島が苦手にしている清水エスパルスには通算成績上は相性が良い(19勝12敗3分)などチーム別の対戦成績で磐田に勝ち越しているのは上記の鹿島のみである。

2007年-2009年はメンバーの若返りを見据えた方針から、磐田の黄金期を築き上げた選手達(ベテラン)の放出を行った。例として藤田俊哉(現 ロアッソ熊本)、服部年宏(現 ガイナーレ鳥取)、中山雅史(現 コンサドーレ札幌)等が挙げられる。2010年現在、タイトル獲得時のレギュラーは西のみである。

沿革

1990年代

1992年末にJリーグ準会員に加盟。

1993年JFL1部で準優勝し、1994年からJリーグ昇格。 元日本代表監督ハンス・オフトを迎え、オランダ代表ファネンブルグ、元イタリア代表スキラッチ、ブラジル代表ドゥンガなど大物外国人選手の補強が相次いだが、次第に日本人選手の育成にシフト。 レギュラー選手を固定化することで高度なチーム連携を実現。

1997年の2ndステージで初優勝。 チャンピオンシップでは、この年のリーグ戦、ナビスコカップを通じて4連敗中だった(しかも直前のナビスコカップ決勝第2戦では1-5の完敗)鹿島アントラーズを中山雅史の活躍により破り初の年間王者に輝いた。

1998年は爆発的な攻撃力により1stステージ優勝、2ndステージ2位、ナビスコ杯優勝の成績を残すも、Jリーグチャンピオンシップで鹿島に昨年の借りを返され連覇はならなかった。 この年のリーグ戦で記録した年間107得点(1試合平均3.15点)、得失点差プラス68は現在も破られていない。

1999年は1stステージの優勝によりチャンピオンシップに出場し、清水エスパルスを破り2度目の王者に輝いたものの、2ndステージは12位に終わっており、中山らは「年間を通して安定した戦いをしたのは清水だ」と語っている。 この年はアジアクラブ選手権にも出場(優勝)しているため過密日程だった上、当時チームの要であった名波浩の1stステージ後のセリエAイタリア)移籍の影響もあった。

2000年代

2000年~2005年

2000年はステージ優勝はなかったものの、ゼロックススーパーカップで初優勝。 年間順位は4位だったが純粋な勝ち点による順位は柏レイソルに次ぐ2位だった。

2001年は開幕8連勝の勢いで1stステージ優勝。 2ndステージも好調で初の完全優勝を期待されたが鹿島に次いで2位に終わる。 チャンピオンシップではその鹿島と激闘を繰り広げたが延長の末敗れる。 ナビスコ杯も準優勝だったため、圧倒的な年間成績(26勝3敗1分)にもかかわらず無冠のシーズンだった。

2002年は前年の悔しさを晴らすべく勝ち続け、遂にJリーグ史上初のリーグ戦前後期優勝を成し遂げた。この年の年間成績は昨年と全く同じだった(26勝3敗1分)。ただし、この年市原(現・千葉)だけには勝てなかった(リーグ戦1分1敗、天皇杯1敗)。この事は、スーパーサッカーにて水沼貴史にも指摘された。

ベストイレブンには94年のヴェルディ川崎に並ぶ同一チームからは史上最多タイの7人が磐田から選ばれた。 なお、当時アジア最高の中盤と呼ばれた、いわゆる「N-BOX」による華麗なボール回しによって、Jリーグでの圧倒的なまでの強さを誇っていた事や(01年、02年は年間総合順位で2位に勝点15以上の差をつけた)、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の前身であるアジアクラブ選手権で3年連続決勝進出(ACLを含めてこの記録は破られていない)を果たすなどの実績から、この時期のジュビロ磐田をJリーグ史上最強のチームであるという意見は未だ根強い。

2003年は鹿島に代わる新たなライバルとして岡田武史率いる横浜F・マリノスと覇権を争った。 開幕戦でいきなり両者が激突し横浜が4-2で快勝した。結果的にこの試合がシーズン最終戦まで響くことになる。 1stステージは横浜に勝ち点1及ばず2位。 2ndステージは14節の時点で首位に立ち、横浜との最終戦を迎える。 磐田は引き分けでも優勝が決まり、しかも横浜が10人で有利な状況だったが、1-1の後半ロスタイムに久保竜彦に劇的な決勝点を決められ敗れる。 この結果横浜、磐田、市原が勝ち点で並んだが得失点差で横浜が2ndステージ優勝。 同時に昨年の磐田に続くリーグ戦前後期優勝を達成した。 磐田は年間成績で勝ち点1差の2位。ゼロックススーパーカップと天皇杯を制しタイトルは獲得した。

