アルビレックス新潟

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アルビレックス新潟(アルビレックス にいがた、Albirex Niigata)は、日本新潟県新潟市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

クラブの概要

1999年のJリーグ2部制開始に伴いJリーグに加盟。ホームタウンはホームスタジアムのある新潟県新潟市と、クラブハウスのある北蒲原郡聖籠町の2市町が指定されている。ホームスタジアムには2003年までの新潟市陸上競技場に加え、2004年から正式に新潟スタジアム(現名称:東北電力ビッグスワンスタジアム)が加わった(2001年のスタジアム完成以降はこちらを主に使用 2004年にJ1入りを果たしてからは県内でのホームゲームはビッグスワンだけの開催となった)。キャパシティの大きいビッグスワン効果もあり、2003年度はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した。2004年度も、それまで浦和レッズがJ2所属だった2000年(この年トップは鹿島アントラーズの約26万人)を除き1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した。2005年にはさらに年間68万人までに更新し、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した。しかし近年では、ホームスタジアムが満員になることはほとんど見られず、3万人を割り込む試合が増加している。練習場は先述の聖籠町・アルビレックスクラブハウスがメインであるが、新発田市五十公野(いじみの)運動公園陸上競技場・五十公野サンスポーツランド・新潟市陸上競技場などで行う場合も有り、短期合宿は十日町市ベルナティオ(クロアチア・ピッチ)で行う事が多い。 [[ファイル:Albireo.jpg|thumb|二重星であるアルビレオ。オレンジの星と青の星からなる。]] クラブ名は「アルビレオ(Albireo)」(はくちょう座にある二重星の名前)と「レックス(Rex)」(ラテン語で「王」の意味)を合わせた造語。1997年商標問題のためクラブ名を一般投票により「アルビレオ新潟FC」から現在の「アルビレックス新潟」に改称した。なお、この投票では、他のクラブ名候補は「シスネーテス新潟」(白鳥の騎士の意)、「オラッタ新潟」(“俺たち”の方言)の2つであった。

クラブの歴史

創設~1998年(地域リーグ~JFL)

アルビレックス新潟の前身は新潟市のクラブチーム「新潟イレブンSC」で、1955年の結成。

新潟イレブンは1986年北信越リーグに昇格。1994年、日本が誘致を進めていた2002年ワールドカップに向けて新潟のサッカー界の活性化を図ろうとプロチーム設立の気運が高まり、その母体として新潟イレブンに白羽の矢がたち、同じ新潟市を本拠地とする新潟蹴友会(現グランセナ新潟FC)の一部の選手を加える形で発足した。新潟イレブンの監督を務めていた若杉透(現:アルビレックス新潟育成統括部長)と新潟県の外国人優秀コーチ招聘事業により招聘されたフランス・ファン・バルコム(元:読売クラブ監督、ヴェルディ川崎コーチ)の2人を中心に、JFLへの昇格を目指して強化活動を開始。

その後1996年にチームをプロ化してJリーグ入りを目指すチーム作りに本格的に着手。1996年は北信越リーグを勝ち抜き、1997年1月のJFL昇格を賭けた第20回全国地域リーグ決勝大会に参戦。予選リーグ第1戦はソニー仙台に5-0で勝利したが、第2戦でプリマハム土浦(現:水戸ホーリーホック)に1-1(7PK8)で破れ敗退、JFL昇格はならなかった。

1997年は北信越リーグで優勝し、1998年1月の第21回全国地域リーグ決勝大会に再度参戦。予選リーグ第1戦を日立清水に1-1(4PK3)で勝利、第2戦を三菱石油に5-0で勝利し予選リーグを突破。続く決勝リーグ第1戦は横河電機(現:横河武蔵野FC)に3-1で勝利、第2戦はソニー仙台に3-5で敗北、第3戦は教育研究社(参照:アミティエSC)に6-3で勝利し、2位となりJFL昇格を決めた。1998年からJFLに参戦後、1999年Jリーグ2部制開始に伴いJ2に参加。

※1997年12月11日時点でJ2リーグ参加が正式決定。唯一「地域リーグから」のJ2リーグ参戦が認められた(実際には、98年からJFL昇格できたため他チームと同じくJFLからJリーグへの加盟となったが、その時点ではまだ全国地域リーグ決勝大会の前だったため)。

1999年~2003年(J2)

J2開幕となる1999年シーズンは永井良和監督のもと、DF木澤正徳MF秋葉忠宏、MF瀬戸春樹GK吉原慎也などを補強し、カウンターベースのサッカーで開幕から7連勝し中盤まで首位をキープするなど、最終順位も4位と好結果を残した。

