アビスパ福岡

出典: Wikipedio


Template:サッカークラブ アビスパ福岡(アビスパふくおか、Avispa Fukuoka)は、福岡市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のプロサッカークラブ。

目次

クラブの概要

Template:Wakumigi 1996年Jリーグ加盟。ホームタウンは福岡市。

静岡県藤枝市に本拠を置く藤枝ブルックスを誘致した結果、1995年に福岡市への移転が実現したもので、移転後の運営会社は福岡ブルックス株式会社だったが、2006年4月26日の株主総会でクラブ名と同じアビスパ福岡株式会社に名称変更された。また本社も2006年5月に福岡市東区香椎浜の福岡フットボールセンターに移転した。資本的にはコカ・コーラウエストホールディングス、福岡市、セコム三洋信販リコー大都技研といった企業・自治体が大株主に名前を連ねている。また、藤枝時代の名残で株主に静岡県に本社を持つ企業も見受けられる(2008年9月現在)。

チーム名のアビスパは、スペイン語でスズメバチの意味。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する。

断続的にではあるが、ホームタウンである福岡市が姉妹都市として交流がある縁でボルドー市(フランス)をホームタウンするFCジロンダン・ボルドーリーグ・アン)と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っている。

ホームスタジアムはレベルファイブスタジアム(東平尾公園博多の森球技場)(福岡市博多区)。練習場は福岡市東区福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である。年に1回程度、東平尾公園博多の森陸上競技場北九州市立本城陸上競技場北九州市八幡西区)で試合を開催することもあったが、博多の森陸上競技場では2003年(第38節 対湘南ベルマーレ)、本城陸上競技場では2004年(第36節 対京都パープルサンガ)を最後にリーグ戦は開催されていない(但し本城陸上競技場2010年からJリーグ加盟したギラヴァンツ北九州のホームスタジアムである為、アウェイチームとしてJリーグの公式戦は行われる)。2007年には長崎県立総合運動公園陸上競技場長崎県諫早市)(現在、V・ファーレン長崎のホームスタジアム)で1試合ホームゲーム(対水戸ホーリーホック)を開催した。

ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属時代の1995年には、博多の森球技場杮落し(第13節 対大塚FC)までのホームゲーム数試合を平和台陸上競技場で行い、また同年のユニバーシアード福岡大会開催時には、旧本拠地の静岡県でもホームゲームを数試合開催(静岡県草薙総合運動場陸上競技場藤枝市民グラウンド球技場)した。1996年にJリーグ昇格以後、最初3年間はかつて横浜フリューゲルスの準ホームスタジアムとして使用された熊本市水前寺競技場(現在、ロアッソ熊本の準ホームスタジアム)も準ホームスタジアムとして年1試合使用した。

近年はホームページなどで福岡ソフトバンクホークスとの交流を活発的に行っているものの、直接的な観客増までいっていない。2006年には11月23日の対ガンバ大阪戦にてホークス選手会長の斉藤和巳がアビスパのユニフォームを着て当時の川勝良一監督を訪れるなどしているものの、一部の在福民放がアビスパの試合よりも斉藤が博多の森に来たことを中心にしてしまうなど、メディアのホークス偏重が強いことが大きいことが一つの原因であると考えられている。

クラブスポンサーの所在地は福岡市に偏っている。これは同じ福岡県内にギラヴァンツ北九州があることや、隣接している県にもサガン鳥栖ロアッソ熊本大分トリニータと多数の近接クラブとのスポンサー獲得競争を繰り広げねばならず、広域的なスポンサーを獲得するのが難しいことが影響している為である。実際、県内では北九州市に本社のあるゼンリンは過去にアビスパ福岡のユニフォームスポンサーであったが(但し現在もオフィシャルパートナーとしてスポンサードは続いている)、現在はギラヴァンツ北九州のユニフォームスポンサーであるし、久留米市で創業したブリヂストンは隣接している鳥栖市がホームタウンであるサガン鳥栖のユニフォームスポンサーであり、活動地域の関係から鳥栖の名が使えない為、ブリヂストンの名を冠して久留米市でサッカースクールを開設している。

チームの在籍選手数が少ないことや日程調整などの問題を理由に、2007年を最後にJサテライトリーグから撤退したが、一方で若手選手に試合経験を積ませる必要性などから、2009年から福岡を含む九州の5クラブ(福岡・鳥栖・北九州・熊本長崎)で新たに九州チャレンジャーズリーグを立ち上げている。

歴史

前身

前身の中央防犯サッカー部は、サッカー王国と呼ばれる静岡県藤枝市で結成され、1991年日本サッカーリーグ2部に昇格した実業団チームだった。1992年にJFL2部に参加、1993年には1部に昇格。これを機に「中央防犯FC藤枝ブルックス」と改名してJリーグ昇格をめざしたが、ホームスタジアムである藤枝市民グラウンド球技場のJリーグ基準への改修が困難であることや、藤枝市総合運動公園サッカー場の完成が2002年になるためなどといった理由から、Jリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の意向を受け、1995年に福岡市にチームを移転、チーム名を「福岡ブルックス」とし、Jリーグ準会員となった。

1995年(JFL)