2004年の1stステージでは昨年に続き横浜と優勝争いを演じたが勝ち点2差の2位に終わり、横浜が3ステージ連続優勝の快挙を成し遂げた。 この1stステージの2位以降、磐田はリーグ戦では優勝争いから完全に遠ざかることになる。 名波浩や、藤田俊哉(現:ロアッソ熊本)など、優勝に貢献した中盤の選手の平均年齢が上がったこと、育成を重視し補強に積極的ではなかったことなどから、同年の2ndステージでは13位と低迷。

2005年にはジェフ千葉から村井慎二茶野隆行のふたりに加え、デンマークリーグ・ノアシェランで不遇を託っていた日本代表GKの川口能活、元韓国代表崔龍洙などを獲得するなど、久々の大型補強を敢行してストーブリーグを沸かせた。しかしベテランと若手をうまく融合させたアグレッシブなチーム、とまでは至らず、早々と優勝戦線から脱落した。 この年、結果的には年間6位とまずまずの成績ではあった。

2006年~現在

2006年ワールドカップによる中断までの順位は暫定11位(ガンバ大阪がACLに参加した関係で消化試合数が1試合少ない)と低迷した。

更にナビスコ杯準々決勝で敗退(6月8日)した直後に2004年2ndステージ途中から2007年までの3年契約を結んでいた監督の山本昌邦が辞任。かつて五輪日本代表監督だった山本は磐田でのコーチ経験も長く、磐田にとっては切り札的存在だっただけに任期途中での辞任は残念な結果となった。

後任には黄金時代に磐田に選手として所属し、ブラジルの若手監督として評価を高めつつあるアジウソンをコーチ陣と共に招聘し、巻き返しを図った。

アジウソンの采配は日本では通用しないと名波浩などに酷評されたものの(例えば、守備時にはボランチをリベロの位置まで下げてプレーさせるというものなど)、結果としては浦和レッズ、ガンバ大阪、川崎フロンターレの上位3チームを撃破するなどして、5位浮上を成し遂げた。

仮に2シーズン制であれば2ndステージ2位と順位では大健闘である。しかし後述する若手の起用もあってか、90分間一本調子になる傾向や内容の伴わない試合も多く、立て直し途上の感も強かった。

2007年、チームの大黒柱として多くのファンに愛されたMF福西崇史が、前年より大幅減で提示された年俸への不満およびアジウソン監督とのサッカー観の違いを理由に退団した。

チーム屈指の人気を誇った福西の移籍により、サポーターの減少によるチケット収益、グッズ販売収益等の大幅減収が予想され、今後のチーム運営に影響を及ぼしかねない深刻な損害も懸念された。

現にヤマハスタジアムやアウェイ戦でのジュビロ側応援席を見ると、昨年より明らかにサポーターが減っていると言う事が目に見えて分かる。

また、6月にレギュラーをつとめていた菊地直哉が県の条例違反(淫行)容疑で逮捕される(後に起訴猶予)というピッチ外のトラブルも。

同年9月2日、成績不振を理由にアジウソン監督を含むコーチ陣が辞任を発表し、後任監督としてトップチームコーチ兼サテライトチーム監督である内山篤が昇格した。 また監督としてジュビロ磐田及びコンサドーレ札幌を指揮した柳下正明がヘッドコーチとして就任した。 チームは若返り策を図るが、年間成績を過去最低の9位で終えた。

2008年、チームの再建を目指すべく積極的に選手補強を行ない、ベガルタ仙台より萬代宏樹サンフレッチェ広島より駒野友一を完全移籍で獲得、更にレンタル移籍をしていた河村崇大、名波浩を復帰させ、2002年のリーグ完全制覇以来のリーグ優勝を目指していた。3月31日をもって、右近弘が任期を1年残して社長を退任。4月1日付で前ヤマハモーターパワープロダクツ社長の馬淵喜勇が社長に就任。シーズンの開幕から内山監督の采配に対する不安や負傷者続出の影響、ここ数年言われている選手の世代交代の失敗も重なり成績が低迷し大幅な選手補強の効果も無く、チームは大きく不振に喘いだ。

シーズン途中には成績が降格圏にまで低迷しテコ入れとして、フランスのRCストラスブールから元ブラジルU-20代表キャプテンのロドリゴを獲得し巻き返しを図ったが全く効果が現れず、サポーターがホームでのヴィッセル神戸戦後にスタジアムに残り、社長との話し合いを実行。その後も結果が出ず、ジェフユナイテッド千葉戦後に再度サポーターが社長との話し合いを設けた結果、内山篤監督を同年8月28日に解任した。