2000年は前年の路線を引き継ぎ上位進出を狙ったが、守備の崩壊により中位に沈んだ。一方では鋭いカウンターによる攻撃が度々牙を剥き、FW鳴尾直軌・FW鈴木慎吾ら攻撃陣の一部の選手の活躍が際立ったシーズンでもあった。

2001年には理論派監督である反町康治が監督に就任。日韓W杯の会場となった新潟スタジアム(ビッグスワン)の利用開始も追い風となって、地元のサッカー熱も高まり始めた。FW黒崎久志・FW氏原良二・SH寺川能人・SH鈴木慎吾の前線4人が活躍。シーズン途中にMFマルキーニョが加入すると、スペクタクルなサッカーを展開し上位6チームによる昇格争いに加わったが、昇格には届かず4位で終了。

2002年は長身FW船越優蔵を軸とした、前年とは対照的な堅実なサッカーを展開。SH寺川や、途中加入した1999年JFL得点王のFWマルクス、MF安英学の活躍もあり昇格争いをしていたが、シーズン終盤にFW船越がアキレス腱断裂により長期戦線離脱となり、以後失速。3位で終了し昇格を逃した。

2003年には元日本代表・MF山口素弘やMFファビーニョ、FW上野優作、FW森田浩史などを補強し、前年同様の堅実なサッカーを実践。サンフレッチェ広島川崎フロンターレと三つ巴となった昇格争いを勝ち抜きJ2優勝。悲願のJ1昇格を決めた。

2004年~(J1)

初のJ1でのシーズンであり、地元新潟県で素晴らしい盛り上がりを見せた。2004年はJ2時代に2年連続でJ2得点王となったマルクスが退団し、21歳(当時)のブラジル人FWエジミウソンが入団。FWマルクスの穴を補う働きを見せ、MFファビーニョ・DFアンデルソンと共に活躍。初めてのJ1の舞台で大健闘を果たし、1stステージを14位で終えた。2ndステージではブラジル人3トップ(FWエジミウソン・MFファビーニョ・FWオゼアス)を形成した。攻撃は完全に3人に任せて残り全員で守備をするという攻守のほぼ完全な分担システムが嵌り、一時3位まで順位を上げた。2ndステージ最終順位は7位、シーズン通算10位でJ1でも戦えることを示し、さらには新潟県中越地震で被災した地元を励ました。

2005年はFWオゼアスに代わり、元ブラジル代表DFアンデルソン・リマを補強。守備が安定せずシーズンを通して厳しい試合が多かったものの、攻撃面ではFWエジミウソン・MFファビーニョ・MF鈴木慎吾が、守備面ではMF桑原裕義やDF萩村滋則らベテランが活躍し、12位でJ1・2年目を終えた。DFアンデルソン・リマのフリーキックや、ジュビロ磐田より途中レンタル加入したMF菊地直哉のプレーは強烈な印象を残した。また、J1昇格・J1残留に貢献した反町はシーズン終了後に退任となった。さらに監督交代や若手育成の観点から、これまでチームを支えてきたGK木寺浩一、FW上野優作(レンタル放出。2006シーズン終了後に契約満了、完全移籍)らが退団することになった。

2006年にはJ2・モンテディオ山形で2季監督を務め、J2らしからぬ組織的なサッカーを展開して2004年・4位、2005年・5位にチームを導き、若手育成にも定評のある鈴木淳が監督就任。柏レイソルから元日本代表・DF永田充とユース時代に日本代表メンバーとして活躍してきたFW矢野貴章ベガルタ仙台から展開力のあるMFシルビーニョを補強。前年までとはうって変わって組織的なサッカーを目指した。最終順位は14位と低迷したものの、GK北野貴之・DF千葉和彦・MF田中亜土夢・FW矢野貴章ら若手が経験を積み、翌年に期待感を持てる内容となった。

2007年はDF千代反田充・MF坂本將貴・FW深井正樹らを補強。鈴木体制2年目となるシーズンの前半は途中加入のMFマルシオ・リシャルデスが徐々にチームにフィットし、攻守にバランスの取れたアグレッシブなパスサッカーから主にSB内田潤とSB坂本を軸としたサイドアタックを展開し勝ち星を積み重ねていった。しかしシーズン後半になると前半活躍したMF田中亜土夢の怪我やMF鈴木慎吾の期限付き移籍などにより選手層の薄さを露呈することとなり、個人技による攻撃が目立ち始め、シーズン前半のようなダイナミズムは無くなり失速したが、過去最高の6位でシーズンを終えた。