1995年JFL優勝主要メンバー

福岡市に移転しての初めてのシーズンになった1995年、監督には1978年ワールドカップアルゼンチン代表であったオルギンを招聘。

ライバル鳥栖フューチャーズよりディエゴ・マラドーナの実弟ウーゴ・マラドーナを獲得、引き続き藤枝時代より所属の元アルゼンチン代表ペドロ・トログリオらを擁し「京都パープルサンガ」.「鳥栖フューチャーズ」.「ヴィッセル神戸」らとJリーグ昇格を争い、圧倒的な攻撃力と堅実な守備を誇り24勝6敗という成績でJFL優勝、本拠地移転初年度で見事Jリーグ昇格を果たした。この結果により、Jリーグでの飛躍へ期待を抱かせた。

ユニフォームは、1stがシルバー×ネイビーのストライプ、2ndがブルーベールダンス×ネイビーのストライプでストライプ部分がグラデーションがかっている鮮やかな色合い。アドミラル製。

翌年、Jリーグ昇格に合わせチーム名を現在の「アビスパ福岡」に改めた。これはブルックスが紳士服メーカー「ブルックス・ブラザーズ社」の商標で商標権侵害の恐れがあるための措置。ただしこのときは運営会社名は福岡ブルックスのまま据え置かれた。従って、「福岡ブルックス」というチームは1年限りで幕を下ろした。

ちなみに前身チームである中央防犯サッカー部東海社会人リーグ1部で活動、下部組織は「ACMブルックス」という名称を使用していたが、2006年シーズンを最後に廃部した。

ただしこの頃から、近年まで続く行き当たりばったりの不可解なチーム編成、結果に関係なく短期間で監督を変える・選手を切ることなどから入れ替わりが激しいチームの問題点が見え隠れしている(所属した選手数がオリジナル10と比べても非常に多い)。

1996年~1998年(Jリーグ)

1998年J 2nd 第4節対清水エスパルス戦(年間総合順位最下位)
1997年J 1st 第02節 対ジュビロ磐田戦
1996年J 第02節対浦和レッズ戦

戦いの場をJリーグに移した1996年、監督にはオルギンからJリーグ元年に横浜マリノスを指揮した清水秀彦を招聘。

戦力は、前年よりマラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表のサイドバック都並敏史サンフレッチェ広島からは森秀昭(最終所属:コンサドーレ札幌)などベテラン選手を補強し、中払・藤本・久永・石丸ら有望な新人も入団し戦力の充実を図った。しかし、成績は芳しくなく攻撃の方はマラドーナ、トログリオらの個人技もありなかなかの得点力を誇ったが、守備はザルのように多失点を重ねる試合が多く、勝利に結びつかなかった。その結果、順位は15位となってしまった。

その後、監督交代を繰り返し成績の方も17位、18位と2年連続シーズン最下位と低迷、1998年末のJ1参入決定戦ではぎりぎりのところでJ1参入を決めた。特に11月19日川崎フロンターレ戦は劇的な結末で、通称「神を見た夜」と呼ばれている(逆に川崎側からはこの試合は「博多の森の悲劇」と呼ばれる。詳細については博多の森の悲劇を参照)。

しかしこの逆境のなか、FW山下芳輝(現FC琉球)、MF石丸清隆(最終所属:愛媛FC)や藤本主税(現大宮アルディージャ)などが活躍し日本代表に選ばれただけに(ただし福岡所属時にA代表に選ばれたのは山下だけであり、山下は2010年4月現在も福岡所属時にA代表に選出された唯一の選手である)、崖っぷちのチームに一つの光が見えてきた。

1999年~2001年(J1)

1999年

1999年シーズン監督にはフロントの菊川凱夫が現場復帰。前年、監督を務めた森孝慈はGM職を務めることに。

ベルマーレ平塚のGK小島伸幸(最終所属:ザスパ草津)や、鹿島アントラーズのDF水筑優文サンフレッチェ広島のDF小島光顕横浜F・マリノスのMF野田知(現ヴィッセル神戸サテライト監督)、ジェフユナイテッド市原のMFマスロバルヴェルディ川崎のMF三浦泰年(現静岡FC総監督)など経験豊富な選手を補強しながらも成績が振るわず、一時はJ2降格順位圏内である15位に沈んでいたが、最後の最後で底力を発揮し、14位に留まった。

2001年J1 2nd 第10節対FC東京戦(J2降格前最終勝利)
2000年J1 1st 第11節対清水エスパルス戦(好調時)
1999年J1 2nd 第8節対浦和レッズ戦(連勝時)

2000年

前身福岡ブルックスの選手であり・前年アシスタントコーチを勤めていたピッコリが就任。

万年下位に低迷するチーム状態からの脱却を目指すことを念頭に置き、キャンプは朝・昼・晩練習することや戦術面などはそこそこにし砂浜での走り込みなどを中心にまず徹底してフィジカルトレーニングを課して精神・肉体面の基礎力向上(スキルアップ)を選手に求めた。

そのようなこともあり監督の求める「戦う姿勢」がチーム全体に浸透。第2ステージでは最後まで優勝争いに絡む活躍をみせ、結果として6位とクラブ史上最高の成績を収めた。

新加入の高卒ルーキー平島崇が主力として機能したことや、外国人も横浜マリノスで優勝に貢献したMFビスコンティベルマーレ平塚柏レイソルで活躍したバデアそしてエースフォワードのモントージャも活躍するなど明るい話題も多かった。

2001年

引き続きピッコリ体制。元韓国代表でサンフレッチェ広島セレッソ大阪でも活躍したMF盧廷潤、アトランタ五輪代表のFW松原良香を補強した。しかし当時未成年の主力選手が児童買春等禁止法違反で逮捕されるなど降格回避まであと1勝というところまできながら以降全敗、年間成績15位となりJ2へ降格。