解任から4日後の2008年9月1日、ジュビロ磐田の黄金時代を迎える礎を創ったハンス・オフトが監督に就任し立て直しを図った。オフトがとった超守備的サッカーにより一時は成績が上向いたものの全体的に調子は上がらず、最終節では大宮アルディージャに0-1で敗れる。さらにジェフユナイテッド千葉FC東京に4-2で大逆転勝ちしたため、勝ち点で東京ヴェルディと同点に。得失点差で上回ったため自動降格は辛くも免れたが、それでも16位。このため、J2で3位となったベガルタ仙台J1・J2入れ替え戦を戦うことになった。

その入れ替え戦。12月10日に敵地ユアテックスタジアム仙台で行われた第1戦では、前半に先制点こそ許したものの、後半に19歳・松浦拓弥が貴重な同点ゴールを挙げる(結局、試合は1-1のドロー)。続く同13日にヤマハスタジアムで行われた第2戦では第1戦で同点ゴールを挙げた松浦が2得点の大活躍。守っては、後半ロスタイムに直接FKで1点を返されるも、GK川口能活を中心とした全員守備で凌ぎ切り、2-1で逃げ切った。これにより、戦績を1勝1分(合計スコア:3-2)とし、J1残留決定。なお、入れ替え戦でのJ1チーム残留は2004年の柏レイソル以来4年ぶり。

入れ替え戦終了後、オフトが自分の責任は果たしたとのコメントを残しチームを退団した。また、馬淵喜勇社長が成績不振と大幅減収の責任をとり退任した。後任にはヤマハモーター台湾社長の吉野博行が12月25日付けで就任した。

2009年、チームは新監督に、現状の選手個々の特徴を十分把握し、チームの課題や強み弱みを理解しており、2003年度監督で内田、オフト両体制下でヘッドコーチを1年半務めていた柳下正明の監督就任を発表。

河村崇大東京ヴェルディに移籍、森下俊京都に移籍、田中誠福岡に移籍、松井謙弥が京都にレンタル移籍、名波が現役引退する一方で、補強は東京ヴェルディから那須大亮の獲得とユースから2人昇格するなど補強はごく僅かに終わった。

2009年3月7日に行なわれたJ2より昇格してきたモンテディオ山形との開幕戦にて、今シーズンより行なっている新システムが機能する事無く守備が完全崩壊し、2-6と言うチーム史上ワースト記録となる失点にて敗戦。さらに第2節ではガンバ大阪に1-4でまたしても大量失点で敗戦。開幕2連敗10失点もワースト記録であり、また開幕2戦で9失点以上したチームが過去に3チーム有るが全てJ2に降格しており、チームはいきなり岐路に立たされている。

チームはその状況を打破するために、現役の韓国代表で所属先が未定だった李根鎬(イ・グノ)をジェフ千葉等との競合の末獲得した。

その李は、デビュー戦となった第6節の清水エスパルス戦でいきなり2得点を記録し、チームの今季初勝利に貢献し、次節の京都サンガF.C.戦でも1ゴール2アシストとチームの全得点に絡む活躍で今季初の連勝に貢献。見事低迷するチームの救世主となった。イは一度クラブを離れたが夏場に復帰し11得点をあげた。しかしチームは8月以降のゲームでは勝ったり負けたりが続きシーズン11位で終えたが、前田がOBの高原以来7年ぶりの日本人得点王を受賞する(20得点)。11月には20年間クラブに所属し、チームの象徴でもあった中山雅史が来季の契約を更新しないことが発表された

2010年は、前述したとおり、前身のヤマハ発動機時代から所属していた中山雅史コンサドーレ札幌に移籍、さらにジュビロ黄金時代を支えた鈴木秀人が引退、茶野隆行村井慎二がジェフ千葉に、萬代宏樹サガン鳥栖に移籍するも、鹿島アントラーズからパク・チュホを、釜山アイパークからイ・カンジンを、水戸ホーリーホックから荒田智之を獲得するなど大型補強に成功した。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

個人別タイトル

JリーグMVP

Jリーグベストイレブン

Jリーグ得点王

Jリーグ新人王

Jリーグフェアプレー個人賞

ヤマザキナビスコカップ

個人記録

リーグ戦通算出場記録

  • 300試合出場
    • 川口能活 347試合 継続中
    • 鈴木秀人 328試合 引退
    • 名波浩 314試合 引退
  • 200試合出場
    • 駒野友一 236試合 継続中
    • 西紀寛 214試合 継続中
    • 森下仁志 202試合 引退
  • 150試合出場
    • 前田遼一 199試合 継続中
    • 佐藤洋平 164試合 引退