2008年は主力だったFWエジミウソン・MF鈴木慎吾・MFシルビーニョ・DF坂本將貴が他チームに引き抜かれて、移籍した一方、目だった補強は無く前年から露見していた選手層の薄さはより深刻なものとなった。その結果ほぼ全ての試合で高卒ルーキーがベンチ入りする事となったり、30節の浦和戦に至っては登録の18名を埋められないといった苦しい状況が続いた。また、攻守のバランサーであったMFシルビーニョの抜けた穴は大きく、中盤や前線にボールが収まらずチームの形であるサイド攻撃が機能しなくなり深刻な決定機不足に陥った(J1リーグ34試合32得点はリーグ最少得点で、無得点試合は16に達した)。その結果最終節まで降格の可能性を残す厳しいシーズンとなり、残留は達成したものの最終順位は13位と低迷。全体を通して貧弱な攻撃力と選手層の薄さを、守備陣の踏ん張りと鈴木淳監督の選手マネージメントで補い勝ち点を稼ぐシーズンとなった。しかし、そんな状況の中、今年移籍したFWエジミウソンの代役で獲得したFWアレッサンドロは、チームのほぼ3分の1に当たる13得点を挙げる活躍を見せ、チームのエースとして貢献した。

2009年は、チームのエースだったアレッサンドロが退団、さらに、かつて2003年のJ1昇格の功労者となったGK野澤洋輔と、長年チームの柱として活躍したベテランMF寺川能人の2人が、反町元監督が就任する湘南ベルマーレへ移籍したが、ヴィッセル神戸・コンサドーレ札幌とレンタルでチームを渡っていたMFディビッドソン純マーカスが復帰。さらに、かつて鈴木監督が山形時代を指揮した2004年に山形で22得点を挙げ、その年のJ2日本人得点王に輝いた、横浜F・マリノスのFW大島秀夫の獲得、大宮アルディージャでプレー経験のあるブラジル人FWペドロ・ジュニオールの獲得、横浜FCの韓国人FWチョ・ヨンチョルを獲得するなど、FWの獲得が中心となった(その後、セレッソ大阪から若手ブラジル人DFジウトンの加入も決定)。この結果09年はこれまでで平均年齢が最も低くなり、この年からのアジア枠の導入もあって、国際色豊かなチームとなった。豊富なFW陣を生かして昨シーズンの4-4-2から4-3-3にベースチェンジしたのが当たり大島秀夫ペドロ・ジュニオール矢野貴章のスリートップによって昨シーズンの前線に収まらず、運べずという決定力不足は改善され、リーグ前半戦は、好成績を収めた。その後8月にはフランスのパリ・サンジェルマンから、FWエヴェルトン・サントスの加入が発表された。しかし、その直後にエース、ペドロ・ジュニオールがガンバ大阪に電撃移籍すると、この攻撃的サッカーは機能しなくなり、また2008年のような4-4-2の守備重視システムに逆戻りになり、優勝から遠のいた。前半戦では一時的に首位に立ったものの、最終的には8位でシーズンを終えた。また6月28日の名古屋グランパス戦からホームでの白星が2010年5月の横浜F・マリノス戦までなかった。 そして2009年限りで鈴木淳が監督を退任。 アルビレックス新潟は、地方クラブであり、財政面で他のJリーグクラブに引けを取ることが多々あった。そしてこの年移籍制度が大きく変化したことの影響をもろに受け、正GK北野貴之大宮アルディージャへ、2007年シーズン以来堅守を支えてきたDF千代反田充名古屋グランパスへ、MF松下年宏FC東京へ、DFジウトン鹿島アントラーズら主力が相次いで他クラブに引き抜かれた年であった。またFWエヴェルトン・サントスの退団も発表された。

2010年は、退任した鈴木淳に代わり、2007年からコーチを務めていた黒崎久志が監督に就任。主な補強は大宮アルディージャから高木貴弘と前年まで柏レイソルにレンタル移籍していた小林慶行を、ジェフユナイテッド千葉からミシェウを完全移籍で、コンサドーレ札幌から西大伍を、コリンチャンス・アラゴアーノから前年までモンテディオ山形にレンタル移籍していたファグネルをレンタル移籍で獲得。さらに、河原和寿ブルーノ・カスタニェイラがレンタル移籍から復帰した。序盤はリーグ戦8試合勝ちがなく(ナビスコ杯でセレッソ大阪戦で2010シーズン初勝利を飾ったが)、4節では昇格組の湘南ベルマーレにも敗れるなど苦しい戦いが続いた。しかし9節のヴィッセル神戸戦で初白星を挙げ、10節ホームで横浜F・マリノス戦で勝利したとともに、11か月ぶりのホームでの白星となった。11節では開幕から無敗だった清水エスパルスを2-0で下し、一気に暫定8位に上昇。黒崎監督の42歳の誕生日を完封勝利で祝うこととなった。12節ではモンテディオ山形を下し、2004年以来6シーズン振りに4連勝を果たした。