降格翌年も、ピッコリが指揮を執る方向で進んでおりそれゆえの発言もされていたが結局解任という形になり、続いて年俸が比較的高い三浦泰年らベテランは運営費縮小に伴い軒並みチームを離れていった。

※ちなみにこの時期は毎年J2降格の危機を迎えながらも回避することが多かったため、「落ちない」に通じるということでアビスパグッズをゲン担ぎに買い求める受験生も多く、クラブもグッズを福岡市近郊にある太宰府市太宰府天満宮でお祓いを済ませてから販売していた。

2002年~2005年(J2)

2003年J2第39節対サンフレッチェ広島戦(成績安定期)
2002年J2第9節対セレッソ大阪戦(チーム迷走期)

2002年

初のJ2降格の年、名古屋グランパスエイトでコーチ経験を持つ今井雅隆を招聘。

戦力の方は、チームの顔でもあった中払大介山下芳輝ら若手の主力を放出し、一方リーグで実績のある呂比須ワグナー内藤就行盧廷潤などベテラン選手は残し、横浜F・マリノスから元ユース代表のMF古賀誠史ジュビロ磐田から元日本代表GKの大神友明など名のある選手を補強し1年でのJ1復帰を目指したが、チーム方針の迷いもあり成績が振るわず8位と低迷。とくに後半戦はわずか3勝しかあげることができなかった。

2003年

松田浩が監督に就任。

短絡的な補強をしそれらの選手を中心として戦うチーム構成から、将来を見据えユースや若手選手を育成し中心に据えていくチーム構成への変化に踏み切った。

リーグ前半戦は若手選手の経験不足や連携不足・戦術の浸透が進まず苦しい試合展開が続き、勝星も5つしか積み上げることができず下位に低迷してしまうが、千代反田・米田・宮崎・古賀・宮原・林ら若手を辛抱強く使い続けチーム力の底上げを行なっていった。

新外国人のアレックスにしてもフォワードとして獲得しながらチームのウィークポイントとアレックスの特徴を見極めて左サイドバックにコンバートするなど采配にも切れを見せた。

その結果、チームは後半戦になると攻守が噛み合いだし5連勝を含む16勝3分3敗(後半戦だけの成績ではトップ)と快進撃を続け前半戦のうっぷんを晴らすかのように巻き返し4位と好成績を収めた。


2005年J2第27節対京都パープルサンガ戦
2004年J2第35節対大宮アルディージャ戦

2004年

前年に続き松田体制。また、前年に行ったサポーターへのアンケートを受けてユニフォームの色を変更した(1stがシルバー、2ndがネイビーだったのを逆にした)。

リーグ戦では前半戦・中盤戦と好不調の波が激しく安定した結果が残せずなかなか上位3チームに食い込めなかったが、シーズンも終盤にさしかかった第37節から最終節まで8連勝を飾る。その中でも最終節、前節までアビスパと勝ち点2の差4位につけるモンテディオ山形との直接対決を制し3位となり、J1・J2入れ替え戦に進出。その入れ替え戦にて柏レイソルと昇格をかけて対戦するも完敗(ホーム、アウェイ共に0対2で敗戦)、昇格はならなかった。水谷、千代反田、米田、宮崎など若手が年間通して活躍した。

2005年

松田体制3年目。チームの育成路線が実を結び高卒2年目の中村・同じく2年目ユース出身の田中が主力として定着。そしてチームの顔となる存在感を示した。他にも個々の選手の実力が開花したことや新加入の元ブラジルユース代表だったグラウシオもチームメイトともうまく融合して(ブラジルトライアングルを結成)大活躍。

11月23日ホームでの第42節徳島ヴォルティス戦を引き分けて2位を確定。5年ぶりのJ1復帰を決めた。

また6月のワールドユース・オランダ大会に中村北斗柳楽智和が日本代表として出場し、世界の強豪相手に活躍した。

2006年(J1)

2006年J1第21節対大宮アルディージャ戦
2006年J1第9節対アルビレックス新潟戦(J1復帰後初勝利)

5年ぶりのJ1の舞台に上がったアビスパは、「J1復帰の功労者」の松田が引き続き4年目の指揮を執ることとなった。有望若手選手の補強のみならず、薮田光教(前ヴィッセル神戸)、布部陽功久藤清一(共に前セレッソ大阪)など、頼れるベテラン選手を補強。若手とベテランの融合で、J1での奮闘が期待された。だが当初から指摘された得点力不足が響き、リーグ戦序盤で1勝6敗5分の16位という下位に沈み, 第12節終了後リーグ戦中断期間5月22日付けで成績不振のため松田を解任。

後任にヴェルディ川崎とヴィッセル神戸での監督経験をもつ川勝良一を招聘した。 W杯ドイツ大会によるリーグ戦中断期間にヴィッセル神戸からバロンを完全移籍、また大宮アルディージャから佐伯直哉東京ヴェルディ1969から飯尾一慶を期限付き移籍で獲得するなどテコ入れを計った。 中断期間明けの序盤は結果が出ずに黒星を重ねたが、MF布部をかつての本職であったFWに再コンバート、チームの中心に起用することによって持ち直すようになった。

とはいえ、降格圏内脱出は非常に厳しい状況になっていることには変わりはなく(残留となる15位のヴァンフォーレ甲府との勝ち点差が最終的には15にもなるなど、下位の3チームは残留圏ではなく自動降格回避を目指したほど低迷していた)、最終節を前に引き分けを挟み4連敗を喫するなど勝ち点26・17位の降格圏内に 位置していた。その、最終節では引き分けてセレッソ大阪に勝ち点で並び・得失点差で上回ることができ16位に順位を上げることができ、なんとか自動降格を免れ、J2・3位ヴィッセル神戸とのJ1・J2入れ替え戦に回ることになった。