※2009年シーズン終了時

リーグ戦通算最多得点

  • 中山雅史 157得点

リーグ戦記録ゴール

  • 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・対サンフレッチェ広島】

リーグ戦通算GK最小防御率

  • ヴァン・ズワム 0.89点

ハットトリック

  • 5得点
    • 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・対セレッソ大阪】
  • 4得点
    • 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・対サンフレッチェ広島】
    • 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・対アビスパ福岡】
    • 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・対FC東京】
  • 3得点
    • スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・対柏レイソル】
    • スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・対平塚ベルマーレ】
    • 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・対ヴェルディ川崎】
    • 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・対コンサドーレ札幌】
    • 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・対ジェフユナイテッド市原】
    • 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・対ジェフユナイテッド市原】
    • 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜フリューゲルス】
    • 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・対川崎フロンターレ】
    • 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・対サンフレッチェ広島】
    • 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・対FC東京】
    • 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・対ベガルタ仙台】
    • 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・対セレッソ大阪】
    • 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・対コンサドーレ札幌】
    • 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・対名古屋グランパス】

クラブのエピソード

清水FC(エスパルス)との統合計画

  • Jリーグ加盟に際して、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指そうとした。しかし、静岡県中部にある清水市(現・静岡市清水区)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
  • だが全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案するが、ヤマハはあくまでも単独チームでのJリーグ参加を目指していることからこれを拒否。
  • またヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとったのが災いし、結局初年度参加メンバーから落選することになる。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立し、1993年旧JFLからJリーグ昇格の権利(JFL2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立柏レイソルフジタ湘南ベルマーレ)となり、その年の旧JFL準優勝でJリーグの切符を獲得したのである。

代行監督で日本一

ジュビロ磐田の基礎を固めたハンス・オフトは1996年シーズンを持って勇退した。 彼は育成型監督であり、目の前の状況に対応する方法は持ち合わせていなかった。またオランダ人特有のパスを流麗に廻すサッカーを志向するが、フィニッシュのアイディアに乏しく、規律に拘るあまりチャレンジを避ける攻撃に、周囲が行き詰まりを感じていた。オフト自身もこの点をよく承知しており「今度は南米の監督を招請した方がよいと思う」とのアドバイスをフロントに残していったため、磐田フロントはブラジルの名門・グレミオを南米王者に導いたルイス・フェリペ・スコラーリを監督として招聘した。

ブラジル南部では華やかなサッカーよりも激しいフィジカルコンタクトをいとわない、アルゼンチン的なサッカーの流れがあり、それがフェリペのサッカーの下地である。直前に監督をしていたグレミオも強固でアグレッシブな守備と、そこからのスピードを生かしたカウンター攻撃のチームだった。そうしたエッセンスを磐田に持ち込み、オフトが構築したパスサッカーの遺産の上に、攻撃の際のチャレンジ・玉際の強さ・激しさ・狡猾さ等を新たに植え付け新しいチームを作りつつあった。しかし、第1ステージの第11節終了後の5月下旬、パルメイラスからのオファーに抗しきれずに退任してしまった。内部での衝突もあったと言われている。

そこで、それに代る新監督が見つかるまでの指揮者として、前年(1996年)にチームの強化アドバイザーに就任、フェリペの下ではヘッドコーチ格を勤めていた桑原隆を起用することとした。しかし、桑原は当時正式な監督として登録するに必要な公認S級指導者ライセンスを保持していなかったため、代行監督という形で指揮を執ることになった。その桑原代行監督は、U-20日本代表チーム監督から復帰した山本昌邦をヘッドコーチに迎え、「フェリペの守備・オフトの中盤・桑原の前線」(桑原談)の3つをミックスしたチームを作り上げ、この年の第2ステージで待望の初タイトル獲得。年末のチャンピオンシップでも中山雅史の3ゴールを挙げる活躍で鹿島アントラーズを下し、見事Jリーグの頂点に登りつめ、ジュビロ黄金時代をスタートさせた。