チーム成績・歴代監督

年度所属リーグ戦カップ戦その他大会監督
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
1994年HFL 4位 9 9 4 1 4 (監督)
Template:Flagiconバルコム
(総監督)
Template:Flagicon若杉透
1995年3位 9 22 7 1 1 [*1]
1996年優勝 9 25 8 1 0 1回戦敗退[*1][*2]
1997年優勝 9 27 9 0 0 2回戦敗退[*1][*2]
1998年JFL 11位 30 34 12(2) 18(2) 3回戦敗退Template:Flagicon永井良和
1999年 J2 4位 36 58 20(4) 2 14(1) 1回戦敗退3回戦敗退
2000年7位 40 46 15(4) 5 20(2) 1回戦敗退3回戦敗退
2001年4位 44 78 26(4) 4 14(7) 1回戦敗退4回戦敗退Template:Flagicon反町康治
2002年3位 44 82 23 13 8 3回戦敗退
2003年優勝 44 88 27 7 10 4回戦敗退
2004年 J1・1st 14位 15 14 3 5 7 予選リーグ敗退4回戦敗退
J1・2nd 7位 15 23 7 2 6
J1・年間10位 30 37 10 7 13
2005年J1 12位 34 42 11 9 14 予選リーグ敗退5回戦敗退
2006年14位 34 42 12 6 16 予選リーグ敗退5回戦敗退Template:Flagicon鈴木淳
2007年6位 34 51 15 6 13 予選リーグ敗退 4回戦敗退
2008年13位 34 42 11 9 14 予選リーグ敗退 5回戦敗退
2009年8位 34 50 13 11 10 予選リーグ敗退 ベスト8
2010年 Template:Flagicon黒崎久志
通算成績 試合 得点 失点 点差
J1 6 200 72 48 80 262 309 -47 ~2009年終了
J2 5 208 111 31 66 337 235 +102 ~2003年
JFL 1 30 12 18 39 47 -8 1998年
ナビスコ杯 9 42 7 15 20 37 63 -26 ~2009年終了
天皇杯 18 39 21 18 83 76 +7 ~2009/10年終了
  • 2009年シーズン終了時まで
  • 天皇杯は勝敗にPK戦を含む

リーグ戦の主なタイトル・記録

獲得タイトル

  • 1986年 第12回北信越リーグ優勝
  • 1996年 第22回北信越リーグ優勝
  • 1997年 第23回北信越リーグ優勝
  • 2003年 2003 J2リーグ優勝

その他受賞

  • 2003年 Jリーグ・アウォーズ join賞(チェアマン特別賞)
  • 2004年 Jリーグ・アウォーズ join賞(チェアマン特別賞)

個人別タイトル

  • 2002年 2002 J2リーグ得点王 - FW マルクス(19得点)
  • 2003年 2003 J2リーグ得点王 - FW マルクス(32得点)

個人記録

2009年第1節終了時。○は在籍中の選手。

最多試合出場
  • 256試合
寺川能人(J1 136試合、J2 120試合)2000-02、2004-2008
最年少試合出場
  • 17歳11ヶ月21日
酒井高徳2009年3月7日 J1・第1節 FC東京
最年長試合出場
  • 37歳1ヶ月6日※J2
神田勝夫2003年7月26日 J2・第24節 アビスパ福岡
  • 36歳5ヶ月16日※J1
山口素弘2005年7月13日 J1・第16節 セレッソ大阪
シーズンフルタイム出場
  • 2001年、44試合※J2
野澤洋輔
  • 2003年、44試合※J2
野澤洋輔、丸山良明
  • 2007、34試合※J1
北野貴之
通算最多得点
  • 通算62得点
エジミウソン(J1 62得点、J2 0得点)2004~2007
最多連続試合出場
  • 99試合(J2時代を含む)
野澤洋輔 2002年3月30日 J2・第6節 モンテディオ山形戦-2004年8月14日 J1・2nd第1節 東京ヴェルディ1969
なお、2002-03シーズンに京都へレンタル移籍していた鈴木慎吾は京都在籍時を含めると2001年11月6日 J2・第42節 モンテディオ山形戦から2005年4月28日 J1・第8節 清水エスパルス戦まで、J1、J2リーグに101試合連続出場している。
最多連続得点試合
  • 5試合
エジミウソン 2005年8月20日 J1・第19節 ガンバ大阪戦-2005年9月10日 J1・第23節 セレッソ大阪
エジミウソン 2007年10月8日 J1・第28節 大宮アルディージャ戦-2007年11月18日 J1・第32節 横浜FC
鈴木慎吾 1999年8月1日 J2・第19節 FC東京戦-1999年8月29日 J2・第23節 大宮アルディージャ戦
シーズン最多得点
  • 19得点※J1
エジミウソン2007年
  • 32得点※J2
マルクス2003年
最年少得点
  • 18歳6ヶ月6日
田中亜土夢2006年4月8日 J1・第7節 ヴァンフォーレ甲府
最年長得点
  • 36歳5ヶ月4日※J2
神田勝夫2002年11月24日 J2・第44節 水戸ホーリーホック
  • 35歳9ヶ月26日※J1
山口素弘2004年11月23日 J1・2nd第14節 横浜F・マリノス
  • また、桑原裕義は2005年8月20日のJ1リーグ第19節ガンバ大阪戦で33歳8ヶ月19日、リーグ戦244試合目での初ゴールを記録した。これはGKを除いた選手のJリーグ最遅初得点記録である。