しかし、入れ替え戦においても総得点リーグワーストの32の得点力とFWの決定力不足が最後まで頭を悩ませ・解消されず第1戦アウエーで0−0/第2戦ホームで1−1の内容でヴィッセル神戸(皮肉にも、指揮官は松田前アビスパ監督)に2戦合計1-1、アウェーゴール差で敗れ、1年でJ2へ再降格してしまった。

川勝監督はこの結果を受けて5回戦へ勝ち残っていた天皇杯を待たず12月11日に辞任、天皇杯は沖野等ヘッドコーチが 代行監督を務めた。

2007年〜2009年(J2)

2007年

2007年J2第36節対京都サンガF.C.戦
2007年J2第1節対サガン鳥栖戦

シドニーFC監督のピエール・リトバルスキーが監督に就任。前年までのディフェンス面の中心選手であったGK水谷雄一、DF千代反田充新潟にそれぞれ移籍。さらに前年キャプテンを務めたMFホベルトがキャンプ中に突然の退団。それに伴い布部をDMFに再コンバート、得点力不足を補うためにアレックスをサイドバックから3トップの一角に据えるなどしている。また新たに、ブラジルからFWリンコン、さらにホベルト退団後にはかつてリトバルスキー監督の下でプレイしたDFチェッコリを獲得した。そのリンコン、アレックスのコンビは2007年チームにとって重要な得点源となった。その一方、FW主軸として期待された林祐征が第2節で退場になって以降コンディションを崩してしまったりフォワード陣の決定力だけでなく人材にも前年に引き続き苦慮していた。

開幕戦となったサガン鳥栖とのダービーマッチでは攻撃的布陣が機能し5-0で完勝するなど幸先の良いスタートをきって第1クールを1位で終えるが、その後、第2クールに入ると4連敗するなど波に乗り切れず、布陣もライバルチームに研究されてくると試行錯誤を繰り返す。チーム自体連勝するもその後連敗しなかなか成績が安定することがなくとも上位の昇格戦線に食らいついていたが、第36節苦手京都サンガF.C.戦に3-1からの大逆転負けを喫すると失速、第40節東京ヴェルディ1969戦まで5年ぶりとなる5連敗を喫した。第48節のベガルタ仙台戦に敗れたことで昇格の可能性は消滅、1年でのJ1復帰はならなかった。最終順位は7位で終了。最終節の前日に登録メンバー31人の半数以上にあたる16人(レンタル選手、外国籍選手含む)と来季の契約を結ばないことを発表した。それに加え、チームを編成するフロント陣もチーム統括グループ長に就任していた小林伸二、長年携わってきた副長の中村重和、育成統括の沖野等を軒並み解任した。1年でのJ1復帰ができなかったチームはまた1からチーム作りをする方向に進んでいった。

この年限りでチーム創設時からユニフォームの胸スポンサーを務めてきたコカ・コーラウエストジャパン(GEORGIA)が撤退している。<ref>福岡胸スポンサー「GEORGIA」撤退。 日刊スポーツ 2007年11月22日</ref>(チーム自体への支援はプレミアムパートナーとして継続中)

2008年

2008年J2第27節対横浜FC戦
2008年J2第5節対愛媛FC戦

リトバルスキー監督2年目。先述の通り、前年度所属選手の大量解雇により選手が大幅に入れ替わった。とりわけ外国籍選手については全員解雇し、新たにDFルダン、MFタレイ、FWグリフィスと契約、3人ともオーストラリア出身の選手で固めることとなった。日本人選手では、アビスパから京都に移籍したMF中払大介が復帰、福岡大学出身のFW黒部光昭(前千葉)を獲得したほか、DF中島崇典(前横浜FC)、GK吉田宗弘(前セレッソ大阪)らが加入。さらに横浜F・マリノスからハーフナー・マイクから大久保哲哉の両FWをレンタル移籍で獲得し、鈴木惇大山恭平の両名をユースチームからトップに昇格させた(鈴木は2007年シーズンに2種登録で出場済)。2008年シーズンは、去年活躍した選手が他チームに移籍したことなどから、チームの成熟度に手間取り勝ち点が伸び悩み、第1クールでは15チーム中14位という散々な成績に終わった。その結果、フロントとサポーターの間で溝が生じ、第16節のベガルタ仙台戦では、サポーターが応援を放棄する事態となった(結果は2-0でアビスパ福岡の勝利)。7月11日、成績不振によりリトバルスキー監督、クルークヘッドコーチ、クレアフィジカルコーチを解雇し、前日にS級ライセンスを取得したばかりの篠田善之コーチが監督昇格した。一時期盛り返したものの昇格争いに加わるまでには至らず、結局2002年以来クラブワーストタイの8位に終わった。

なお同年6月には、パチスロ機メーカー大手の大都技研がクラブに資本参加・ユニフォームスポンサーとなるとの方針が報道され<ref>サッカー・J2福岡に遊技機メーカー「大都技研」が資本参加へ 読売新聞 2008年6月5日</ref>、同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示したが<ref>J2福岡への大都技研出資、自粛対象業種とリーグ難色 読売新聞 2008年6月7日</ref>、同年9月に正式に同社の資本参加が発表された<ref>Jリーグ アビスパ福岡への資本参加について 大都技研 2008年9月25日</ref>。しかしながら、Jリーグ側の承認は得られないことでユニフォームスポンサーになることはなく(練習着スポンサーとして支援)年間通してユニフォームメインスポンサーがつかない初めての年になった。