桑原は翌1998年にS級ライセンスを取得。1999年2004年にそれぞれ1シーズンずつ正式な監督として登録された。

大久保グラウンド

ジュビロのトップチームの練習会場である大久保グラウンドは、元々はヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用された野球場だった。その後ジュビロがJリーグ昇格を果たすと野球部がここから撤退し、事実上のジュビロ専用グラウンドとして使用されるようになった。その野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残されている。バックスクリーンも長くマスコットとロゴマークが貼り付けられて残されていたが、今は撤去されている。バットなども残っているらしく、選手たちが練習の終わったあとにリラックスするために使ったりもしている。また現在はグラウンドに併設する形でクラブハウスが建っている。(このグラウンドの北側にもう一面芝のグラウンドが作られている。こちらはラグビーチームのヤマハ発動機ジュビロが使用している。)

クラブハウスが出来る前は1塁ベンチでトップ選手が着替えを行っていたと言われている。現在もチームとA契約(出場規定の450分に達している選手)を結んでいない選手は1塁ベンチ横の小部屋で着替えを行っている。

新スタジアム構想

ジュビロは、ヤマハ発動機東山総合グラウンドを増築・改修したヤマハスタジアムを現在ホームスタジアムとしているが、Jリーグ昇格を目指していた1993年頃、県西部の中核都市である浜松市に隣接した浜北市(現在は浜松市浜北区)との広域ホームタウン化計画を持っていた。 静岡県西部ではヤマハスタジアムの他にHonda FC都田グラウンド静岡県遠州灘海浜公園球技場が全国規模のサッカーリーグで使用されていたが、ヤマハスタジアム以外はJリーグ規格(15,000人以上収容)のスタジアムではなく、また施設の用地スペースや遠州灘海浜公園の場合は周囲がアカウミガメの産卵地であることから夜間照明設備を設置することができないなどの理由でJリーグ規格に作りかえることが困難だった。また、ヤマハスタジアム自体も周辺にヤマハ発動機の本社工場オフィスや福利厚生施設などがあるため、スタンド増築(現在は16,893人収容)にも限界があった。 そこで、浜松市郊外の旧浜北市に3-5万人収容規模のサッカー専用スタジアムとアリーナ(体育館)、商業施設を兼ね備えた本格的な複合施設を建設し、それをジュビロのホームスタジアムの一つに加える計画を持っていた。 またこれと時を同じくして、ジュビロのホームタウンである磐田市でも3万人収容規模の新スタジアム建設計画が持ち上がっていた。 ところがその後の長期不況により行政の予算が制限されたことや、ワールドカップ日韓大会(2002年)で使用するスタジアムとして、磐田市に隣接する袋井市掛川市の市境にエコパスタジアムが建設されたことなどもあって、その計画は頓挫してしまった(この件についてはNHK総合テレビクローズアップ現代など数多くのテレビ番組でも取り上げられた)。

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色2

チームカラー

  • チームカラーはサックスブルー。
    • ちなみにJリーグに昇格する前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用したものだった(2ndユニフォームは白に赤と青のライン。どちらもオフィシャルショップの磐田店や、中山雅史のゴール記録DVDなどで見ることが出来る)。当時Jリーグに昇格した時に「青い(特に濃い青)ユニフォームを使っているチームが多いので、別の色にして欲しい」とJリーグ側からの依頼があったために、同じ青色ではあるが濃い青色からサックスブルー(天竜川をイメージするとして)に変更したという。
    • 後述するように1997年からユニフォームがプーマの1社供給になってからは、紺色を組み合わせたパターンを採用したものも多い。これは元来の色というよりも初代監督のオフトが「薄すぎるとあまり強そうに見えない。アクセントとして黒や紺を配したほうがいいのでは」と指摘したことによるものとされる。なお、現在のユニフォームは初期のユニフォームよりも素材の関係もあってかサックスブルー自体もやや濃くなっている。
    • 上記の事もあり、2003年にはクラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水エスパルス戦でのみ着用された。また2005年にレアル・マドリード及びバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で同様に全身紺色(サックスブルーがアクセントとして使用されている)を使用し、2006年からは練習試合用のユニとしてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ヤマハ発動機YAMAHA1993年、
2009年〜
1997年〜2008年までは袖
背中銀座deフットサル銀座deフットサル2010年〜
サーラグループSALA2009年〜
パンツサーラグループSALA2009年〜
  • 練習着 ヤマハ発動機 (YAMAHA)

AFCチャンピオンズリーグなどクラブチーム間での国際試合公式戦で使用されるユニフォームでは、規定によりスポンサーロゴ表示は1社のみとなることから、ヤマハ発動機(YAMAHA) のみの表示となる。

ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992年 - 1993年(Jリーグ準会員時代): プーマ
  • 1994年 - 1996年: リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
  • 1997年 - 現在: リーグ戦・カップ戦共にプーマに統一