チーム記録

得点失点関連記録

ハットトリック

被ハットトリック
  • 2004年 2004 J1・1st-第9節 vs浦和レッズ @新潟ス - FWエメルソン(3得点)
  • 2004年 2004 J1・2nd-第12節 vsガンバ大阪 @万博 - FW大黒将志(3得点)
  • 2006年 2006 J1・第1節 vs川崎フロンターレ @等々力 - FW我那覇和樹(3得点)
  • 2006年 2006 J1・第19節 vs浦和レッズ @埼玉ス - FWワシントン(3得点)

最多得点・最多失点(1999年~2009年)

1試合最多得点
  • J1リーグ 4得点 - (試合多数)
  • J2リーグ 7得点 - 2003年9月13日 第33節 vs横浜FC @福島 7-1
  • ナビスコ杯 4得点 - 2004年4月29日 予選リーグ第2節 vsガンバ大阪 @新潟ス 4-4
  • 天皇杯 9得点 - 2002年12月1日 1回戦 vs紀北蹴球団 @紀三井寺 9-0
1試合最多失点
  • J1リーグ 7失点 - 2005年8月24日 第20節 vs鹿島アントラーズ @鹿島 2-7
                - 2006年9月9日 第22節 vsジュビロ磐田 @ヤマハ 0-7
  • J2リーグ 5失点 - 2000年4月16日 第7節 vs浦和レッズ @駒場 1-5
  • ナビスコ杯 5失点 - 2009年6月7日 予選リーグ第6節 vsサンフレッチェ広島 @広島ビ 1-5
  • 天皇杯 4失点 - 2003年12月20日 4回戦 vsジュビロ磐田 @ヤマハ 0-4


サポーター

thumb|アルビレックス新潟、ゴール裏サポーター サポーターの数も非常に多く、新潟スタジアムではアウェイの一角を除いてアルビレックスサポーターで占める。またアウェイサポーターの数も多く、特に関東ではホームチームに負けない声援が送られる(これは新潟県が東京志向の強い土地で、関東在住の新潟県出身者が多い事が大いに関係しているものと思われる)。

応援スタイル

基本的にホーム側ゴール裏に集まったサポーターが応援歌を歌うスタイルで、ブーイング等はこのエリアから起こる。ただし、応援歌を歌って選手を鼓舞するスタイルなので相手選手のラフプレーに対する抗議のためのブーイングは起こるものの、プレーを妨害する意図でのブーイングは行われない。

ゴール裏以外の観客は応援歌を歌うなどの応援は行わないが新潟の選手のプレーに自然と大歓声と拍手が起き、ゴール裏の応援に手拍子で合わせて選手を鼓舞する。しかし、サッカーをよく知らない観客も多いため何気ないプレーでも歓声が上がることがあるが、それが逆に相手側に「自分たちはピンチなのではないか」という錯覚に陥らすことにつながっている。