2009年

2009年J2第33節対セレッソ大阪戦
2009年J2第5節対栃木SC戦

引き続き篠田が監督を務めた。ここ数年移籍がささやかれていた中村北斗FC東京へ完全移籍。昨季所属した外国籍選手もすべて退団。新戦力獲得も厳しいと思われていたが新たに8選手と契約。その中でも同一リーグのロアッソ熊本からエースFW高橋泰が、ジュビロ磐田から元日本代表DFの田中誠が入団。シーズン序盤の対戦相手がJ2新規参入クラブや前年J2下位クラブが多かったことから、開幕前のキックオフイベントで「開幕10試合で勝ち点25」を目標に掲げるも、J2新規参入のファジアーノ岡山に敗戦を喫しJリーグ昇格初勝利を献上するなど、第1クール(17試合)終了時点で4勝5分け8敗の勝ち点17。その後も第41節(9月23日・徳島ヴォルティスに0-0)終了時にチーム全体で39得点しかできないなど精彩を欠き、一年通してレギュラーメンバーも固定できずに結局同節でJ2残留が決まってしまった(シーズン残り10試合での残留決定は2002年と並ぶワーストタイ)。結局、クラブ史上ワーストの11位という結果に終わり、特に九州ダービーではクラブ史上初めてサガン鳥栖相手に未勝利で終わった。その一方でJ2を優勝したベガルタ仙台に対しては2勝1敗と勝ち越して気を吐いた。そして今年のオフも選手の吉田宗弘黒部光昭らベテランを中心に選手9人の大量解雇が行われ、監督以外のコーチ陣も一斉に退団することになった。

なお、開幕から1ヶ月ほど経った4月初めにチームの財政状況が芳しくないという状況の中、<ref>J2アビスパ、ユニホーム広告なしの非常事態に 朝日新聞 2009年2月7日</ref>昨季から空だったユニフォームの胸スポンサーが「エバーライフ」に決定した<ref>スポンサー名が入ったユニホームで敵陣に攻め込む。 朝日新聞 2009年4月14日</ref>。表記は「everlife皇潤」となる。また、背スポンサーもオデッセイ コミュニケーションズに決まった<ref>背中スポンサー入りユニホームがお披露目された。 朝日新聞 2009年4月27日</ref>。これで2007年以来、ようやくユニフォームポンサーが埋まることとなった。

2010年

2010年J2第01節対ヴァンフォーレ甲府戦

所属選手

Template:サッカークラブチーム選手一覧 開始 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 中央 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 選手 Template:サッカークラブチーム選手一覧 終了

戦績

ここでは福岡移転後の成績のみ掲載する(1995年のみ福岡ブルックス、96年以降アビスパ福岡)

リーグ戦

年度 所属 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 得点 失点 得失差 順位 監督 総監督
1995年 旧JFL 30 72 24 - 6 83 25 +58 優勝 Template:Flagiconホルヘ・オルギン菊川凱夫
1996年 J 30 29 9 2(*1) 19 42 64 -22 15位 Template:Flagicon清水秀彦
1997年 J・1st 16 9 3 - 13 11 27 -16 17位17位 Template:Flagiconカルロス・パチャメ
J・2nd 16 10 3 1(*2) 12 18 31 -13 15位
1998年 J・1st 17 7 2 1(*2) 14 22 47 -25 18位18位 Template:Flagicon森孝慈
J・2nd 17 14 4 1(*3) 12 11 38 -27 15位
1999年 J1・1st 15 16 4 2(*3) 9 23 30 -7 11位14位 Template:Flagicon菊川凱夫
J1・2nd 15 12 3 2(*4) 10 18 29 -11 15位
2000年 J1・1st 15 15 3 3(*3) 9 19 28 -9 14位12位 Template:Flagiconネストール・ピッコリ 菊川凱夫
J1・2nd 15 22 6 3(*5) 6 22 20 +2 6位
2001年 J1・1st 15 14 4 1(*3) 10 13 25 -12 12位15位
J1・2nd 15 13 3 3(*5) 9 22 31 -9 15位
2002年 J2 4442 10 12 22 58 69 -11 8位 Template:Flagicon今井雅隆(1~21節)
Template:Flagicon望月達也(22~24節・代行)
Template:Flagicon中村重和(25~44節)
2003年 44 71 21 8 15 67 62 +5 4位 Template:Flagicon松田浩
2004年 44 76 23 7 14 56 41 +15 3位
2005年 44 78 21 15 8 72 43 +29 2位
2006年 J1 34 27 5 12 17 32 56 -24 16位 Template:Flagicon松田浩(1~12節)
Template:Flagicon川勝良一(13~34節)
2007年 J2 48 73 22 7 19 77 61 +16 7位 Template:Flagiconピエール・リトバルスキー
2008年 42 58 15 13 14 55 66 -11 8位 Template:Flagiconピエール・リトバルスキー(1~25節)
Template:Flagicon篠田善之(26節~)
2009年 51 65 17 14 20 52 71 -19 11位 Template:Flagicon篠田善之
2010年 - - - - - - - --
  • 注:
    • (*1)=PK負(勝点1)
    • (*2)=PK勝(勝点1)
    • (*3)=Vゴール勝(勝点2)
    • (*4)=1Vゴール勝1引分(勝点計3)
    • (*5)=1Vゴール勝2引分(勝点計4)