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1993年YAMAHAPUMA
1994年NestleKitKatBuitoniMizuno/PUMA
1995年NestleKitKatBuitoniMizuno/PUMA
1996年NestleKitKatMizuno/PUMA
1997年NestleYAMAHABuitoniPUMA
1998年NestleYAMAHAKINCHOPUMA
1999年NestleYAMAHAKINCHOPUMA
2000年NestleYAMAHAKINCHOPUMA
2001年NestleYAMAHAKINCHOPUMA
2002年NestleYAMAHAKINCHO–/VWPUMA
2003年NestleYAMAHAKINCHOVWPUMA
2004年NestleYAMAHAKINCHOVWPUMA
2005年NestleYAMAHAKINCHOVWPUMA
2006年飯田産業YAMAHANestle KitKatPUMA
2007年飯田産業YAMAHANestle MILOYAMAHAPUMA
2008年飯田産業YAMAHAjoinvest ジョインベスト証券YAMAHAPUMA
2009年YAMAHASALAARTNERSALAPUMA
2010年YAMAHASALA銀座deフットサルSALAPUMA

その他

  • ネスレ日本と磐田との関係は深く、ユニフォームスポンサーから撤退後もスポンサー企業の一員として2007シーズンまで名を連ねた。
  • 背番号下のネームは、Jチームでは珍しくオ段の伸びる音「H」が表記されている(例:大井健太郎→OHI)。

スポンサー

オフィシャルスポンサー

エンブレム

ロゴマーク

「ツキ・ヒ・ホシ・ホイホイホイ」と鳴くことから「三つの光の鳥」=「三光鳥」と名づけられた静岡県鳥のサンコウチョウと「三つの光」=「月・日・星」、サッカーボール。

クラブエンブレム

ロゴマーク、チーム名、ホームタウン磐田市を流れる天竜川と静岡県内の大河、大井川安倍川富士川を象徴する上下の青い帯が描かれている。

マスコットキャラクター

モチーフは静岡県の県鳥、サンコウチョウ。

ジュビロくん
1993年11月16日生まれ。磐田市出身。身長182センチ、体重78キロ。
ジュビィちゃん
2003年3月21日生まれ。浜松市出身。身長163センチ、体重52キロ。ジュビロくんのガールフレンド。結婚はしていない。

歴代監督

長澤和明 Template:JPN 1991-1993
ハンス・オフト Template:NED 1994-1996
ルイス・フェリペ・スコラーリ Template:BRA 1997.2-1997.5
桑原隆 Template:JPN 1997.6-1997.12(監督代行)
バウミール Template:BRA 1998
桑原隆 Template:JPN 1999
ハジェヴスキー Template:MKD 2000.2-2000.9
鈴木政一 Template:JPN 2000.10-2002
柳下正明 Template:JPN 2003
桑原隆 Template:JPN 2004.2-2004.9
鈴木政一 Template:JPN 2004.9-2004.11
山本昌邦 Template:JPN 2004.11-2006.6
アジウソン Template:BRA 2006.6-2007.9
内山篤 Template:JPN 2007.9-2008.8
ハンス・オフト Template:NED 2008.9-2008.12
柳下正明Template:JPN 2009-

年度別成績

年度所属試合勝点勝利敗戦引分ステージ順位年間順位ナビスコ杯天皇杯他タイトル
1994年 J・サントリー 22 - 9 13 - 7位 8位 準優勝 1回戦敗退-
J・ニコス 22 - 11 11 - 7位
1995年 J・サントリー 26 - 15 11 - 5位 6位 - 2回戦敗退-
J・ニコス 26 - 13 13 - 9位
1996年 J1・年間 30 62 20 10 - - 4位 予選敗退 3回戦敗退-
1997年 J1・1st 16 26 9 7 - 6位 優勝 準優勝 ベスト4-
J1・2nd 16 40 14 2 - 優勝
1998年 J1・1st 17 39 13 4 - 優勝 2位 優勝 ベスト8-
J1・2nd 17 39 13 4 - 2位
1999年 J1・1st 15 36 12 3 0 優勝 優勝 ベスト8 ベスト8アジアクラブ選手権
J1・2nd 15 15 5 9 1 12位アジアスーパーカップ
2000年 J1・1st 15 25 9 6 0 5位 4位 ベスト8 ベスト8ゼロックススーパーカップ
J1・2nd 15 30 10 5 0 3位
2001年 J1・1st 15 36 13 1 1 優勝 2位 準優勝 ベスト8-
J1・2nd 15 35 13 2 0 2位
2002年 J1・1st 15 36 13 1 1 優勝 優勝 ベスト8 ベスト8-
J1・2nd 15 35 13 2 0 優勝
2003年 J1・1st 15 31 9 2 4 2位 2位 ベスト4 優勝ゼロックススーパーカップ
J1・2nd 15 26 7 3 5 3位
2004年 J1・1st 15 34 11 3 1 2位 5位 予選敗退 準優勝ゼロックススーパーカップ
J1・2nd 15 14 3 7 5 13位
2005年 J1・年間 34 51 14 11 9 -6位 予選敗退 ベスト8-
2006年 J1・年間 34 58 17 10 7 -5位 ベスト8 ベスト8 -
2007年 J1・年間 34 49 15 15 4 -9位 予選敗退ベスト16-
2008年 J1・年間 34 37 10 17 7 -16位予選敗退ベスト16-
2009年 J1・年間 34 41 11 15 8 -11位予選敗退ベスト16-