エピソード・トピックス

無料チケット

無料観戦チケット(以下、無料券)を配布するにあたり、無作為に大量の無料券を広範囲に配布し観客を集めようとする方式ではなく、チームフロントは先ず新潟の各地区の区長に伺いを立て、無料券を置いても良いという長の了承を得てから配布を行っていた。開始時は限られた地区だけだったが、他地区の住民から「あの地区の人達は無料で観戦してるのに、何故うちの地区に無料券が無いのか」とチームフロントに問い合わせがくるが、上記の理由により了承が得られなかった地区への配布は行わなかった。しかし無料券の恩恵を得られている住民がサッカーで騒ぐに連れて配布地区と未配布地区にサッカーに対する熱の幅が出始め、無料券を求める未配布地区の住民が不平を訴え、配布地区は無料券の争奪となる。一旦地区長から断られた手前、チームフロントの判断だけでは直接住民の要求に応じられなかった上に、2002年W杯開催に向けての機運と共にチームの戦績が上がり、ホームスタジアムで連勝しだすと無料券争奪はさらに苛烈なものとなる。自チームの試合が観たくとも無料券が手に入らなかった者は当然ながら自腹での観戦となり、一度、無料券の配布を断った未配布地区の区長は住民の突き上げと不平で、無料券を配分してくれるようチームフロントに願い出るまでになる。安定した観客数とリピーターの確保の成功と比例して、数に限りがあり入手の成否がある無料券より確実に観戦が出来る観戦券購入者も増えるようになる。これらの経緯を経てJ2屈指の観客動員を誇るクラブチームへと成長し、現在でも浦和レッズに次いでJリーグ2位の観客動員を記録している。

アルビレックス成功の余波

アルビレックス新潟の成功は、プロ野球を含む日本スポーツ界全体に衝撃を与えた。人口が100万人に満たない中堅地方都市でもプロスポーツが成り立つ事と、理念のみが先行していた地域密着の商業的正しさ、日本での有効性が証明された為である。また、大都市圏程の人口を持たない地方都市のスポーツ市場が従来予想されていたより大きく、地方都市市民が持つローカリズム感情が非常に大きなエネルギーを持っている事を明らかにした事も、他の多くのスポーツや自治体に影響を与える事となった。

異競技間交流

バスケットボールbjリーグにも新潟アルビレックスBBとして参戦。また会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している他、2004年にはスキースノーボードの「チームアルビレックス新潟」を、2005年には陸上競技の「新潟アルビレックスランニングクラブ」を結成。さらに、野球独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ所属の「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」が設立されるなど、異競技間交流による総合型地域スポーツクラブを目指す。

(なお、各「アルビレックス」は、イメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない)

サッカーのアルビレックス新潟としては、2004年には同チームのサテライトと関連団体のJAPANサッカーカレッジ(JSC)に所属する選手等でシンガポールのSリーグに参戦している(「アルビレックス新潟シンガポール」=通称:アルビレックス新潟・S。運営は別会社)。また、女子サッカーチーム「アルビレックス新潟レディース」も設けており、2004年度からはL2リーグ(日本女子サッカーリーグ2部)に参加。2006年度シーズンで優勝を果たし、2007年度シーズンからはなでしこリーグDiv.1(日本女子サッカーリーグ1部)に参加している。

新潟県中越地震

  • 中越地震発生後から2006年一杯までの期間、および中越沖地震発生後から現在、袖に『がんばろう新潟!』のワッペンを付けていた。

その他

なお、JFLオールスターには東軍で出場し、JFL・Jリーグ通じて出場したオールスターでの敗戦が無い。
  • 2007年途中にはFW矢野貴章がクラブ初のA代表に選出され、2007年3月24日に行われたペルー戦で後半途中から出場し初キャップを記録。2007年9月11日に行われた国際親善試合スイス戦ではロスタイムに勝ち越しとなる貴重なA代表初ゴールを上げた。 
  • 2009年現在、J1のクラブの中で唯一J2時代を含めて監督がシーズン途中に解任されたことがない。

試合に関するエピソード・トピックス

注目度の高い試合

ヴァンフォーレ甲府との対戦を川中島ダービーと呼ぶことがある。
これは戦国時代上杉謙信武田信玄の戦を再現したもので、両チームともそれにちなんだイベントを試合前に行う。狭義では長野県アルウィン)で行われる、ヴァンフォーレ甲府との対戦を指す。(1998年-2003年、2006年-2007年)
  • アルビレックス新潟 vs モンテディオ山形
主人公ゆかりの地が両チームのホームタウンである大河ドラマにちなみ「天地人ダービー」と一部メディアで呼ばれることもある。(1998年-2003年、2009年-)
普段は客席の大半が新潟サポーターで占められる新潟スタジアムだが浦和戦は例外。浦和レッズのサポーターが片方のゴールスタンド全てを占めるため通常とは違う雰囲気の試合となる。J2時代の大量得点での勝利や、終了間際に同点に追いつくなど印象に残る試合が多い。(2000年、2004年-)
対戦成績は五分ではあるものの、新潟スタジアムでの試合を苦手としているガンバ大阪との対戦。土砂降りの雨など悪天候での試合になることが多く、その中での勝利や2008年J1最終節のような劇的な試合展開となることが多い。(2004年-)
J2で顔を合わせて以来、ホームで負けたことが無い川崎フロンターレとの対戦。(1998年-1999年、2001年-2003年、2005年-)