天皇杯

年度 所属 成績 1回戦 スコア 2回戦 スコア 3回戦 スコア 4回戦 スコア 5回戦 スコア 準々決勝 スコア
1995年 旧JFL 準々決勝進出 富士通 5-2 横浜マリノス 1-0 - - - - - - 鹿島アントラーズ 2-3
1996年 J 4回戦進出 - - - - 本田技研 3-1 鹿島アントラーズ 0-2 - - - -
1997年 J 4回戦進出 - - 水戸ホーリーホック 2-1 ヴェルディ川崎 2-0 鹿島アントラーズ 0-6 - - - -
1998年 J 4回戦進出 - - ソニー仙台5-0 京都パープルサンガ 3-2 清水エスパルス 2-3 - - - -
1999年 J1 4回戦進出 - - - - コンサドーレ札幌 1-0 サンフレッチェ広島 1-2 - - - -
2000年 J1 4回戦進出 - - - - 大宮アルディージャ 4-2 清水エスパルス 0-1 - - - -
2001年 J1 3回戦進出 - - - - アルビレックス新潟 2-3 - - - - - -
2002年 J2 4回戦進出 大原学園JaSPA 1-0 栃木SC 2-1 浦和レッズ 2-1 京都パープルサンガ 0-1 - - - -
2003年 J2 3回戦進出 東海大学 7-0 マルヤス工業 3-0 鹿島アントラーズ 2-3 - - - - - -
2004年 J2 4回戦進出 - - - - 天理大学 9-1 浦和レッズ 1-3 - - - -
2005年 J2 4回戦進出 - - - - 佐川印刷SC 1-0 FC東京 0-2 - - - -
2006年 J1 5回戦進出 - - - - - - 京都パープルサンガ 1-1
4PK3
浦和レッズ 0-3 - -
2007年 J2 4回戦進出 - - - - 栃木SC 4-0 ヴィッセル神戸 0-2 - - - -
2008年 J2 3回戦進出 - - - - 水戸ホーリーホック 0-1 - - - - - -
2009年 J2 3回戦進出 - - 愛媛FC 2-2
4PK2
鹿島アントラーズ 0-3 - - - - - -

対戦通算成績と得失点

<tr align="center"> <th rowspan="2">対戦クラブ
<th colspan="6">J1<th> <th colspan="6">J2<th> <th colspan="6">ナビスコ杯<th> <th colspan="5">天皇杯<th> <th colspan="6">その他公式戦 </tr>
コンサドーレ札幌(←東芝) 30176 7481722 10131 1010 400111
ベガルタ仙台(←ブランメル仙台) ----- 7381920 11043 ---- 20071
モンテディオ山形(←NEC山形) ----- 61252422 ----- ---- 20092
鹿島アントラーズ 11121338 ----- 02339 05417 -----
水戸ホーリーホック ----- 16554928 ----- 1122 -----
栃木SC ----- 30061 ----- 2061 -----
ザスパ草津 ----- 10223014 ----- ---- -----
浦和レッドダイヤモンズ 3181320 ----- 00226 1237 -----
大宮アルディージャ(←NTT関東) 02033 5251518 ----- 1042 10183
ジェフ千葉(←ジェフ市原) 5182234 ----- 10112 ---- 00214
柏レイソル 3091628 ----- 00123 ---- 00204
FC東京(←東京ガス) 213510 ----- 11010 0102 10121
東京ヴェルディ
(←東京ヴェルディ1969
←ヴェルディ川崎)
4171220 214711 10135 1020 -----
川崎フロンターレ(←富士通) 20255 20101726 ----- 1052 20175
横浜F・マリノス(←横浜マリノス) 21111129 ----- 11359 1010 -----
横浜FC ----- 8772624 ----- ---- -----
湘南ベルマーレ
(←ベルマーレ平塚)
3051314 17364123 11032 ---- -----
ヴァンフォーレ甲府 02022 75102835 ----- ---- 20041
アルビレックス新潟 20030 2241015 ----- 0123 -----
カターレ富山 ----- 03022 ----- ---- -----
清水エスパルス 30111128 ----- 00214 0224 -----
ジュビロ磐田 21111335 ----- 02247 ---- -----
名古屋グランパスエイト 30111229 ----- 11043 ---- -----
FC岐阜 ----- 31267 ----- ---- -----
京都サンガF.C.
(←京都パープルサンガ)
5072521 2371724 01123 2144 10143
ガンバ大阪 5271724 ----- ----- ---- -----
セレッソ大阪 4191424 2391631 021411 ---- -----
ヴィッセル神戸 3251414 ----- ----- 0102 12154
ファジアーノ岡山 ----- 02123 ----- ---- -----
サンフレッチェ広島 6081626 214714 ----- 0112 -----
徳島ヴォルティス
(←大塚FCヴォルティス徳島)
----- 7432114 ----- ---- 10132
愛媛FC ----- 541139 ----- 1022 -----
サガン鳥栖 ----- 13675034 ----- ---- -----
ロアッソ熊本 ----- 3211110 ----- ---- -----
大分トリニータ 01102 01336 ----- ---- -----
横浜フリューゲルス 006614 ----- 02237 ---- -----
(Jリーグクラブ)計 61 17 142 253 426 129 76 102 437 413 8 14 20 45 75 12 15 39 50 17 2 10 61 31