Jリーグ開幕戦成績

年度 対戦相手 スコア 勝敗
1994年03月12日 鹿島アントラーズ 0-1 負け
1995年03月18日 ジェフ市原 0-1 負け
1996年03月16日 アビスパ福岡 3-0 勝ち
1997年04月12日 サンフレッチェ広島 2-1 負け
1998年03月21日 京都パープルサンガ 2-1 勝ち
1999年03月06日 ヴィッセル神戸 3-1 勝ち
2000年03月11日 柏レイソル 0-1 負け
2001年03月10日 ジェフ市原 4-1 勝ち
2002年03月02日 名古屋グランパス 2-0 勝ち
2003年03月21日 横浜Fマリノス 2-4 負け
2004年03月13日 東京ヴェルディ 2-0 勝ち
2005年03月05日 横浜Fマリノス 1-0 勝ち
2006年03月05日 アビスパ福岡 1-1 引分
2007年03月04日 柏レイソル 0-4 負け
2008年03月09日 柏レイソル 0-2負け
2009年03月07日 モンテディオ山形 2-6負け(6失点での敗退はチーム史上ワースト記録)
2010年03月06日 ベガルタ仙台 0-1負け

Jリーグ対戦通算成績

対戦チーム 勝ち 引分 負け
ベガルタ仙台310
モンテディオ山形002
鹿島アントラーズ 9 5 22
浦和レッズ 17 2 15
大宮アルディージャ 6 2 2
FC東京 11 2 7
川崎フロンターレ 6 1 5
横浜F・マリノス(←横浜マリノス)19116
湘南ベルマーレ808
アルビレックス新潟 6 2 4
清水エスパルス 20 3 13
名古屋グランパスエイト 19 6 11
京都サンガF.C.1712
ガンバ大阪19314
セレッソ大阪1527
ヴィッセル神戸1554
サンフレッチェ広島19112
コンサドーレ札幌701
ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフ市原) 18 7 11
柏レイソル 16 3 11
東京ヴェルディ1929
横浜FC 2 0 0
ヴァンフォーレ甲府 3 1 0
アビスパ福岡1112
大分トリニータ824
横浜フリューゲルス905
合計30253187