国際試合・親善試合

チャリティーマッチ

試合関連記録

最多連続無敗試合
最多連勝
最多連敗
同一カード最多連勝
同一カード最多連敗

観客動員記録

最多観客動員試合
最少観客動員試合
通算観客動員
  • 2005年9月10日 J1 対セレッソ大阪 J1通算観客動員1,000,000人(26試合目での達成)
  • 2007年4月14日 J1 対ガンバ大阪 J1通算観客動員2,000,000人
  • 2007年11月10日 J1 対FC東京 J1通算観客動員2,500,000人(65試合目での達成)
  • 2008年10月4日 J1 対横浜F・マリノス J1通算観客動員3,000,000人
年度別観客動員記録
年度 試合数 合計 平均 最大 最小 試合会場 備考
JFL1998年---40,447人2,696人---人---人------
J21999年1875,798人4,211人---人---人---J2加盟
2000年2080,139人4,007人---人---人------
2001年22366,500人16,659人---人---人---新潟スタジアム完成
2002年22472,507人21,478人---人---人------
2003年22667,447人30,339人---人---人---J1昇格
J12004年15565,336人37,689人---人---人------
2005年17681,945人40,114人---人---人---J1最多観客動員数達成(当時)
2006年17658,050人38,709人---人---人------
2007年17650,698人38,276人---人---人------
2008年17586,325人34,490人---人---人------
2009年17--人--人---人---人------
4,804,745人25,694人---人---人---JFLは加算しない

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色2

チームカラー

チームカラーはオレンジと青(チーム名の由来となった「アルビレオ」の色から)・白。また、オレンジは日本海に沈む夕日、青は日本海と信濃川、白は白鳥と雪という位置づけもされている。

現在のユニフォーム

2010シーズンから、1stユニフォームはシャツ・パンツ共にオレンジで、左側に青いアクセントが大きく入った印象的なデザインとなり、2ndユニフォームはシャツは白、パンツは青で、同じく青いアクセントが入る。

歴代ユニフォームデザイン

  • 1996
シャツ、パンツともにオレンジ、襟が青色のデザイン。シャツには薄いオレンジで星印が描かれた。FP 2ndはシャツ、パンツともに青。
  • 1997-1998
シャツはオレンジ、パンツが青、襟が白のデザイン。シャツには薄いオレンジでエンブレムが描かれた。FP 2ndはシャツ、パンツともに白に変更。
  • 1999-2002
1997-1998と同じくパンツは青のままだが、シャツに5本の太い青ストライプが加わった。うち2001-02はシャツの肩とパンツのサイドが、カッパマークが多数並ぶラインとなった。
  • 2003-2004
サプライヤーがアディダスに変更。シャツはオレンジで、襟はなく肩に3本線、わき腹部分には青色のカッティングが加えられた。パンツは青。2ndは上下とも白。
  • 2005-2006
2003-2004と同じようにシャツがオレンジ、パンツが青色のデザイン。シャツの肩から脇にかけて白いラインが追加された。2ndは小さな襟がつく。
  • 2007
1stパンツがオレンジに変更。市内を流れる信濃川・阿賀野川を表す青い波線が両脇に入る。サポーターズイヤー12周年記念限定モデル。
  • 2008-2009
1stはパンツ、シャツ共にオレンジ。J2時代評価の高かったストライプが復活したが、濃いオレンジのシャドウ型ストライプで、アディダスのため5本ではなく極太の3本となった。2ndは白にグレーのピンストライプ。
  • 2010-
パンツ、シャツ共にオレンジ地に青いアクセントが大きく入り、ストライプは廃止された。2ndはシャツが白、パンツが青。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
亀田製菓亀田製菓1999年〜1996年〜1998年までは背中
背中B's INTERNATIONALXLARGE/B's INT'L2000年〜2004年、
2009年7月〜
JA全農にいがた新潟米2004年〜
パンツ新潟日報社新潟日報2003年〜