2009年シーズン終了時点

その他公式戦には、旧JFL、J1参入決定戦、J1・J2入れ替え戦が含まれている。

他クラブとの相性

年度別観客動員記録

年度 所属 合計
動員数
最多
動員数
最小
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
動員数
順位
1995年JFL 115,49520,2242,8817,70015
1996年 J 146,05517,3235,3099,7371512位
1997年 J 138,45116,3545,3178,6531611位
1998年J 170,58817,7225,59110,0351712位
1999年J1 172,00719,0945,29511,467157位
2000年J1 204,17421,0847,49813,612154位
2001年J1 207,33221,2818,29413,8221511位
2002年J2 142,80814,4753,2846,491224位
2003年J2 163,16513,9213,4487,417224位
2004年J2 192,34915,4445,1308,743224位
2005年J2 237,29920,8416,62010,786223位
2006年J1 253,30021,5458,58514,9001712位
2007年J2 228,70217,3612,7249,529243位
2008年J2 211,65115,1585,72910,079215位
2009年J2 194,07116,5312,8697,763255位
Jのみ2,642,861 9,861 268

獲得タイトル

国内タイトル

  • 1995年 JFL優勝 (当時:福岡ブルックス)

個人別タイトル

Jリーグ

優秀新人賞

旧JFL

ベストイレブン
新人王
  • 1995年 永井篤志
ベストGK賞

スローガン

年度 スローガン
1995年iARRIBA! (上へ向かってさあ行こう)
1996年
1997年
1998年
1999年MAS ARRIBA! (もっと上を目指そう)
2000年iJUNTOS,PODEMOS! (一丸となれば、やれる)
2001年iMAS JUNTOS,PODEMOS MAS! (もっと一丸となれば、もっとやれる)
2002年Just in ONE
2003年新生
2004年We WILL make it! 成し遂げる!
2005年挑戦 〜Try it again to J1 !
2006年Climb to the top !
2007年SUFFER FOR SUCCESS!
2008年ココロ粋 !
2009年結心 〜全ての心をひとつに〜
2010年福岡 維心 ふくおか いしん

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色2

チームカラー

この3色である。

ユニフォームについて

アビスパのユニフォームは、2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーだったが、2004年からは前述したとおりサポーターのアンケートの結果を受けて、1stユニフォームがネイビー、2ndユニフォームがシルバーに変更、さらにその後、2ndユニフォームの色がシルバーからホワイトなった。

しかし、カラー入れ替え後の1stユニフォームに採用されたネイビーがDIC255という青にかなり近い物だったため、古くは福岡ブルックス時代から、最近では2003年の2ndユニフォームに使われていた本格的な濃紺を期待したサポーターの不満を抱く結果となった。

さらに2ndユニフォームへと変更されたはずのシルバーが、後に白やグレーに変更され、それ自体は単なるアクセントカラーとして利用されるなど、従来アビスパのチームカラーである紺とシルバーのツートンは遠く過去の物へとなりつつある。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
エバーライフeverlife 皇潤2009年4月〜
背中オデッセイコミュニケーションズOdyssey2009年4月〜
コマーシャル・アールイー.Rドッとあ~る2008年〜
パンツ九州電力九州電力2008年〜2004年〜2007年までは袖

ユニフォームサプライの遍歴

  • 1995年 リーグ戦・カップ戦共にアドミラル
  • 1996年~1997年 リーグ戦・ミズノ、カップ戦・アドミラル
  • 1998年~ リーグ戦・カップ戦共にミズノ

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1995年GEORGIA三洋信販RICOH-Admiral
1996年GEORGIA三洋信販RICOH-Admiral/Mizuno
1997年GEORGIA三洋信販RICOH-Admiral/Mizuno
1998年GEORGIA三洋信販RICOH-Mizuno
1999年GEORGIARICOH三洋信販-Mizuno
2000年GEORGIARICOH三洋信販-Mizuno
2001年GEORGIARICOH三洋信販-Mizuno
2002年GEORGIARICOHポケットバンク-Mizuno
2003年GEORGIA-ポケットバンク-Mizuno
2004年GEORGIA九州電力ポケットバンク-Mizuno
2005年GEORGIA九州電力ポケットバンクJ.COMMizuno
2006年GEORGIA九州電力ポケットバンクZENRINMizuno
2007年GEORGIA九州電力ポケットバンクZENRINMizuno
2008年-.Rドッとあ~るアクセス・ジャパン九州電力Mizuno
2009年-/everlife 皇潤.Rドッとあ~る-/Odyssey九州電力Mizuno
2010年everlife 皇潤.Rドッとあ~るOdyssey九州電力Mizuno

アラカルト

スタジアムDJ

チームマスコット

  • アビー
  • ビビー (2000年2月27日「選手激励のつどい」にて初披露目)
  • 2003年8月10日(日)サンフレッチェ広島戦(博多の森球技場)の試合開始前に結婚のお披露目を行った。
  • 立会人にはダイエーホークスの『ハリーホーク』と『ハニーホーク』
  • 衣装は、香蘭女子短期大学の学生によって作られた。

アビスパ応援番組

テレビ

ラジオ

※福岡ではプロ野球福岡ソフトバンクホークスを一部の民放が贔屓している為かメディア露出では圧倒されている。アビスパはJ2(2部リーグ)に所属ということもあり結果だけ報告という内容もしばしある。