09年終了時

他クラブとの相性

国際試合

開催年月日 大会名 対戦相手 開催スタジアム スコア 勝敗
1994年2月11日プレシーズンマッチTemplate:Flagicon クルゼイロEC東京ドーム1-3負け
1994年3月6日ワールドスーパーサッカーTemplate:Flagicon ペニャロールジュビロ磐田スタジアム1-1引分
1994年7月9日プレシーズンマッチTemplate:Flagicon パルメイラス山形県総合運動公園陸上競技場0-5負け
1994年7月21日プレシーズンマッチTemplate:Flagicon オリンピア・アスンシオン岐阜メモリアルセンター長良川競技場0-2負け
1995年3月7日静岡ワールドサッカーTemplate:Flagicon サンパウロFCジュビロ磐田スタジアム0-1負け
1995年3月10日ワールドスーパーサッカーTemplate:Flagicon ディナモ・キエフジュビロ磐田スタジアム0-0引分
1995年6月7日日豪プロサッカーTemplate:Flagicon メルボルン・ビクトリーFCジュビロ磐田スタジアム0-3負け
1995年8月2日プレシーズンマッチTemplate:Flagicon SSラツィオジュビロ磐田スタジアム4-2勝ち
1996年7月22日東京ドームカップTemplate:Flagicon ラシン東京ドーム2-1勝ち
1997年2月16日静岡ワールドサッカーTemplate:Flagicon FCソウルジュビロ磐田スタジアム1-0勝ち
1998年9月30日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon インスタントディクト香港3-0勝ち
1998年10月7日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon インスタントディクトジュビロ磐田スタジアム4-0勝ち
1998年11月11日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon ファイナンス&レヴェニュージュビロ磐田スタジアム4-0勝ち
1999年2月10日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 浦項スティーラース重慶1-1引分
1999年2月12日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 大連実徳重慶0-2負け
1999年2月14日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 釜山アイパーク重慶2-0勝ち
1999年4月28日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon アル・アインFCアザジスタジアム2-2勝ち(PK)
1999年4月30日第18回アジアクラブ選手権Template:Flagicon エステグラルアザジスタジアム2-1勝ち
1999年10月9日第19回アジアクラブ選手権Template:Flagicon モフン・バガンジュビロ磐田スタジアム8-0勝ち
1999年10月23日第5回アジアスーパーカップTemplate:Flagicon アル・イテハドジュビロ磐田スタジアム1-0勝ち
1999年11月18日第5回アジアスーパーカップTemplate:Flagicon アル・イテハドユースウェルフェアスタジアム1-2勝ち
2000年2月25日第19回アジアクラブ選手権Template:Flagicon シンタナ鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場2-0勝ち
2000年2月29日第19回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 水原三星ブルーウィングス同上1-0勝ち
2000年4月20日第19回アジアクラブ選手権Template:Flagicon ピルーズィチェンマイ2-0勝ち
2000年4月22日第19回アジアクラブ選手権Template:Flagicon アル・ヒラルチェンマイ2-3負け
2000年9月10日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon サウスチャイナ香港3-1勝ち
2000年9月16日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon サウスチャイナ香港3-1勝ち
2001年3月21日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 水原三星ブルーウィングスマカッサルスタジアム3-0勝ち
2001年3月23日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 山東魯能マカッサルスタジアム6-2勝ち
2001年3月25日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon PSMマカッサルマカッサルスタジアム3-0勝ち
2001年5月24日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon イルティシュ・パブロダル水原総合競技場1-0勝ち
2001年5月26日第20回アジアクラブ選手権Template:Flagicon 水原三星ブルーウィングス水原総合競技場0-1負け
2002年5月21日国際親善試合Template:Flagicon パラグアイ代表松本平広域公園球技場1-3負け
2003年2月16日A3マツダチャンピオンズカップTemplate:Flagicon 城南一和天馬国立競技場0-2負け
2003年2月22日A3マツダチャンピオンズカップTemplate:Flagicon 大連実徳国立競技場0-1負け
2004年2月11日ACLTemplate:Flagicon 全北現代Gangchanghak Stadium2-1勝ち
2004年2月25日ACLTemplate:Flagicon BECテロサーサナヤマハスタジアム3-0勝ち
2004年4月6日ACLTemplate:Flagicon 上海申花ヤマハスタジアム2-1勝ち
2004年4月22日ACLTemplate:Flagicon 上海申花上海Hong Kou Stadium2-3負け
2004年5月12日ACLTemplate:Flagicon 全北現代ヤマハスタジアム2-4負け
2004年5月19日ACLTemplate:Flagicon BECテロサーサナSuphachalasai Stadium3-2勝ち
2004年8月3日国際親善試合Template:Flagicon FCバルセロナエコパスタジアム0-3負け
2005年3月9日ACLTemplate:Flagicon 深圳健力宝深圳スタジアム0-1負け
2005年3月16日ACLTemplate:Flagicon ホアンアインジャライヤマハスタジアム6-0勝ち
2005年4月6日ACLTemplate:Flagicon 水原三星ブルーウィングスヤマハスタジアム0-1負け
2005年4月20日ACLTemplate:Flagicon 水原三星ブルーウィングス水原ワールドカップ競技場1-2負け
2005年5月11日ACLTemplate:Flagicon 深圳健力宝ヤマハスタジアム3-0勝ち
2005年5月25日ACLTemplate:Flagicon ホアンアインジャライジャライスタジアム0-1負け
2005年5月28日国際親善試合Template:Flagicon ベトナム選抜ハノイナショナルスタジアム1-2負け
2005年7月27日国際親善試合Template:Flagicon レアル・マドリード味の素スタジアム1-3負け
2005年7月30日国際親善試合Template:Flagicon バイエルン・ミュンヘン国立競技場1-3負け
2006年8月6日国際親善試合Template:Flagicon セビージャFCエコパスタジアム2-3負け

ダービーマッチ

関連項目

外部リンク

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