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1996年CORONA蔦屋書店亀田製菓Mizuno
1997年CORONA蔦屋書店亀田製菓Mizuno
1998年DIREC TV蔦屋書店亀田製菓Mizuno
1999年亀田製菓2002W杯新潟県開催準備委員会蔦屋書店Kappa
2000年亀田製菓2002W杯新潟県開催準備委員会B's INTERNATIONALKappa
2001年亀田製菓2002W杯新潟県推進委員会B's INT'LKappa
2002年亀田製菓2002W杯新潟県推進委員会B's INT'LKappa
2003年亀田製菓朱鷺メッセstyles新潟日報adidas
2004年亀田製菓新潟米(JA全農にいがたstyles新潟日報adidas
2005年亀田製菓新潟米MSN新潟日報adidas
2006年亀田製菓新潟米MSN新潟日報adidas
2007年亀田製菓新潟米MSN新潟日報adidas
2008年亀田製菓新潟米TSUTAYA新潟日報adidas
2009年亀田製菓新潟米–/XLARGE/B's INT'L新潟日報adidas
2010年亀田製菓新潟米XLARGE/B's INT'L新潟日報adidas

その他

チーム名変遷

  • 1955  -1994.11 新潟イレブンSC
  • 1994.11-1997.3  アルビレオ新潟FC  *1996.3 法人組織として(株)アルビレオ新潟を設立・プロ化
  • 1997.4 -      アルビレックス新潟

歴代会長・社長

会長

社長

マスコット

  • アルビくん - 白鳥がモチーフ。「かわいらしさ」と「力強さ」が表現されている。
  • スワンちゃん - 2002年にアルビくんと結婚。
    • 2007年7月29日にアルビくんとスワンちゃんに三つ子の子供が誕生した。
      • アーくん
      • ルーちゃん
      • ビィくん

総勢5名のキャラクター数は、Jリーグ最多である。(2番目は名古屋)

場内アナウンス

  • 新潟お笑い集団NAMARA
    • 森下英矢
    • 中村博和
    • 大野まさや

下部組織

下部組織出身選手はアルビレックス新潟の選手一覧#下部組織出身者を参照。

  • アルビレックス新潟ユース
・1998年4月創設・活動開始
・本隊の他に過去には、提携チームとして中条ユース(~2004年度)があった。
<全国大会成績>
高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会
2007年:GL敗退 2008年:ベスト16
日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会
1999年:GL敗退 2000年:GL敗退 2001年:GL敗退 2002年:GL敗退 2003年:GL敗退 2004年:GL敗退
2005年:GL敗退 2006年:GL敗退 2007年:ベスト8 2008年:GL敗退 2009年:3位
Jユースカップ
1999年:GL敗退 2000年:GL敗退 2001年:GL敗退 2002年:GL敗退 2003年:GL敗退 2004年:GL敗退
2005年:GL敗退 2006年:GL敗退 2007年:GL敗退 2008年:GL敗退 2009年:決勝T1R敗退
  • アルビレックス新潟ジュニアユース
・2004年4月創設・活動開始
・2004年4月、提携チームであった「アルビレックス新潟新潟ジュニアユース」を解消して新たに直属チームとして編成された。
・本隊の他に、提携チームとして柏崎ジュニアユース中条ジュニアユースがある。
・本隊の他に過去には、提携チームとして新潟ジュニアユース(~2004年度)と加茂ジュニアユース(~2005年度)があった。
<全国大会成績>
高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会
2007年:GL敗退 2008年:準優勝 2009年:GL敗退
日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会
2007年:ベスト16 2008年:GL敗退
JFAプレミアカップ
2006年:3位
  • アルビレックス新潟ジュニア
・2007年4月創設・活動開始
<全国大会成績>
チビリンピック
-
全日本少年サッカー大会
-
  • アルビレックス新潟レディース
・2002年創設・活動開始
アルビレックス新潟レディース項参照
  • アルビレックス新潟レディースU-18
・2005年創設・活動開始
アルビレックス新潟レディース項参照
  • アルビレックス新潟サッカースクール
・東新潟校・美咲校・駅南校・寺尾校・白根校・亀田校・アルビレッジ校がある。
  • アルビレックス新潟シンガポール
・2004年創設・活動開始
アルビレックス新潟シンガポール項参照
  • 実質的なアルビレックス新潟の下部組織チーム
    • JAPANサッカーカレッジ
    • 開志学園高校JAPANサッカーカレッジ高等部
・アルビレックスの運営母体はNSGグループ(新潟総合学院、国際総合学園)が行っているが、NSGグループの傘下にあるJAPANサッカーカレッジは、現在北信越フットボールリーグに加盟しており、同チームに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習やサテライトリーグの出場資格も与えられることから、事実上アルビレックス新潟のアマチュア組織のチームとなっている。また、2005年度から高等部も設けられ、開志学園JSC高等部はアルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。
JAPANサッカーカレッジ開志学園高等学校項参照

関連項目

日本国外にサテライトを持つサッカークラブ

出典

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外部リンク

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