エピソード

京都サンガF.C.との縁

京都サンガF.C.(2006年シーズンまで京都パープルサンガ)とは4度同時に昇格、降格を経験している。

  • 1992年 JFL2部 → 旧JFL1部
  • 1995年 JFL → Jリーグ
  • 2005年 J2 → J1
  • 2006年 J1 → J2

セレッソ大阪との縁

福岡はなぜか関西のチームと縁が強く、セレッソ大阪とも関係がある。C大阪が降格した年は福岡も必ず降格する。いずれもC大阪よりも後に降格している。

  • 2001年:C大阪(3試合残し)、福岡(最終節)
  • 2006年:C大阪(最終節)、福岡(J1J2入れ替え戦)

ハットトリック

福岡移転以後、これまで5名(マラドーナが2回)が記録している。

その中で、江口倫司は自身が決めたハットトリックで3-0とリードした後にチームは5点取られ逆転負けを喫している。


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李官雨入団問題

1999年11月末、アビスパ福岡は韓国漢陽大学に所属していた李官雨(当時五輪韓国代表)の獲得を発表。しかし、この時点で本人は既に韓国国内Kリーグのドラフト(2002年廃止、2006年復活)への参加を表明しており、福岡の獲得発表はKリーグ側からすれば重大な規約違反であった。Kリーグは12月3日のドラフトにより大田シチズンの指名権を認めて当然福岡との契約は認めなかった。この時Kリーグ側から裁判に持ち込むという話もあったが、福岡は裁判で争ってまでの獲得を断念。結局、李官雨は大田へ入団。福岡とは入団契約を交わしていた為、一度もユニフォームに袖を通さないまま契約を解除し退団する事となった。

因みにKリーグと福岡の両者合意の上での契約解除なので、違約金などは発生していない。

主力温存【リーグ規定】問題

2000年4月12日開催のナビスコ杯予選・湘南ベルマーレとの試合で、アビスパは主力を温存して、サテライト級の若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になった(詳細はネストール・オマール・ピッコリの項を参照)。

九州ダービー

サガン鳥栖ロアッソ熊本大分トリニータギラヴァンツ北九州との試合を九州ダービーと呼ぶ。

  • 特に鳥栖は距離としても近く(鳥栖は福岡都市圏のベッドタウン化が進んでおり、経済活動エリアもほぼ同じである)、「九州クラシコ」と称する者もいるほど盛り上がるカードである。対戦成績は福岡に分があるが、2007年5月19日には鳥栖にホーム博多の森で初めて負けた。
  • 2008年からロアッソ熊本との対戦も加わり、鳥栖も含めた3チーム共同で「2008九州ダービー」と銘打ち、「〜熱いサッカーは九州から始まる!〜」というキャッチフレーズの下、共通ロゴを用いてダービー9試合を盛り上げて行くこととなった<ref>2008九州ダービー 共同企画決定 について</ref>。
  • 2010年から同じ福岡県を本拠とするギラヴァンツとの「福岡ダービー」が実現する。
  • 2009年からは九州チャレンジャーズリーグにおいて大分を除く各チームと定期的な対戦が行われているが、これは旧Jサテライトリーグに代わる若手育成目的の試合のため「九州ダービー」には含めない。

サポーターのトラブル

  • 2002年4月10日博多の森球技場で行われたJ2第39節対モンテディオ山形戦で盧廷潤に向かってバックスタンドのサポーターの一人が自分の着ていた韓国代表のユニフォームを投げ入れる。また、ピッチへ乱入して選手に掴み掛るなどの場面もあった。
  • 2005年11月6日三ツ沢公園球技場で行われたJ2第39節対横浜FC戦に於いて、試合終了後に選手がサポーターへ挨拶しに行った際、選手達に向かって潰された空き缶が投げ込まれ、岡山一成とサポーターが揉めた。しかし投げ入れた本人は特定されていない。一方、岡山は別の1人も同様に缶を投げ込もうとしたため制止しようとしたが、この行為がサポーターへの挑発と勘違いされたと後日コメントしている。
  • 2007年9月2日鳥栖スタジアムで行われたJ2第38節対サガン鳥栖戦では試合終盤から、レフェリングに疑問を持ったサポーター達がペットボトルをピッチに投げ入れだし、試合後も収まらず最終的には多数のペットボトル(内、雨傘が1本)が投げ入れられた。試合終了後には一部のサポーターがピッチに乱入して審判団へ威嚇したり、ピッチに乱入する際に少年1人に怪我を負わす等、アビスパ福岡の名に汚点を残す程の荒れた試合になった。後日、クラブはピッチへの侵入者ら数名に無期限の入場禁止などの処分を課した。

アルゼンチン選手

JFL福岡ブルックス時代も含めアルゼンチン籍の選手がJリーグチームの中で最も多く合計で15名在籍していた。

2003年以降は獲得していない。

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年度 No. Pos. 名前 No. Pos. 名前 No. Pos. 名前 No. Pos. 名前 No. Pos. 名前
1995年6DFマジョール8MFトログリオ9FWピッコリ10MFマラドーナ11FWホルヘ
1996年6DFマジョール8MFトログリオ10MFマラドーナ
1997年3DFバスケス10MFリエップ22FWロッシ35MFカラセード
2000年9FWモントージャ26DFサンドナ43MFビスコンティ
2001年9FWヴィラジョンガ11MFビスコンティ36MFアレホ9FWビアージョ
2002年11MFビスコンティ

※1996年は固定番号ではないため主に付けていた番号。 なお内訳は、FW/6名.MF/6名.DF/3名

アビスパ福岡に所属するサッカー漫画の登場人物

いずれも九州出身。

関連項目

脚注

<references/>

外部リンク

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